BLMに関する否定的な感情

※この文章はソースのない観念的・感情的な表現が含まれています。

 この件について否定的なコメントをすると必ずつくコメントが「アメリカの黒人の歴史について勉強しろ!」というやつ。じゃあアメリカの歴史はあんまり知らないから黙っていようか、と思うと一方で「無関心は差別を肯定している!」という声もある。そりゃ私だって差別を肯定するつもりは毛頭ない。アメリカで黒人が法律上平等になっても社会構造的に弱く、また理不尽な扱いを受けるケースがあるのも知識として知っているし、改善されるべきだと考えている。でも、今この運動に乗れなきゃ差別者扱いは全くもって納得できない。そもそも黒人を日常的に見ないし黒人だけを狙った警察の暴力も観測されない遠いこの国でこの運動に乗るのってそれこそ勉強必要じゃないの?アメリカで起こっていることは世界中で注目されて当然だと思ってるアメリカの自己愛が嫌いだ。​

 そもそもこうやって大きな運動になる前の、一般アメリカ国民たちは何をしてたの?寝てたの?黒人の歴史を知らなかったの?自分たちが解決できなかったことなのになんで今になって他の国を巻き込んで非難できるの?ドナルド・トランプを大統領にしたのも黒人を奴隷にしたのもネイティブアメリカンを殺戮したのも全部そっちで起きたこと。こちらに責任を転嫁するな。​

 白人がやってきたことに対して黒人の堪忍袋の緒が切れるのは当然で、その構造を支えてきたアメリカ白人自身が今黒人と一緒に怒ってるのはなんの冗談なんだろうか。こういう、変わらない傲慢さを見ていると彼らは対象を変えるだけでいつまでも同じことを繰り返すんだろうな、と思ってしまう。
BLMがALMへの移行を否定したのは、問題のすりかえを許さなかったからだ。その文脈で見ればBLMは他ならぬアメリカの問題で、それを極東アジアまで拡張するのはおかしくはないか。日本にも差別がある。それは日本で解決しなければならない問題だ。それはBLMとは別ものであって、むしろ安直に運動の名前を借りてきて相乗りすることこそ非難されるべきではないのか。

 連帯を表明したり同調して支援するのは好きにしたらいい。しかしそれをしない者を加害者呼ばわりしたり勉強しろやら遅れてるやら言う考えは私には受け入れられない。

 ましてや昨今この運動の名目で行われていることは彼らの考える「差別者」の炙り出しであって、所謂正義とは完全に逆方向に進んでいるように見える。だから私のこの問題に関する基本的なスタンスは「黙っている」だが、それは何も考えていないということではないぞ、ということは明確にしておきたい。

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2020.6.30追記
>連帯を表明したり同調して支援するのは好きにしたらいい。
これはちょっと突き放し過ぎたかな。私としても差別をなくすことそのものには大賛成だし、それを支援という形で行動に繋げられるバイタリティは尊敬に値すると思う。
ただ総じて他人の為のアクションはとても美しく見えがちであって、今回の運動は物凄く激しい輝きを放っているけど、その輝きにだけ引き寄せられてはいないですか、と問いかけたい。そしてそうじゃないと言う人がいたら、何故今で、何故BLMでなければいけないのか私に教えてほしいと思っている。

お寿司を食べます。