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まちをブラブラするという価値の耕し方|「都市空間生態学から見る、街づくりのこれから」vol.6

2015〜2020年にかけてNTT都市開発・東京大学Design Think Tank(DTT)・新建築社の3者で行われた共同研究「都市空間生態学」の紹介と、それに紐づく「いま考えるべき街づくりのキーワード」を、同研究の主任研究者を務めた木内俊克氏が紹介します。当時の試行錯誤を振り返りながら、いま私たちが街づくりを考える上で必要なエッセンスを発信します。

文:木内俊克


まちをブラブラすることが好きだ。

特に、研究の対象地とするまちを探しにブラブラしているときは実に楽しい。辿ったことのない道を選び取り、目に飛び込んでくる風景、肌をなでる風や空気の湿りけ、かすかな香り、そこにいる人の気分や人がいた痕跡、それらの感覚を頼りに辿る道を選び取りながら、同時に辿ってきた記憶をあたまの中で整理しては、まちの骨格や特徴を読み取る。

まちのイメージを探りながら、その先に今は見えていない何かに出会うかもしれない瞬間を待って、積極的に漂い続けている時間ほど想像力が刺激されるものはない。

ただこう書くと、ブラブラはあくまで散歩の話に聞こえるだろう。実際それが基本中の基本なのだが、散歩に限らず、たとえば自転車には自転車の、車には車のブラブラがあって、それぞれの良さがある。

さらには、物理的な移動に限らず、情報空間のブラブラも実はブラブラであり、もっと言えば人生の過ごし方といったものにまでブラブラは拡張できるとも言えそうだ。二拠点居住や移住は、それまでの暮らしや人間関係に+αを付け加えるという意味では、その一例かもしれないし、ワーケーション、パートタイム的な時間の使い方もついでに受け取れるものは受け取りたい、時間があまっていれば付加的に何かを達成したいというモチベーション的にブラブラと言えるかもしれない。

つまり仕事も余暇も生活も、ついでや偶然を取り込みながら価値を多層化し、切り分けるものでも、一つの場所や時間の使い方に縛られるものでもなくなってきつつあるのが、コロナ禍を経た2020年代のリアリティだと考えてみたい。

連載がはじまってから既に5つの記事を紹介してきた。vol.1では、街づくりの多能工になってはどうかというすすめについて。つまり、誰しもがまちをつくる主体になれるし、なった方がより楽しいという話。vol.2では、他者との対話が求められる街づくりでは、生活者目線に立つことで、立場を越えた議論がつくれるというポイントについて紹介した。vol.3, 4, 5は、もっぱら人と価値を共有するツールの話。生活者目線に立つと言っても、自分が感じた経験や感動を人に共有できなければ、目線を揃えるのはむずかしい。であれば、特に筆者が「温度あるデータ」と呼んでいる経験的な価値を伝える媒体に注目することを提案した。

では、経験的な価値を伝えられるツールが整ったとして、生活者の目線からまちの楽しさについて語るとして、どんな経験こそ価値として人と共有したいだろうか。筆者が思うに、そこに浮上するのが「ブラブラ」なのだ。

ブラブラが誰かの生活に新たな感覚を呼び覚まし、普段の暮らしの中にこれまで経験してこなかった発見や刺激を活性化できたとしたら、それは立派な街づくりではないか。ブラブラがまちでの新たな価値発見につながれば、そのとき誰かにとって、まちの価値は確かにそこでつくられているはずだ。

まちをブラブラして都市を読み直す


まずは基本中の基本、まちに出てブラブラすることにどんな意味があるのか、あらためてそこから見ていこう。

まちには、見えると見えざるとに関わらず、そこでの生活や文化に確実な影響を及ぼしている環境のふるまいがあることは、多くの研究者により指摘されている。

2000年代初頭に書かれた、中谷礼仁の「先行形態論」[*1]、あるいは宮本佳明の「環境ノイズエレメント」[*2]はその代表格だろう。たとえば中谷は、大阪にかつてあった大塚山古墳の形状の一部が残存してできあがった、現在の住宅街にとってはおよそ似つかわしくない円弧状の道路を例に挙げ、都市には、「私たちに先んじて存在している自然・都市・建築的スケールにおける形態要素…が私たちの生活を予想もしなかったほどの大きな力で左右している」メカニズムがあることを指摘している。

*1 中谷礼仁『セヴェラルネス+ ——事物連鎖と都市・建築・人間』(鹿島出版会、2011年)所収。本書は『セヴェラルネス——事物連鎖と人間』の増補版であり、「先行形態論」が追加されている。『セヴェラルネス』の石川初による書評「連鎖の勧め」(10+1 website)もおもしろい。興味のある方はぜひ。

