相変わらずnowhereman134氏がくだらないことを言っているので改めて反論

こんなツイートを見つけたので一応反論しておきます。

私はかねてより「権力に公と私の区別はない」と主張してきました。単に、その力が強いか弱いか、その違いだけです。そして大抵の場合、その国の中で最も強い力を持つ勢力が、政府となります。

この「最も強い力」というのが厄介で、単に、金を沢山持っているとか、強い軍隊を持っているとか、そういった単純なことでは決まりません。もちろん、財力も軍事力も、その勢力の力の強さを形成する重要な一要素ではありますが、それ以外にも、権威とか、発信力とか、国民の支持とか、外国政府の支持とか、ありとあらゆる要素が複雑に絡み合っています。

「公権力」という発想は、こういった複雑な思考を省略した、お子ちゃま向けの発想なのです。つまりnowhereman134さんは、お子ちゃまなのです。

大抵の場合、強き者により多くの富や名声が集まるものです。「バンドワゴン効果」と呼ばれるものですが、これは選挙に限らずありとあらゆる事象で観察することができます。例えば去年「鬼滅の刃」が大ヒットしましたが、これもバンドワゴン効果の一例だと思って良いと思います。インターネットが普及すれば世の中は多様化するという予想に反して、検索サービスのgoogleやネット通販のamazonなどが2位以下を突き放して一人勝ちを収めたのもバンドワゴン効果と考えられます。

自民党の一強状態が長く続いているのも、広い意味でのバンドワゴン効果だと考えられます。人間はそもそも「選ぶ」という行為をあまり好まないのです。アメリカでも「二大政党制」などと言われてますが、米国民の大半は常に同じ政党に投票し続けるだけであり、選挙の度に迷ったり考えたりする人は、実は案外少ないです。50個とか100個の選択肢を用意して「さあ選べ」と言われても、ほとんどの人は真面目に検討しません。「近くにあったから」とかいういい加減な理由で選んでしまいます。ある会社で、コーヒーメーカーの隣にスナック菓子を置いたら社員が肥満化し、サラダバーを置いたら社員が健康になった、というデータもあるそうです。要するに、人は何かを選択することをストレスに感じ、できるだけ選択することを省略しようとする性質があるということです。

だから、たかまつななさんみたいな人が「選挙の投票率を上げよう」「政治を変えよう」などといくら叫んでも、笛吹けどナントカで、そんなものに踊らされるのはごく少数の好事家しかいないわけです。そもそも「政治を変える」や「選挙の投票率を上げる」は、普通の人にとっては目的たりえないのですから、当たり前ですよね。

「公権力」というのも、こうしたバンドワゴン効果によって本来のパワーバランスよりも過大評価された勢力が、国家を代表する機関としてそのように振舞って、また海外からもそう見做されているというだけの話であって、世界には「国を代表する機関」あるいは「国を代表する勢力」が1つに定まってない国や地域もたくさんあります。シリアやスーダンなどはまさにその典型ですし、もっと言えば朝鮮半島や中国もそのように解釈することもできます。例えば台湾政府は公権力なのでしょうか?台湾を1つの国だと見做せばそうなるでしょうが、台湾を中国の一地方だと見做せば台湾政府は台湾を不法に占拠している馬賊のようなものだと考えることもできます。

ただ中国・台湾や朝鮮半島の場合は、建前はともかく現実には2つの政府が併存していて、お互いに緊張状態にはありますが武力による闘争は長期間起こってません。一方で、シリアやスーダンなどは複数の勢力が政府を自称して血みどろの闘争を繰り広げています。中国もかつては複数の勢力がおのおの政府を自称してお互いに相争っていました。

nowhereman134さんがこういう発想に至らないのは、「公権力」なるものが1つしか存在せずに、故に国が安定している、という現在の日本の平和な環境に骨の髄までドップリ浸かってしまっていて、その考え方が「思考の省略」であることを自覚できないでいるからです。

そして日本の歴史に於いて、公権力により表現弾圧よりも、私人による表現弾圧や人権弾圧のほうが苛烈であったことは、わざわざ説明する必要はないと思います。そしてそれは、民主主義の染み渡った現在の日本でこそ、その傾向はむしろ強まっています。公共の電波で政治家の悪口は言えるがスポンサーや特定プロダクションの悪口は言えない、みたいな事例は、まさにその典型ですよね。

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