スケートボードが紡いできた自由、都市の記録とコミュニティ——Diaspora skateboards・小林万里さんに聞く、〈スケートボード〉と〈まち〉
「街づくり」はとても複雑なものです。
そこに住む住民はもちろん、商いを営んでいる人、デベロッパー、行政……などさまざまな主体による活動の上に成り立っています。各々の活動はお互いに何らかの影響を与え、結果的にまちという姿で現れます。そう考えると、それらの主体が街づくりを意識することから、本当の街づくりが始まるのではないでしょうか。
2021年の東京オリンピックで堀米雄斗さんが初代金メダリストになったことから、改めて大きく注目を集めたスケートボード。
半世紀以上も前に若者を中心に生み出され、現在でも自由な自己表現を好む若者に人気のストリートカルチャーの代名詞となっています。
しかし、スケートボードは一部の人に敬遠されるカルチャーでもあります。
まちの中では「危険!」「公共物を痛める!」「やっている人も怖そう!」といった感想を持つ人も多く、商店街や歩道では禁止を掲げる看板も多く見受けられます。
海外でも公道では禁止の国が多いようですが、まちや近隣住民に認められていて、浸透しているようなイメージがあります。一方で、日本ではストリートスケーターへの忌避感は高いように思います。それはなぜなのでしょうか?
建物をつくり管理する私たちの視点で考える限り、想定しない使い方をするストリートスケーターへの忌避感は払拭できません。しかし、片方の視点だけで単純にスケートボードを「迷惑行為」と決めつけてしまっていいのか、という疑問もありました。
そこで今回はストリートで醸成された歴史や文化、スケーターが考えていることなどの理解を深めるために、多くのスケートビデオを撮影し、2022年11月に駒沢にスケートボードショップ「PURRBS」を開店、自身もストリートのスケーター / フィルマーである小林万里さんにお話を伺いました。
※カルチャーメディア「CINRA」に掲載された小林さんのインタビューと合わせてお読みいただくのがおすすめです。
「憧れ」から始めたスケートボード
──まずは小林さんの活動を簡単にお伺いできますでしょうか?
「Diaspora skateboards」というスケートボードのレーベルを主宰しています。
Diasporaではスケートボードの映像や服をつくったりしていて、それがメインの活動ですね。後はフリーでビデオディレクターとしてミュージックビデオをつくったり、企業のプロモーションビデオの制作をしています。前職はPR会社だったので、企業のPRを手掛けることもあります。
──スケートボードに興味を持ち始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
実家がブティックだったこともあり、中学生の時に、ファッションが好きになって、よくファッション誌を読んでいたんですけど、その雑誌にかっこいいスケーターが載っていて、その人の真似をよくしていたんです。
ですが、服装を真似しているだけだと「ポーザー(スケートボードの用語。ファッションだけで実質が伴わない人のことを指す)」と言われることを知って「あ、スケートボードしなきゃディスられるんだ」って。
──小林さんは長野県松本市出身とのことですが、当時は周りにスケートボードをされている方はいたのでしょうか?
隣のクラスの友達がスケートボードをしているらしいというのを噂で聞いて、話しかけたんです。
彼はスケートボードのゲームをきっかけに始めたらしく、それからは一緒に滑るようになりました。その人が今も一緒にDiasporaで活動しているHakase(ハカセ)ですね。
東京に出てきてから、大学生の時にHakaseが連れてきた長野出身の知り合いとスケートボードの映像をつくろうとなって、完成したビデオのタイトルが「Diaspora」でした。そこから、その活動がレーベルになって「Diaspora skateboards」となっていったんです。
──なるほど。中学生の時から現在まで地続きなんですね。松本ではどのような場所で滑っていたのでしょうか?
高校2年生になるまでパブリックのスケートパークはなかったのですが、実は結構いいところがあったんです。
松本駅前にあるパルコの向かいに「花時計公園」という公園があって、そこにはスケートボードするためにつくられたような階段やベンチなどがあって、よく滑っていました。
この公園には、設計した人がスケーターで、行政に分からないようにスケートボードしやすいようにつくったという噂があって(笑)。もちろん定かな情報ではないんですけど、どう考えてもスケートボードするためにしかつくられたとしか思えない。だけど、色々な人が座ってたり、遊んでいたりするみたいな場所でしたね。
スケートボードはなぜ「迷惑」に思われるのか?