*2 宮本佳明「環境ノイズエレメント──風景の加工性」『10+1』 No.29 (特集:新・東京の地誌学 都市を発見するために|INAX出版、2002年)所収。

特に地形が誘因する都市のパターンは面白い。たとえば、東京の低地部と台地の境界線に沿ってブラブラしてみると、台地の突端に特徴的なインフラや施設にくり返し遭遇することに気付くだろう。たとえば秋葉原からお茶の水に上がっていく途中、昌平橋から聖橋に向かって見上げる神田川沿いの景観は有名だが、台地のとば口で交錯する鉄道、台地側の突端の寺社とその緑、切通しの人工の掘り、川沿いの小ビル群、高架橋、高架下の商業施設まで、東京の地形が生み出す典型的な風景があつまってこの景観が生み出されていることがわかる。地形なら地形と決めてその特徴に沿ってまちをスキャンするように探索することは、都市を要素に解体し、その成り立ちを紐解くサスペンス的な楽しさを与えてくれる。

昌平橋から聖橋に向かって見上げた神田川沿いの景観。
撮影:編集部

筆者が取り組んだ都市空間生態学研究でも、研究対象の選択にあたっては、既存の都市構造を別の目線から読み替えていく切り口を探っていた。そこで着眼したのが、「駅と駅のあいだ」という視点だった。

2017年の研究対象となった、台東区の三筋、小島、鳥越エリアは、浅草橋、浅草、蔵前、御徒町といった鉄道駅としてもメジャーな界隈に囲まれながら、2000年に大江戸線が開通するまで、都心にもまだ残されていた鉄道網のアクセスから抜け落ちたエリアであった。大江戸線が開通した現在では、JRの御徒町駅、浅草橋駅、あるいは大江戸線の新御徒町駅、大江戸線/浅草線の蔵前駅からのいずれかからは徒歩10~15分も歩けば行けない場所はない、むしろどの線にも出やすいというエリアになった。

しかし、特に蔵前橋通りから一本入った、エリアの中心付近にある通称「おかず横丁」など、訪ねてはじめて、こんなレトロで味わい深い商店街がこのエリアに残されていたんだと驚く人も少なくない。日本の都市部は、発達した公共交通により駅中心に成り立ったまちの構造が支配的であるからこそ、「駅と駅のあいだ」に着眼すれば、どの駅に所属するでもなく、まだ開発も入りきっていない、時間をかけて成り立ったまちの表情や地域性など、駅前的価値のオルタナティブが存在するはずという仮説があった。

おかず横丁

一方で、「駅と駅のあいだ」として残されたエリアが、ただ視点を変えるだけで新しい価値を引き出せると確信する為にはもう一つアイデアが必要と感じていた中、議論にあがってきたのが「シェアサイクル」だった。

交通アクセス的に便利とは言い切れない場所だからこそ、オルタナティブな魅力がある。ただアクセス性が劣ること自体を価値に読み替えたい。そこに2015年当時、ヨーロッパなどでは既に普及が進み、日本でもちょうどこれから広がっていくという転換期にあったシェアサイクルが入ってきさえすれば、三筋、小島、鳥越をまとめた程度のスケールが、自転車で移動するにはやや小さすぎるぐらいの利便性の高いエリアになる。

そして自転車でブラブラしていると、昭和のころからのレトロな商店街や、古くて安い物件に若いクリエイターが入って開いたアトリエや店舗などが、なつかしく親密な日常的な暮らしの風景の中に点々と現れて見つかる距離感が、途端に宝探しのような魅力的な要素として輝きを増してくる。そこに気づいて研究は加速した。

都市空間生態学での試みについては次回以降でまたくわしく紹介することを予定しているが、このように交通モードを意識して新しいモードでのフィジカルなまちのブラブラを可能にしたり誘導することは、今までつながりが見えていなかったまちの要素を一つの魅力的なまとまりに転換しうる、つなぎ直して魅力を再編集する街づくりと言えるだろう。

つながりのブラブラから都市を読み直す


2017年9月、10+1 websiteの記事で「東京の〈際〉」と題された特集があった。既に概念として認識されている行政区としてのまち、駅を中心としたまちの広がりに対し、その〈際〉について考えるということは、そうした既存の街の概念を解体して、再編集する働きを持つ潜在性がある。

そこに大きな可能性があることは上述の例でも注目してきたところだが、特集の中で、筆者にとって特に興味深い視点を提供していたのが、上妻世海氏による「「東京の〈際〉」を制作せよ──関係の写像を超えて「未来」を拡張するためのプログラム」と題されたテキストだった。

上妻氏は、まず〈際〉の概念をSNSがネットワークする人間関係について当てはめて、いわゆるフィルターバブルになりかねないSNS的な人と人のつながりに対し、その関係を外側に開くきっかけになるものを総じて〈際〉であると定義する。次にそうしたきっかけさえあれば、都市における場所はどこでも〈際〉になりえる可能性を持つのだと指摘している。

さらにそうした〈際〉になりうる場所は、決まった人しか出入りしない場所であるよりは、偶然の出会いを可能にする場所であるという指摘が続く。また、何気ない会話やちょっとした声のかけ合いから、互いを知らない人同士のコミュニケーションが生まれる〈際〉としての場をつくることこそが都市の役割なのだと意識できれば、誰にでも、そうした場=人のつながりを生む仕組みとしての都市はつくれるはずだ、とも上妻氏は喝破している。

