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人の中心に置ける音楽が作りたい

いつどこで誰が聞いても、聞いた人を素晴らしい日常に連れていく音楽が作りたい。消費されるものじゃなくて、聞いた人の一部になるものが必要だと思う。誰かがその音楽を自分の中心に据えた時に、そうして良かったと思えるアルバム。

理由はよくわからないが、昔から日常的に虚しさを感じて生きてきた。
虚無感。それ自体は苦しい感覚ではない。静かで穏やかな感覚だ。でもその感覚は、今まで積み上げてきた自分にとって価値があるものを否定する。それが何時もつらいのだ。
19歳~23歳ぐらいまで、そういう感覚に陥った時のためのアルバムを作っていた。最悪の気分の時に聴くとちょっとだけマシになれる音楽が必要で、結構な時間をかけて作った(結局デモまでしか完成しなかったけど。時間がある人はぜひ聴いてみて)。

このアルバムを作り始めた頃はとにかく逃れたくて作ってた。
嫌な気分になった時音楽を作るとなぜか気持ちが落ち着いて、頭が疲れるからかよく寝れた。でも作り込んでくうちにこれじゃ駄目なんじゃないかと思い始めた。慣れてくるとだんだん周期のようなものが見えてきて、いずれ自己否定的な感覚が訪れるだろうという予想が立つ。死ぬまで続くだろうその波に、調子の良い時でもうんざりするようになって来たのだ。
自分の空洞をどうにかしないと生きていけない。必要なのは根本治療だ。

そういう逼迫した感覚が年々強くなってて、また新しくアルバムを作ってる。
人の中心に置ける音楽が作りたい。それがどういうものなのか、正直まだよくわかってない。ただ一つ思うのは、自分自身の空洞を埋めるものは自分自身で見つけ出さないといけないと言うことだ。つまり、僕が作る音楽を誰かが聞いてくれたとしてそれそのものが、その人の空洞を埋めることは出来ないと言うこと。芸術は確かに素晴らしい力を持っているけど、たかが一つの創作物で変えれるほど人間は浅くない。
人間という生き物はとことん意味の世界に生きていて”今ここ”を生きていない。代わりに人間は過去だったり未来だったり神話だったり、どこか別の世界にいつもいる。僕が出来ることは、人間が作る”今ここ”ではない世界の根元にあるありのままの感情へ、別の視点による解釈を提案することだけだと思う。

だから歌いたいことはありふれたことだ。突飛な、非日常的なことを歌っても、根元にはアクセス出来ない。大切な人が死んでしまうとか、誰かを恨み妬む気持ちとか、優しい気分の歌とか、何もかもから逃げ出したい時の曲とか。
そういう誰にでもあることへ深く深く潜り込んで、何かを見つけ出す。その上で全ての感情を、優劣をつけずにただ認めたい。偶然性という無意味へ運命を見出す人間の行いへ賛辞を送りたい。それが出来たなら、自分自身の虚無感もちょっとは影を潜めてくれるんじゃないかと思うのだ。


↑今作ってるアルバム


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