──原宿駅前に「WITH HARAJUKU」というNTTグループが手掛けた施設があります。
その建物は竹下通りへ抜ける小道をつくるなど外部と繋がるコンセプトでつくられています。ウッドデッキなどがあるので、スケートボードのイベントができたらいいなと考えていた時期がありました。ただやはりビルを管理している部門からは「ダンスなどは良いけどスケートボードのような、施設に傷がつくようなイベントは絶対ダメ」と言われるんですよね。
もちろん管理側の意見も分かるのですが、そういうのがうまい具合に協力し合えるような状態をつくれればいいなと思っているんです。
海外と比較して日本はスケートボードのことを迷惑に感じたり、禁止しようとする人や企業が多いと感じています。実際に滑られている側として、日本と海外のスケートボードへの捉え方の違いはあると思いますか?
僕がバルセロナやスイスに撮影に行った時は、スケーターがまちにいて当たり前で、周りの人たちは「あいつらイキってんな」みたいなことも思っていないように感じました。
迷惑に感じている人もいるかもしれないんですけど、それでもスケーターがまちに馴染んでいるんですよね。駅前の広場にも普通にいますし。一方で日本だと「かっこつけててイキってて怖い」みたいなことを思われる。
海外で有名なスポット(スケートボードの用語。ストリートでスケーターが滑る場所を指す)って、ベンチがただ置いてあるだけとかもあるんですよ。そこにスケーターが集まって、ほぼパークと化しているんです。かたや日本だとスケーターが集まってきちゃうと「スケートボード禁止」って看板がすぐに立てられちゃいますよね。それは寛容度が低いなと思ってしまいます。
今の公園ってあらゆるものが禁止されているじゃないですか。
誰かがちょっとでも迷惑をかけたり、「危険だ」と言うと、とにかく禁止になってしまう、そういう土壌が日本にある気がするんです。
屁理屈じゃないんですけど、まちの中では事故のリスクをゼロにすることはできないですよね。スケーターがどこでも滑っていいということを肯定しているわけではないんですけど、スケートボードがイメージだけであらゆる場所で禁止されるのは違和感がありますね。
──そのためには、やっぱり滑ってる人たちの中でモラルを醸成させないといけないんでしょうね。
スポットになることで人が集まってきて、活性化に繋がるかもしれないみたいな視点もあるかもしれませんし。
「まちに対してメリットがあるか」というのはすごく大事な視点だと思いますね。
僕たちもまちに対して何ができるかを考えたいと思っています。
スケーターの中にも「めちゃくちゃやっていいっしょ」って、極端な人もいますね。ただ、やっぱりそれはスポットを守ることには繋がらない。
僕らもある程度の節度を持っていますし、ただただ自分勝手にやってはいけないと思っています。
──やってる方で楽しいだけだと自己中心的になっちゃいますよね。
悪いことをやると巡り巡ってカルチャー全体に迷惑をかけてしまう。それをやっている側が意識していないと良くない。
ストリートスケーターはただの悪で、パークで滑っている子たちが偉いってなると不健全で、そういうことに「違うよ」と言い続けるのも必要だと思います。ただ自分たちが「こういう良い面も生み出しているから」と言えたら「おおーっ」となる面もあるでしょうね。
──ストリートのスケートボードがもたらしている良い面みたいなのを上手く発信していければいいんですけどね。
それでいうと、地元の花時計公園でスケートボードが禁止されてスケーターがいなくなった後に、公園がめちゃくちゃ荒れたんですよね。ゴミが散乱して、不良が集まって喧嘩していたり、治安がすごく悪くなった。それを考えると、意外とスケーターって治安維持に効くのかもしれません。
──スケーターの方は「スポットを守る」という意識がありますし、人の目があるだけで治安は変わりますからね。
例えば、管理者側にスケーターが入っていると良いのかもしれないですね。
それはあり得そうですね。
治安が悪いまちにスケートパークをつくると、スケーターはそのパークにずっといると思うので、人の目が常にあるという意味で治安には効くかもしれませんね。あとはまち中だったら、住居がないのでスケートボードの音も気にならないと思うし。
──オフィス街だと夜は人がいないので、気にする人は少ないはずですよね。
夜だけスケートボードができるパークは新しいですよね。昼間はダメだけど夜は滑っていいよってパークがあればめちゃめちゃ人が来ると思います。
──それで、そこにいるスケーターたちは「ちゃんとしてる人たち」だと分かってもらえれば。
