アメリカで小説を出版するまでの道のり:エージェント編1

私の書き物人生はある二人の男性によって支えられたと思う。一人は14年近く前にクレッグズリストで見つけたおじさんで、初めて小説を書いた後、文法を直してもらうために格安でお願いした。朝の2時でも5時でも、私はいつでもアイデアや不安ごとがあるたび彼に電話した。彼はそれを許してくれる大切な親友だった。「でも、書き続けるんだよ。」私が自暴自棄になっても不安を打ちまいても、幸せでいっぱいでも、彼はそう私に言い続けた。そうして10年間彼は私を支え続けた。

でもあるときから彼は音信不通になった。多発性硬化症を抱えていた彼はその数年前から「字を読むのが苦痛になってきて。文字を追っても意味がわからない」と言っていた。連絡が途切れたのにそれがドラマティックに感じられなかったのは、私の冷たいところなのかもしれないけれど、私たちの交流は私が仕事を始めたあたりから少しずつ希薄になってゆき、連絡が来なくなる頃には私はその状態に慣れていて悲しくなかった。それは今思うと彼の優しさだったのかもしれない。

彼との交流が薄れる中、現れたのが教授のピーターだった。こちらもゆっくりとという感じでそれほど期待をしていなかったのに気がついたら家族ぐるみで支えられていた。彼により、私は履歴書にかけるだけの経験を積まされ、インターンを紹介され、お金のないときはベビーシッターとして雇われ、未知の土地ナミビアに招待され、そして今回は文芸エージェントを紹介された。

「君にエージェント見つけた。彼女に作品を送れ!すごく真面目で、何よりも大変普通の人!」彼からの連絡はいつも突然で笑える。「普通」その一言にも笑える。

そうして私はマーサに出会うことになる。アメリカで文芸エージェントを見つけるのは大変である。私はその時点で20人ほどのエージェントに手紙を送っていたけど、無視のオンパレード。唯一一人連絡してくれた人からは優しいお断りの手紙を頂いた。しかし20人は全く少ない人数で100人以上トライする物書きが普通である。もし、アイオワWriter's Workshopのような名門校を出ていればエージェントたちは作家の卵を学生の時からマークしている。アメリカには無数に文芸雑誌がありその中で賞をとったり、有名な雑誌に載せた作品をマークしている人もいる。そうでもない人々はどうするか、ひたすら手紙を送る。もしくは人づてに紹介してもらう。そのようにして運よく読んでもらってもまだ事務所に入れはしない。現にピーターが以前紹介した人はマーサに断られていた。

ここで大切なのは作品の良し悪し以上に大切なのが、書いたものがそのエージェントの趣向に合っているかどうか。その人の抱える作家とジャンルが被っているかいないか。

編集部にいるとわかるのが私たちが断った作品がどこかで必ずいつかは出版されるということ。つまり作品が悪いから出版しないのではなく、その時のニーズや、私たちのスタイルに合っていないだけなのだ。そう思うと落ち込みが少ないが、やっぱり断られると落ち込む。

エージェントは仲人さん。

作品を送って数日後、ピーターからメールで「よしよし、今のところいいぞー」と短いメールが来た。

そして1ヶ月後マーサからメールが届いた。

(続く)

エージェントのお仕事がわかる映画:「My Salinger Year(原作邦題「サリンジャーと過ごした日々」)






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