披露宴の友人代表スピーチを全文公開してみる
どうもどうも。
ぼくは普段から「安心」というものについて考えていて、ちょくちょくnoteでも書いたりしている。
「ひとの安心をつくる」という技術は、「医療」の文脈にも、「コミュニティ」の文脈にも、ひとが「幸せになる」という文脈にも共通する、超汎用的でウルトラ重要なコアスキルだとおもう。
ひとに安心を与えられるということは、とても尊いことだ。
それは、誰かを幸せにするにあたって相当重要な要素を占めるとおもうからだ。
その「安心」のことを考えるときに、思い浮かべるのは親友のTだ。
先日、Tの結婚披露宴があり、そのときに考えた友人代表スピーチで「安心するひと」について考えるよいきっかけになったので、なんとなく全文公開してみようとおもった。
<以下内容>
Tくん、Mさん、そしてご両家、ご列席の皆様、本日はまことにおめでとうございます。
ただいまご紹介にあずかりました、Tくんの大学時代の友人、ゆうすけと申します。
Tくんとは一緒に学園祭のステージ企画をやったり、一緒にバンドをやったり、同じ二浪仲間、国家試験の勉強会でも同じ組、そして、同じ教授会にかけられて留年しかけたのも一緒で、学生時代はかなり長い時間を一緒に過ごした、かけがえのない仲間です。
いつものようにTと呼ばせてもらいます。
「スピーチと、スカートは、短いほうが、いい」
これはアメリカ合衆国の時の宰相、スティーブ・リチャードソンのことばです。
というのは真っ赤な嘘です。
都合よく名言っぽい言葉を言いたいときに、このスティーブ・リチャードソンっていう実在しない人を引き合いに出しているのですが、このくだりは、ぼくらはもう15年くらい使い続けているんです。
このスカートのくだりから始まるスピーチを、ぼくの結婚披露宴のときに友人代表としてスピーチをしてくれたのが、Tでした。
Tは、変わり者の多い母校の同期のなかでも、ダントツでモテる奴でした。
癒し系とか言われて、みんなが心を許すんですよね。
男の僕から見ても本当に魅力的なやつですが、その魅力を一言で言うならば、「安心」につきるとおもいます。
人は、自分を安心させてくれる人に、心をひらくんだなあと、Tをみておもいました。
尊敬する精神科医の先生は「安心は技術だ」と言っていました。
彼の「安心感」はどこからくるのか、今回このスピーチをするにあたって研究して、3つのポイントにまとめてきましたので、いまから発表します。
①ひとつめは、声。
彼の声は、いい声です。Tの声をきくと、安心します。
低めのトーンと、ゆっくりとしたピッチ。
圧が強すぎず、きいていて非常に気持ちがいい。
先程の精神科医の先生も「声には技術がある」と言っていましたが、まさに
ベテラン精神科医に通ずるような安心感があると思います。
②ふたつめは、いい意味で「適度に抜けている」という点。
知っている方も多いと思いますが、Tはけっこう抜けています。
学生時代、テストに来ないこととか、2時間しかないバンドの練習に3時間半遅刻することとかふつうにありました。
いい感じで、スキがある。だから、気を張り詰めなくていい。
マウントしてこない。こっちがかっこつけなくていいし、ぴりぴりしない。
それは素でやってる部分もあるし、おそらく、わざとやってる部分もあるだろうとおもいます。
Tのそうした振る舞いは、ぼくらをすごく安心させてくれているとおもいます。
③絶対に否定しない点
3つ目は、彼は絶対に他人を否定しません。
どんな話をしても、ただ聴いて、まず受けいれてくれる。受容してくれる。
人が、一番傷ついた時、つらいとき、苦しいとき、会いたくなるのは、そういう人だとおもいます。
僕らのクラスは、自分で言うのも何だけど、けっこう居心地が良いクラスだったとおもいます。
面白いやつが多かったというのもあるけど、実はその根底にあったのはこの「否定しない」やさしさがあったんじゃないかなとおもってます。
その雰囲気を中心的につくってくれていたのは、まぎれもなくTだったとおもいます。
他にも、Nちゃんとか、OJってやつがいて、そういうやつらがつくってくれていた「否定しない」雰囲気が、僕らのベースにあった。
僕らは実はそれに、すごく守られていた部分があったんじゃないかと。
だからぼくも、クラスから落ちこぼれずにすんだのかな、とおもってます。
Tは、ぼくらのバンドのベースをやってくれていました。
ぼくは「ベース」って言葉が好きなんですけど、ベースっていうのは心理学の文脈では「安全基地」という意味があります。
安全基地とは、「心理的に絶対に安心な場所」のことです。
そこに失われない絶対的安心があるからこそ、ひとは頑張れる。
一歩踏み出せて、冒険できる。
そう考えると、彼がベースを担当してくれていることは本当にはまり役でした。まさしく、ぼくにとっての安全基地だったなと感じています。
そんなTだからこそ、ぼくは自分の結婚式のときのスピーチをお願いしたかったんだなと、改めておもいました。
そして、今日こういう形で、一種の恩返しみたいにスピーチとして返せることが、親友としてすごく嬉しくおもっています。
きょうここにいるひとたちの中でも、ぼくと同じように、すごく辛いときにTの安心感に救われた人は多いんじゃないかなとおもいます。
いまは、すごく安心が得られにくい時代だから、「人に安心を与えられる」ってことがいかにすごいことかっていうのを、切に感じています。
ひとは安心がなければ、幸せにはなれない。
だから、ぼくもTくんのように、人の安心をつくれる人になることが、これからカッコイイミドルになっていくために必要になるんじゃないかなとおもってます。
Mさん、もはや言うまでもないけですが、Tくんは素晴らしい人間です。
ふたりが家庭としてつくる「安心」は、おそらく多くのひとを癒やし、あたため、幸せにしてあげられるのだろうと、確信しています。
すこし長くなりましたが、以上で私のご挨拶とさせていただきたいとおもいます。
本日は、本当におめでとうございました。
いつも読んでくれてありがとうございます。 文章を読んでもらって、サポートをいただけることは本当に嬉しいです。