あくまでストリートとは別ですけど、そういう機会があれば認識が変わるかもしれないですね。意外とスケーターって真面目でオタク気質な人も多いですし。いわゆる不良とは違う気がしています。
──街中で滑ってる人を見ること自体があまりないですからね。
やっぱりみんな郊外のパークを使っているので、街中でスケーターを見る機会が少ない。なので、滑らない人からすれば滑ってる人がより一層怖く見えるのかもしれません。
そう考えると、まちの人とコミュニケーションできる機会があったらぜひ参加していきたいですね。
──街中でスケーターの方と共存できるようになったらいいと思いますが、一方でスノーボードなどと違って足に拘束具などがないので、失敗して飛んでいったボードがぶつかる可能性が0ではないと思ったりすると怖いなと思うんですよね。
そう考えると、スケートボード保険みたいなのがあると良いのかもしれないと思いました。自転車や自動車には保険がありますよね。意図しない傷や凹みをつけてしまっても、保険が整備されていれば許容されることもあるかもしれません。
ただ保険が整備されるためには、ある程度の人口が必要。自転車や自動車は乗っている人が圧倒的に多くてメジャーなので、そうした整備が進められている。スケートボードはマイノリティなのでルールがまだなくて、禁止するしかない。
ストリートを滑っているスケーターと街がお互いに歩み寄れるようなパークがあってもいいですよね。海外だと時間を決めて、スケーターと歩行者を分けるパークがちょこちょこあるんですよね。
──「よく知らないから怖くて批判してしまう」ということもあると思うので、それを考えるとスケートボード人口が増えていくことや接点をつくることがスケートボードへの理解に繋がる可能性はありそうですね。
競技とは違うストリートスケートボード
──日本では堀米雄斗さんのオリンピックでの金メダル獲得をきっかけに、スケートボードが話題になることが増えていますね。
やっぱりオリンピックがあったことで、大きい企業が大会のメインスポンサーになってコンテストが開かれ、競技としてのスケートボードが盛り上がってきている感じがありますね。
最近では、スケートパークや大会に行くと、お父さんお母さんが説教していて子どもが泣いている......なんてシーンもちょこちょこ見かけるのですが、親が乗れないのに子どもに乗れ乗れって言ってるのはどうなのかなと思ってしまいますね。スケートボードは自由になるためにやっているはずなのに。
──オリンピックで上位入賞ということ自体は小林さんにとっても良いイメージなのでしょうか?
良いと思いますし、めっちゃすごいと思います。
それでスケートボードを知ってくれた人が確実に増えたし、スケートボードで食べていける人も増えたと思うんです。
ただ、そっちの側面だけをもてはやすのはもったいないというか、スケートボードはそれだけじゃないというところを知ってほしいですね。
──小林さんはファッションへの憧れからスケートボードを始めた、というエピソードと比べて、お父さんお母さんに怒られて泣きながらスケートボードをする、とでは辿る道が違ってきそうですね。
そうですね。やっぱりスケートボードは自由を感じることができるのが魅力だと思っています。それはいわゆる「スケートボードをするための場所」じゃないストリートで自由に滑れるからこそ生まれるものではないかなと。
たとえば、「階段」だったら「その段差に沿って登っていく」みたいに人の動きは強制されているじゃないですか。けれどスケートボードはその段差を滑りに使う。つまり、設計者が意図していないことをやっている。それが自由を感じる源泉なのではないかなと思っているんです。
かたやスケートパークはスケートボードをするために設計されている。
──小林さんが中学生時代からスケートボードをやり続けている原動力は「自由」にあるということですね。それは定められたものではない使い方をすることによってもたらされる、ある種の「見つける楽しさ」みたいなものがある。
まちを歩いている人も自由に歩いているようで、実は決められたところしか歩いていないですよね。
スケートボードをやっているとなんで自由なんだろうと考えたら「どこでも行けちゃう」って感覚があるからだと思うんです。
──銀座とかは土日に歩行者専用通路になるじゃないですか。あの時に普段は道路だった場所に立つと高揚感のような奇妙な感覚を抱きますよね。それが小林さんがおっしゃられる「自由」に近いかも知れないですね。普段行けないところに行ける楽しさのような。
確かにそうかもしれないですね。
──小さいころは親にパークに連れてこられたけど、いつからかストリートに出始める人もいるのでしょうか?