上妻氏の指摘はいま読み直しても示唆に満ちており、地縁や血縁的な強い人と人のつながりより、元来あまり関係のない人と人の偶然な出会いの方が創発的な活動を生み出す潜在性が高いとしたウィークタイの議論を思い起こさせられる。

そこで本記事では、こうした意味での偶発的な人とのコミュニケーションを「つながりのブラブラ」と呼んでみたい。そしてその先について考えてみると、コロナ禍以降、総じてメタバースと呼ばれている今までのインターネット空間ともSNS空間とも異なる質のオンライン空間が広く開かれつつあるいま、あらためて「つながりのブラブラ」を可能にし、人と人の関係をつなぎ直す、物理的、情報的、あるいはその両者にまたがる場をつくるという意味での街づくりの可能性が見えてくるのではないだろうか。

ブラブラするをいかにつくるか


2015年に川津昌作により書かれた「都市の回遊性の概念化に関する考察」[*3]という論文に、ここまで議論してきたブラブラに該当するような概念として、都市の「回遊性」について興味深い論が提示されている。

*3 川津昌作「都市の回遊性の概念化に関する考察」(『日本不動産学会誌』第29巻第1号(2015年6月))
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jares/29/1/29_95/_pdf

同論では、回遊性に対する明快な定義が与えられていて、まず「回遊性とは消費者の初動目的に付加する回遊行動の流量である」という。ではそこで言う「回遊行動」とは何かというと、それは当初の計画や目的に沿って行動しながらも、「周辺をサーチして得た選択肢」をついでに付け足す行動のことで、それにより「より高い付加価値を消費して、初動の目的を超過する満足を得、それが人の成長に大きく貢献する」ようなものであるとしている。

たとえばこういうことだろう。まちを散歩している、何となくいい路地が目に入る、曲がってみる、するといままで気づいていなかったけどおしゃれで雰囲気のよい店があったので入ってみる、頼んでみたケーキがすごくおいしい、それが楽しくなって、それからは散歩といえば知らない道でもついでに寄り道することが決まりになり、今では穴場のおいしいカフェを人に紹介できるほど、各地の路地カフェにくわしくなった——。そんなまちの楽しみ方を指して川津の回遊性は定義されているわけだが、あらためてその型を整理し、「ついでに……してみる」という行為が想定されるどんな活動にも回遊性の概念が拡張できることの指摘は注目に値するものだ。

同論では、「回遊性」を実効的に高められている事例として主に挙げているものが、むしろロールプレイングゲームビジネスや、川津が「情報デベロッパー」と呼ぶAmazonによるオンラインマーケットなど、主に先端的な情報技術を投入した情報空間の事例、特にひとつのプロダクトやシステムとしてパッケージされた事例に限定されている点には不満が残るところもある。しかし、初動目的の達成満足を越えた付加価値により与えられる満足が都市の魅力であり、その蓄積はが人がまちに対して感じる価値を向上させるという分析は示唆に満ちている。

ここで本稿で着目してきたブラブラに戻ろう。川津の定義によれば、まちをさまざまな交通手段で探索するかたちでも、ちょっとした人とのつながりを意識的にふやしてみることでも、ある目的に向かう中でブラブラし、単なる目的達成に限定されない、偶然の価値回収ができたとすると、誰かが経験したところのまちの回遊性が高まったということになる。そして、そのとき誰かの中で育まれているはずの、「次もここに来てみよう、また大切な誰かを連れてこんな時間を過ごしたい」というまちへの期待値が蓄積されたとしたら、そのときまちの価値は上がったということになる。

ではそうしたブラブラはどうつくることができるのだろうか。

少し遠回りにはなるが、次回、次々回の記事で、まずは都市空間生態学をとおして得られた、本稿で論じたところのブラブラに関する知見を、もう一度より具体的に振り返ってみたい。そして、それらの振り返りを経た後、では2022年度現在、何をもってこれからの街づくりを展開していくのか、なるべく具体的なケースにおいて設定しうる、等身大に考えられる街づくりについて考えていきたい。

木内俊克(きうち・としかつ)
京都工芸繊維大学 未来デザイン工学機構 特任准教授/砂木 共同代表
東京都生まれ。2004年東京大学大学院建築学専攻修了後、Diller Scofidio + Renfro (2005〜07年)、R&Sie(n) Architects (2007〜11年) を経て、2012年に木内建築計画事務所設立。2021年より株式会社砂木を砂山太一と共同で設立。Web、プロダクト、展示、建築/街づくりの企画から設計まで、情報のデザインを軸に領域を越えて取り組んでいる。教育研究活動では、2015~2018年 東京大学建築学専攻 助教などを経て、2022年より現職。2015~2020年に在籍した東京大学Design Think Tankでは、このnoteでも取り上げている「都市空間生態学」の研究を担当。代表作に都市の残余空間をパブリックスペース化した『オブジェクトディスコ』(2016)など。第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示参加。

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イラスト
藤巻佐有梨(atelier fujirooll)

デザイン
綱島卓也(山をおりる)