息子、友人と遊園地へ行く

16歳の息子は夏休み最後の本日、友人二人と遊園地へ行っている。アメリカはどこにいくにも車が必要で、朝私は3人を車で遊園地まで送って行った。

最後に彼らを私のホンダフィットに乗せたのは彼らがまだミドルスクール、7、8年生だったころ。あれからみんなぐんぐん背が伸びて、前に座った子は足を90度に折り曲げて座っていた。3人ともすごく嬉しそうに最初に何に乗るかの相談を真剣にし、その途中途中、会話は彼らの中学校の思い出話に脱線しながら45分の道中を行った。私は久しぶりに子供達の会話が聞けて楽しかった。

一般的にアメリカの子供は大学生になると家を出る、遠い大学に通ったり、近くでも寮に入ったり。それは親にとって誇らしく悲しい「エンプティーネスト」と呼ばれる現象。

しばらく前に私は息子と話した。彼の小学校からの親友が麻薬中毒になっていた。その子が家でをした当時、息子はそのことについて一切聞かないでほしいと言った。親友は小学校の頃、家によく泊まりに来ていた。シャイででも楽しくて、スポーツ万能でみんな大好きな子。どうして?人種、遺伝、その子が経験した色々な出来事、豊かすぎる感受性。原因が映画のように簡単に特定できればいいのだが、現実はすごく入り組んでいて、難しい。私は彼のお母さんと今でも仲良しで毎週散歩のたびに彼の近況を聞く。いいお母さんなのを知っているから尚更苦しい。その子のことを息子は話してくれた。友人はみんな彼のことを心配していて、息子に限っては彼の親にも電話で連絡していた、「心配だよ。助けて上げて。」そうだよな、友人の変化に気が付かないわけはないよな。

その会話の中で、私の息子が言った。「どんどん大人になる。アホなことを語り合うことは今しかできなくて、そして、あと2年もするとみんなバラバラになって、僕らはどんどん世界に飲み込まれてゆく」その意味がすごくわかる気がした。

気がついていて、それでくだらないことに没頭して、どうでもいいことを言い合う。それは10代の特権でその中で彼らは絆を深めてゆく。どうしようもない自分を決して見放さない友人。そんな人に出会えるのは学生時代。私が当時知らなかったことを息子はすでに悟っている。

彼のI Phoneをトラックすると、乗り物から乗り物へと移動している様子が想像できる。きっと3人ともサンフランシスコ市内の大学には通わないだろう。そう思うとIPhoneの小さな丸でさえ愛おしくなる。



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