いると思います。
堀米雄斗君について、パブリックイメージは「堀米君はパークで頑張ってる」と思われてますけど、彼もストリートで滑っている映像をコンスタントに出していて、そのことを知らない人も多い。彼は、ストリートの価値を知っているんですよね。
──ストリートスケートボードにも大会みたいなものはあるのでしょうか?
レッドブルは理解があるので、ストリートの有名なスポットで大会を開いたりしていますね。とはいえちゃんとした企業なので、ベニヤ板を敷いて路面を傷つけないようにして、という形ですね。
海外だと許可を得ればベニヤ板などは敷かずにやっていたりしますね。Dimeというカナダのブランドは名だたるスケーターを集めてストリートでコンテストを行っています。
──こんな街中でイベントもやるんですね。
昨年、NIKEがZOZOの協力の下、千葉のビルを開放して、普段スケートボード禁止のスポットでイベントをやっていました。そんなことは初めてで、面白いと思いましたし、懐がでかいなと思いました。
ただこういうイベントばかりになると「今日は特別に解放してるけど、普段は滑っちゃダメ」という部分が厳格になっていくのかなという思いもあり、少し複雑ではあります。
スケートビデオが捉える「まちのかっこよさ」と「都市の記録」
──Diaspora skateboardsなどが出しているスケートビデオをいくつか見させてもらったのですが、日本・海外含め、色々な場所で撮影されていますね。
海外の路上ってそれだけでも画になるというか。自分たちのビデオでもニューヨークの画が出てくるだけで見え方が別ものになるんです。
日本はまちのムードを無視したのぼりや派手な広告とかが多すぎて、海外から来たスケーターには面白く見えることもあると思うんですが、僕ら日本人にとってはダサく見えてしまうというか。
スケートビデオは滑りそのものも重要なんですけど、その人がどこで滑っているかも重要なので「まちのかっこよさ」も大事なんです。
──なるほど。ストリートスケーターにとってスケートビデオはどのような存在なのでしょうか?
最近はInstagramで短いクリップをすぐに投稿する人が多いので、ちゃんとした映像をつくる人は多くないのですが、個人的にはその人がどんな人か分かるようにファッション、スポット、BGMなどにこだわって、自分の名刺になる映像は重要だと思っています。
──ストリートスケーターにとって憧れのまちなどはあるのでしょうか?
僕は昔見ていたビデオに出てきたNYの街並みに憧れていたんですが、最近はLAを目指している子が多いと思います。
LAは街が広くてスケーターに寛容で路面も調子が良い。気候も良いのでスケートボードをするには一番良い都市なんですよね。そうなると必然的に多くのスケーターが集まりチャンスも生まれる。堀米くんがLAに行ったのもそういう理由からだと思いますし、日本のトップのスケーターはそういう意識はあると思います。
日本に限定すると、やっぱり「東京で有名になる」という意識はいまだにありますね。
──なるほど。小林さんは東京をどういう風に捉えているんですか?
やっぱりビデオ映えするのが東京ですね。
スケートボードって都市の遊びなので、ある程度まちもかっこよくないと映像もかっこよく見えないんです。
──東京のまちのかっこよさというのはどの部分に感じているんですか?
