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それ、何の話?指の話。

中学生の頃の授業中の思い出。断っておくが、甘酸っぱい青春の話とかではない。気持ち悪い話だ。

中学理科の教科書に載っていた、柔毛のイラストを見るシーンから始まる。
あの、趣味悪めのひだひだマイクロファイバーバスマットのような気持ち悪い画像を見ている。理科の教科書の中で、シダ植物の胞子嚢と並んで「気持ち悪い画像」の2台巨頭となっているあの画像。

隣の席の女子は「あの画像だけは見たくない」と言って教科書を鋭角に開いて見ないようにしていた気がする。男子がいると声が1トーン高くなるタイプで、たぶん雷とか鳴ったら怖くなくても「キャー」とか言う系だった。たぶん、いきなり柔毛の画像をバーンって見せても「キャー」って言うだろう。別にけなしているわけではない。男子だってみんなカッコつけている。そういう女子が嫌いなわけでもない。ただ、僕は忘れない。テスト返しの時、僕の机にいきなり自分のテストをベチーンって叩きつけて泣き出したことを。僕が悪い事言った、みたいな空気になったじゃないか。許さん。

柔毛の画像は、僕も見ると鳥肌が立つくらいには嫌悪感があった。いきなりバーンって見せられたら「キャー」って言うだろう。その一方で、心の準備さえ整えば、怖いもの見たさ、というか、本能を克服した万能感というか、まあ、見ることに抵抗を感じつつもしっかり直視することで一種の快感を味わうこともできた。

そして、せっかく「気持ち悪い」の壁を越えて直視したのだから、柔毛に対して様々に想像を巡らせなければもったいない。サンクコストはしっかり計算する。毛細血管からブドウ糖とアミノ酸を吸収している、とか覚えてテストで数点取るくらいでは元は取れない。仕方ない。この突起物を全部抜いて、ツルツルにしてやろう。

そう思った僕は、脳内で柔毛をひたすら抜きまくる。若干の弾力があり、繊細なそいつは、絶妙な力加減で引っ張らないと、きれいに根元からは抜けない。1つ、きれいに抜くことができると気持ちい。途中から、角泉を抜く楽しさまでも脳が再現を始める。空想に対してこれだけの再現度を発揮できる僕の脳も大したもんだ。気づけば制服も緑がかった手術着に変化している。先生の声も全く耳に入らなくなり、たった一人の世界で柔毛を抜く。

ツルツルになった小腸の壁に満足した僕は、心地よい満足感と疲労感を感じながら、大きな欠伸をする。
その時、視界に映ってしまった。
口元を覆うために持ち上げた手についた、5つの突起物が。
いつもなら、自分の手を見て「気持ち悪い」なんて思わない。だが、この時だけは違った。僕の脳は、五感を麻痺させるほどの集中力で肌色の突起物をひたすら抜きまくる作業をしていた。その勢いはすさまじく、指まで柔毛に見えていたのだ。自然に左の手で右の指をつかむ。少し遅れて脳が「これは柔毛ではなく指だ」と気づく。

急速に脳は現実の処理を始める。授業はもう終わりに差し掛かり、何人かはすで顔を腕にうずめて眠っていて、隣の女子はかなりの量の板書をすでに書き終えていた。「キャー」系だけど真面目だ。よいことだ。ノート提出までに見せてもらおう。たった一人の世界から、いつも通りの教室に戻ってきた。ただ、一つ新しい感覚を脳は持って帰ってきた。初めて、自分の指に気持ち悪さを催した。

僕も最初は受精卵だったはずだ。一つの球体。それがどんな形をしているのか、あまりよく知らない。でも、それが細胞分裂を繰り返してだんだん複雑な形になっていく様子を想像した。ヒトデみたいになって、そのヒトデの足の先端がまたヒトデみたいになって指ができて、ニョキニョキしながらヒトの形に近づいていく。ヒドラの成長を連想する。美しかった球体の体が、徐々に気持ち悪さを増していく。

指を失い、腕を失い、足もなくなって、そしたら不便だろうな。でも、それが元々の僕の姿だったわけで。ちょうどその2年か3年前に、スティーブジョブズがiPhoneを発表して、その無駄のない美しい躯体に世間が驚いた空気を覚えていた。同じように、人間も…と、思いかけてブレーキをかけた、中学生の頃。

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