自己の存在する場所

このところ、自己に向き合っていない人と関わると疲れるな〜と感じることが多い。何を話しても自己から発する自分の言葉のフィルターを通して返ってこないので、その相手と私との間にはコミュニケーションが生まれていないのだと思った。

2人で壁に向かって、それぞれが壁打ちしているのと変わらない状況で、いくら同じコートに存在していてもボールがやり取りされることはないのと同じ。

自己ってなんだろう。幼稚園や保育園に通うことになり、初めてぬくぬくとした自己の延長のような家庭から抜け出して、完全なる他者がいる環境に遭遇する。そのとき感じるあの「自分」と「他者」の境界が自己なんじゃないかと思う。

他者を意識したときに自己が生まれる。死を意識して生が生まれるみたいなものなのかもしれない。

自己への興味が薄い人は、他者への興味も薄いから、自分のフィルターというものが存在しないのだと思う。自分の言葉でコミュニケーションをとってくれない相手は、ただ私という人間に興味がないのだなと思うことにしていこう。


いいなと思ったら応援しよう!

gura
最後まで読んでいただけて嬉しいです。 興味をもっていただけたら、♡お願いします。