ヨーロッパは昔から使ってきた建物を繰り返し長く使っていて高さも揃っている一方、東京は基本雑多でごちゃっとしていると思うんですけど、シュッとしたビルや煌びやかなネオンなどが映像映えしてかっこいいなと思いますね。
いわゆる新宿ゴールデン街とか渋谷ののんべい横丁のようなノスタルジックなかっこよさではなくて、ちょっと近未来感あるというか金属っぽい感じのところですね。そこに憧れて東京に来るスケーターも多いと思います。
特に「Dylan Rieder And Sammy Winter at Tokyo (Gravis)」というビデオでは、そんなネオンを生かした編集や色の補正がかなり話題になっていました。
──サイバーパンク的とも言えそうですね。東京は海外からは無機質な感じのイメージを持たれていて、サイバーパンク的なイメージの作品の舞台として使われることはありますよね。アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』であったり、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』であったり。
僕らみたいな地方出身者がそうですけど、そういう東京をビデオで見てきたので、そこで滑るということに漠然と憧れてきたというのはあるかもしれませんね。
──お話を聞く中でカルチャーメディアのCINRAさんのインタビューで話していた「都市を記録する」という視点を思い出しました。スケートビデオでは広角レンズが多用されていて、街の様子を映すことを意識している。
ストリートスケートの映像を残すことで、街並みを一緒に残すことをされていて、それは間接的に都市に新たな視点を与え得るアーカイブにもなると思います。そういう活動をもっと積極的に発信してもいいかなと思いました。
多分スケーターはそこまで考えてないですね(笑)
街並みを残すということについてそこまで意識していないと思いますが、スケーターにとっての「まちのイメージ」というのは、有名な観光スポットではなく、自分達にしか分からないスケートスポットで構成されていると思うんです。
例えばバルセロナだったらサグラダ・ファミリアではなく、MACBA(バルセロナ現代美術館)だしSants(サンツ駅)だし。ロンドンだったらサウスバンクだしストックウェルだし。
そんな一般的には光の当たらない場所のアーカイブをしている、という意味はあると思っています。
──先ほどの街並みのかっこよさの話を聞いて、スケーターの方は都市を観察していて、都市景観に敏感なんだなと思いました。
なるほど。その視点はありませんでした。今のお話を聞いて、やっぱりスケーターは街をつくってるひとたちと話す機会がないんですよね。かけ離れすぎていて。
──スケーターの人たちが「この街にこういう面白いものがある」って知っている可能性はありますよね。
スケートボードショップ、スケートパークのコミュニティ性
──最近公開された『mid90s ミッドナインティーズ』という映画では、スケートボードのショップが街の子どもたちにとって大きな役割を果たしていたことが描かれていました。
小林さんが駒沢にスケートボードのショップを開くにあたって、どういう場所をつくっていきたいかなどの考えはあったのでしょうか?
それこそ、『mid90s ミッドナインティーズ』で子どもたちが溜まっていたように、溜まれるような場所にできればと思っています。
この場所(ショップ内)にモニターをつけてベンチ置いたのも、若い子たちが駒沢公園で滑ってストリートに行く前に、ちょっと休憩して雑談とかする場所やコミュニティをつくれればなと思って設置したんです。
──なるほど。オープンしてからその狙いはどうですか?
中学生のスケーターの子とかが友達を連れてきて、みんなでここに座ってレッドブル飲んで、ビデオ見てあーでもないこーでもない、とやっていて、良い画だなと思っています。
昔は、スケートパークはそういう若い子が集まる場所でもあったんですよね。家でも学校でも居場所がない子でも集まれる受け皿としての機能もあった。いわゆるサードプレイスみたいな。
今、パークがどんどん練習場みたいになってきちゃっているので、そういう役割の場所が他に必要になってくるのかなと思っています。
──確かに、私たちもパークを完全に練習場として捉えていたかもしれません。
昔は、パークに来て滑らずに喋っているだけの人とかいたんですよ。ただただ座って世間話して。
そういう雰囲気があることで学校に行けてない中学生とかがふらっと来ることができて、彼らの居場所になっていたみたいな面はあると思うんですよ。パークに行くと年上のお兄さんがいて、非行に走ろうと思えば走れてしまう若い子に「そういうことをするのはやめろ」と教えたりとか。
