アメリカ出版社、上司のジェニーちゃん

2019年の年明け、上司のジェニーちゃんと私は、オフィスの下にあるカフェで二人会議を実行した。ジェニーちゃんはカプチーノをオーダーし、私はチャイを。そして二人で一つのパウンドケーキをシェアすることにした。「ここは私が払うわ!」と彼女は財布を出そうとする私の手を遮った。頼もしい限りである。上司をちゃんずけで呼ぶのは失礼なのかもしれないが、私より10歳年下で、最近婚約した彼女にはやっぱり “ちゃん”が似合ってる。
「鏡子、今年の目標は何?周りのお世話をするだけじゃなくて、あなたのしたいこともするべきよ。」新しいインターンを迎えるための準備をしているとき、ジェニーちゃんは私に言った。「今年の抱負を!」それはジェニーちゃんらしい発言だった。自分がされたいように彼女は私に接してくる。
今日は、その話の続きで印刷した自分のアイデアをまとめた紙を二人で見ながら、私は語った。「あなたの長所を生かしたすごくいいアイデアだと思う!二人でベンに提案してみよう!」アイデアずきのジェニーちゃんの目がいつものように輝いていた。


そのキラキラした目を見ていると、いやーいい上司を持ったな思うと同時に、若いっていいなーとも思う。彼女の唯一の短所は、3ヶ月に一回ぐらい、ニューヨークにあるプロダクションチームに送る書類テンプレートとその流れのオンランタスクの大改造を試みようとすることぐらいだ。すっきり、合理的に仕事をしようよというアメリカンガールという言葉がとっても似合うジェニーちゃんらしい試みである。「いいこと思いついた!」だいたいそんな風な切り出しで、いつも彼女の実験的テンプレートは紹介される。その都度、私は新たなタスクの調整にかかる。ジェニーちゃんの試みは8割がた混乱をまねき、従来のプロセスに戻される。そして、その度私は再び書類の再調整にかかる。それでも、2割の成功により、確実に早く、正確に書類は流動している。時々、「これは混乱を招くだけじゃ」と心の中でつぶやく自分に気がつく。それでも何も言わず調整にかかり(そして再調整にかかる)のは、密かに彼女のいいアイデアを紹介した時のウキウキ感に一緒に浸るのが好きだからだと思う。これは単調な書類作りをエキサイティングなものにしてくれるちょっとしたお祭りなのだ。

 
長いアメリカ生活で学んだこと、それは、クリシェの中のクリシェ、「失敗は成功の元。」どれだけ、的外れなことを発言し、混乱をまねいたとしても、一ついいアイデアがそこから生まれれば、アメリカの人は9割の間違いを忘れ、成功にだけ焦点をおく。単純明快、ポジティブ、定番ハリウッド映画精神!私がアメリカを愛する理由の一つだ。少なくとも私の出会った人たちの多くは、過ちに寛大で、成功に集中型の人たちばかりだ。

大学院入学当時、私はとても静かだった。10年もアメリカにいながら抜けないアクセントと英語をエキスパートにする人たちの中で間違った発言を恐れ、完璧で無難な意見でない限り沈黙を守っていた。英語のスペシャリストが揃う出版社で働くようになった今でも、その傾向は今でも変わりないのだが、今は自分に言い聞かせる、この国は成功は失敗の上にあり、失敗とともに共に繁栄してきたのだと。

ある年うちの出版社はある会員制大型スーパーに本を送り込み、多額のダメージを受けた。その店に読者がいなかったためだ。そのあと、出版者が言った言葉に全て集結される。「ま、実験失敗だね。でも、こうして、僕たちは成長してゆくんだ。」


