見出し画像

46歳の春、一人暮らしを始めた話。

いつもよりほんの少し長めに東京へ行ってきた。
そしてサブカルの街に娘を置いて、中野からディズニーシーを経由して、わたしは1人で自分の住む町に帰ってきた。

これまで、この出来事を誰かに事細かく聞いてほしいような、誰にも言いたくないような、そんなボヤッとした場所にわたしはずっといた。

とっくにスタートしている新しい生活に、わたし自身が納得できず、腹を括れず、腑に落ちず。

新しいアパートへ引っ越してもう1ヶ月以上が経つのに、
犬より落ち着いてないのが飼い主のこのわたしだ。


これまでずっと、娘が高校を卒業したら2人で一緒に上京すると公言しまくっていたので、周りのみんなが「あれ?」っとなっていることに薄々気付いている。
わかる、その気持ち。
わたしも同じ気持ちだから。

娘が高校2年生の頃、コロナがスタート。
それから卒業にかけてどっぷりコロナ禍に突入。
一旦上京することを延期して、娘は2年間の専門学校へ通うわけだけれども、この2年間に驚くほど親子の関係性やお互いの考え方が変わってしまった。

娘はどんどん成長して親離れも進む。
わたしはどんどん老いていく。

この2年の間にわたしには新しい土地に移り住む勇気が1ミリもなくなってしまったのである。

びびった。チキった。無理だった。

それと同じくして、今の仕事を始めて一年が経って、そこだけはなぜか自信を身につけてしまった。
手に職もない、取り柄もない、お金もない、人望もない、外の世界をなんにも知らない、温室生まれ温室育ち、そしてポンコツの中のポンコツのわたしが、なんだかちょっと社会というものでやっていけてるのではないか!?!?というような自信である。

それだけが生きる希望といえば大袈裟に聞こえるけど本当にそうだ。
選択肢はいくつかあったけれど、わたしは1人でこの町に残る選択をした。
できる仕事があるから。


だけど住んでた家は出なくちゃいけない。
そうと決まったらすぐにアパートを決めた。
気持ちがぶれてしまわないように。
もう悩むことにも疲れちゃったんだな、正直なところ。
息を吸うたびにあーでもないこーでもない、
わたしは息を吸うのも嫌になってしまっていた。


これからも娘とできれば一緒にいたい、近くにいたい。
けれど子供は成長するもの、巣立つもの。
離れる時がきただけの話。
娘に自分の人生をきちんと自分の足で歩んでほしい。
夢を追いかけて、叶えてほしい。

娘は専門学校を卒業して夢を追って上京。
わたしはこの土地に残って、今の仕事をできる限りがんばる。

これが母子家庭、2人暮らしおしまいの話。
お互い、それぞれがそれぞれの場所で一人暮らしをスタートさせた。


地元に帰ればいいって意見もたくさんいただいておりますが、地元を離れて28年。
そこは知らない土地と同じ。
(バカタレが)

ただ地元に帰れば親と兄がいる。そこだけかな。
そこが今もずっとひっかかってる。

でも多分そこだけじゃない。

はっきりとわかるのは、わたしはこの話をすることを避けている。この話をすればするほど自分のバカさ加減に呆れてしまう。気づいてるけど気づかないふりをしてるバカっぷりに呆れ返って嫌気がさす。
だから深く考えないようにしているし、人にも言わない。
そりゃ腑にも落ちてるわけがない。納得もしてるわけがない。

でももう始まっちゃってますから。


この選択をいかに結果オーライに繋げるかはわたしの腕次第。

バカでバカでどうしようもないけど、もうここまできたら楽しむしかない。
楽しく生きるしかねえンだワ!

わたしは、今回の東京行きをひとつの区切りのように考えていた。
大掛かりなプロジェクトが終了したと思っている。
なので終了。
もう腑に落ちてない場合ではない。
わたしは1人を大いに楽しむ。

それっきゃないッッッ☆


いい女はミステリアスであるべき。
どうして家を出たか、わたしの引っ越しから娘の引っ越しまでの空白の一ヶ月、
そこは永遠の謎にしておきますね。


中野サンプラザがなくなるって言うから最後に宿泊してきました。
良いホテルだった!
ありがとう、中野サンプラザ。
(一回しか行ったことないけど)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?