実際、僕の地元の知り合いの子どもは複雑な家庭環境にいるのですが、スケートボードしているから社会に繋ぎ止められているみたいな感じがあったりするんですよね。
──ひとつのコミュニティに縛られすぎると袋小路になってしまうので、別の場所があるというのは確かに良いことですね。
もちろんパークは大々的に「ここはシェルターで、保護します」というのではないんですけど、いつ来ても良いという感じがある。スケートボードにはそういう側面もあるのかもしれません。
──常に開かれている。
デッキ1枚持っていればいきなり知らないスケーターに声をかけてもいいし、そういうオープンなコミュニケーションが普通ですからね。
昔は街中にそういう受け皿のような場所はあったじゃないですか。特に駅前とかって昔はそういう場所だった気がします。
そうではなくて、目的があってもなくてもそこに居続けられるような場所が欲しい。
松本の「花時計公園」にあれだけ人が集まったり、スケーターが集まっていたのは、やっぱり座れる場所があったからだと思うんです。今の日本は綺麗になりすぎちゃって、効率化されすぎているので、余白があるといいなあと思います。
開発して新しいスポットが生まれるのは面白いですけど、全部お店にしたり、何かできる場所にしたり、そんなに詰め込まなくてもいいかなと思います。
ストリートスケーターも無責任ではいられない
──最後にメッセージをお願いします。
今いっぱいできている、どこかの街のはずれにあるスケートパークじゃなくて、まちの中にスケートパークができると良いですね。
今回、話をしていて、僕らもまちの人と関わりを持てるような場所が欲しいなと改めて思いました。やっぱりお互い誤解が多いのではないかと思います。
──これまでの話で、ストリートスケーターもまちのことを考えているし、それは座れる場所が欲しいとか余白があると良い、というスケートボードをしていない方の視点とも共通していると感じました。
目指すところは同じなので、それぞれが異なる視点でまちにコミットできるようになるとより良い街づくりになると感じました。
僕らもまちの人のことを理解したいと思いますし、オリンピックを見てスケートボードのことをかっこいいと思った人にも僕らのことを知ってほしいと思っています。
それにはやっぱりコミュニケーションが少ないのが問題だと思いますね。「俺らアングラだから」とか言っている人がいることも事実ですけど、それだけでは何も解決しないと思っています。
スケートボードは今、かなり転換期にあると思っているんです。下手なことをすれば、法的にストリートスケートボードが全面禁止される可能性がある。
──オリンピックで注目を浴びてしまっているから、ということですね。
オリンピックで注目を集めたからだと思うのですが、これまであんなにニュースになることはなかったので。
過去に敬意を示しつつ、ストリートのスケートボードの未来を考えなきゃいけない時期に来ているのかなと。ただ「かっこいいからいいっしょ」では無責任かなと思っています。
──それぞれが街づくりに関わる者として、コミュニケーションを取りながらお互いを尊重し合える場所をつくっていけると良いですね。本日はありがとうございました。
(収録日:2022年12月21日)
小林さんはオリンピックをきっかけとしたスケートボードの盛り上がりがストリートにとってもひとつの転換点だと感じているそうです。
一部のスケーターのマナーが悪いという現実を認識しつつ、ショップに集うスケーターたちへの啓蒙や、スポットを守ることの大切さ、スケーターがいるからこそできるまちの治安の維持の話などをされていて、意外とも感じる話題がたくさんありました。
今も実際、スケートボードが様々な場所で問題になっているのも事実です。
ただ、「禁止」を謳う商店街などの人たちも、決して心から排除したいわけではなく、できれば共存をしていける道がないかと感じている人たちも多いと感じています。
お話する中でアイデアとして出た「まちの夜回り隊」として、スケートボーダーチームがいたりすることで何かが変わるということもあるかもしれません。
スケートボーダーと住民がお互いに歩み寄ってもっともっと分かり合うようになれば、「スケートボードするならLAへ行く!」ということだけでなく、日本のまちでも、クールに滑る、トリックを決めるシーンがより多くの人にカルチャーとして認知される日が来るのかもしれません。
日本が誇れる競技としてはもちろんのこと、スケートボードがクールなファッション・音楽を楽しむ文化のように浸透されている街づくりができれば、と思えるインタビューになりました。
聞き手:福田晃司、小野寺諒朔、今中啓太・齊藤達郎(NTTアーバンソリューションズ総合研究所)
構成・編集:福田晃司
編集補助:小野寺諒朔、春口滉平
デザイン:綱島卓也