話は二人会議に戻る。私のプロジェクトの提案が終わった後、私はもっとリラックスしながら話し始めた。「サムにもね、今年の目標は何?って聞いたの。」ジェニーちゃんが言った。サムは編集長。ベンは会社創設者。今年になり、ベンは自分の歳を考え、編集長の座をサムに譲った。サムは少しためらいながらも、光栄だと言って、その座を引き受けた。私たちのところで出版される本の大半が、べんとサムによって買われている。ジェニーも本を買い始め、私はジェニーにその時間を与えるために雇われた。「そうしたらね、サムは」ジェニーちゃんは続けた。「もっと尊敬されるようになりたいって答えたの!」二人で笑った。受け身の文が目標に果たしてなるのだろうか。「される」ということはあまり、自らコントロールできることではなく1年の抱負として成り立たない気がする。笑いながら私はそのサムらしい発言を半シリアスにするチャーミングな上司を愛おしく思った。まさに、白鯨に出てくる、キャプテンエイハブである。
「本当、サムらしい、エゴ丸出しの発言だけど。私が思うに彼はつまり、こう言っているのだと思う。「編集部の強化」」」その寛大で、ポジティブ、そしてビジネスライクな訳。さすがジェニーちゃんである。
「私たちは出版できる本の発掘に追いついてないのよ。サムもベンも忙しい上に、整理整頓能力ゼロの天才肌。だから、ゆきの提案はいいし。そのためにも私は私たちの意見をもっと主張する!」


すっきり、はっきりという言葉がとっても似合うジェニーちゃんのいいところ、其の二 。彼女は誰に対してもフェアで、エゴで仕事を進めない。

インターン当時、私のやっていたこと。それは他のスタッフが送ってきたメールの文章をコピーして一つのグーグルファイルに集め自らの仕事辞書を作る。文法、主に冠詞(aとかTheとか)と句動詞(get upなど動詞と副詞がついになってるもの)の使い方をネイティブからかっさらっていたのだ。仕事のやり取りで必要な文章は意外と限られていて、他人の文章を集めることにより私は自分の英語力を隠すことができた。

雇われて嬉しかった反面、怖かった。これで今まで隠していたことがバレる。働くとなるともっともっといろんな人といろんなやりとりをメールでしなければならない。

そんな時、私の上司となったジェニーちゃんがしてくれたこと。「ねえ、今まで私が作家さんに送った手紙とか一つにまとめてあげようか?」そして、一つ一つ手紙の意図を説明してくれた。彼女のおかげで私は書類の作成の手間がはぶけたし、英語力の乏しさを隠しとおすことができた。ちなみに今も彼女は私が文法チェックを頼むと快く引き受けてくれる。

でも、ほんとはジェニーちゃんは全て知っていたのかもしれない。きっと私の苦労も心配も知っていながら言わないで、必要な手紙だけを差し出したのかもしれない。その手紙辞典を私は今でも使っているが、会社の人に手紙を書くことを恐れることはなくなった。冠詞や句動詞なんてどうにでもなるのだ。ジェニーだけじゃなくて私を雇ったベンだって知っていたのだきっと。だってここに勤める人たちは誰よりも文学、文章、英語を愛する人たち、私が騙せる相手じゃない。

別のところで紹介した通り、アメリカの編集部は85%以上が高学歴の白人で占められている。でもジェニーは、私が移民だからもっと気を使ってとか、上司として嫌われたくないからとかそんな個人的理由からフェアにするのではない。それは普段の彼女を見ているとわかる。私は彼女の中で、女性でも、移民でも、年上でもない、一緒に働く一人の人間なのだ。助け合って仕事をする、なぜなら、それが仕事の能率アップ、ひいては会社の利益につながるりから。いいアイデアは自分の重要性を人に知らしめるためのものではなく、純粋にそれがいいアイデアと思っているから紹介するのだ。その嫌味のなさがあるから、8割がた却下される彼女の書類テンプレート大改造にも素直に私はお祭り気分になれる。

「この会議いいね!もっと頻繁にやろうよ!」ジェニーちゃんは言った。「ウンウン、そうしよう。」私は答える。私の10歳下の上司ジェニーちゃん。多様性の実現に苦しむリベラルマジョリティージェニーちゃん。そして、まだまだチャンスの少ないマイノリティーの私、すべての人に彼女を知ってもらいたい。彼女を見て、共存ってこうやって実現するんだよって。

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