「元寇」と歴史修正主義

昨年、GHOST OF TSUSHIMAというゲームが発売された影響なのかどうか知りませんが、ちょっとした「元寇ブーム」みたいなものが歴史界隈の間で起きてます。

歴史の授業では近現代のことはちゃんと教えない、みたいな話がありますが、よくよく考えてみると私たちは、元寇についてもちゃんと教えてもらってなかったと思います。

元寇に勝利したのは日本のはずなのに、救国のヒーローの名前すら知らない。それどころか、日本はただただひたすら弱っちくて、モンゴル軍にボコボコにやられていたが、幸い台風が来たお陰で九死に一生を得た、みたいなことしか教わってない人が大半だと思います。

ですが、近年こうした歴史観は否定されつつあるようです。日本軍は存外に強かった、モンゴル軍は台風が無くても負けていただろう、という見方が主流になりつつあるようなのです。

そもそも、モンゴル軍は強かったけど日本は神風のお陰で勝てた、という説は、実は昭和18年に登場したものでした。それ以前は、普通に日本の武士が奮戦してモンゴルを撃退した、と教えていたのです。

では、なぜ昭和18年から「神風」が登場したか。それは、対米戦争の戦況が悪化する中で、国民の士気を高めようとしてそのような神話を作ったわけです。日本は神の国だから、必ず神風が吹くはずだ、と。つまり、元寇におけるモンゴルと、その当時のアメリカを重ね合わせて見てたわけですね。この翌年に「神風特攻隊」が編成されました。

そうした経緯を考えたら、戦争が終わったらそうした見方は一掃されそうなものですが、さにあらず。今度は、日本の軍事的な健闘を称えることは罷りならぬ、という、歪んだ平和思想から、モンゴルは強かった、日本は運が良かっただけ、という、日本を馬鹿にする立場から、神風神話は強化されてしまったのでした。

そして、戦後75年が経って、ようやくそうした戦後平和思想の呪縛からも、もちろん戦時中の皇国思想からの呪縛からも、どちらからも解き放たれて、客観的に元寇を検証する下地ができたわけです。

そもそも、モンゴルがユーラシア大陸で圧倒的に強かったのは、騎馬の使い方が巧みだったからです。しかし元寇では、モンゴルはほぼ未経験の、海を隔てた戦い。馬も船で運ぶわけですからそんなに多くは運んでこれません。馬から降りたモンゴル軍など、恐れるに値しなかったわけです。

ちなみに第一回元寇、文永の役が行われたのは現代の暦で11月。台風のシーズンとは大きく外れており、史料等にも記載が乏しい事から、本当に台風が来たのかどうかは疑われてます。逆に第二回、弘安の役の場合は、そもそも夏場に2ヶ月以上も九州付近に滞在していれば、そりゃ確率的に台風に遭って当たり前。逆に2ヶ月以上も日本を攻めあぐねて、九州への上陸を果たせてなかったことからも、モンゴル軍が劣勢だったことが窺えます。

このように、元寇1つとっても、戦前、戦時中、戦後、そして現代と、常に歴史は修正され続けています。

最近取り上げた任那日本府の件もそうですよね。終戦直後、学校では教科書に墨を塗って教科書の内容を掻き換えさせられたそうですが、私にとっては任那日本府こそが「墨塗り教科書」だったように思います。

任那日本府も、一時は「本当は存在しなかった」ということになりかけていましたが、近年では、そうした見方も(韓国以外では)否定されつつあると思います。

慰安婦問題もそうです。一時は「日本軍による強制連行」は、半ば「定説」として確定しつつありました。2007年には米下院第121号決議で日本が非難されるという、意味のわからないことが起きていましたが、2014年には朝日新聞が謝罪し、最近では韓国やアメリカでも、「強制連行説」や「性奴隷説」を否定する学者が現れるなど、状況は好転しつつあるように思います。

これまでも、「強制連行」や「性奴隷」を否定する人々に対して「歴史修正主義者」なるレッテルが貼られたり、「慰安婦の存在を否定するのか」と論点をすり替えてこられたりしてました。それは残念ながら今でも続いてます。そうした議論の進め方は、冷静ではないし、客観的でもありません。

「強制連行」や「性奴隷」にこだわる学者の人たちって、それを否定されたら自身の人格が否定されたような錯覚に陥るのでしょうかね。もちろん、そういうことは歴史学の分野だけではなく、ありとあらゆる学問に付いて回る話ですけどね。例えば小保方晴子さんは理研を追われてしまったわけですし。

「歴史は勝者が作る」と、よく言われていますが、まさに現代の歴史、特に第二次世界大戦に関するトピックは、ほぼほぼ連勝国側の一方的な歴史観が「定説」となっているのが現状です。

それを是正しようとすると「歴史修正主義者」「ファシスト」「右翼」などといった罵声が飛んでくるのが今のご時世だと思います。しかも厄介なことに、戦勝国側の一方的な歴史観を是正しようとする人の中にも、単に日本を美化したいだけの人も大勢いるので、そういった罵声を一概に否定できない現実もあるわけです。

しかも、客観的な立場から「定説」を是正しようとしているのか、それとも「愛国心」から歴史を曲げようとしているのかを、区別するのもなかなか難しい。私だって、100%完全に客観的かと言ったら、そうではない部分もあるかもしれません。

しかし、現在の「定説」が、未来永劫に定説であるとは思えないし、そもそも勝者の視点に偏り過ぎていることは、パール判事の東京裁判批判を持ち出すまでもなく明らかなのではないでしょうか。もし仮に私が偏っていたとしても、それは現在の定説が偏ってないことにはならないのです。「歴史修正主義者」なる言葉を使って他人を罵倒する人ほど、そのことに無自覚な気がします。

また一部には「歴史修正主義的な言説が国益を害する」みたいなことを言う人もいますが、私はそもそも愛国主義者でもなんでもないので、国益なんかどうでもいいです。もちろん意図的に国益を害してやりたいとまでは思いませんが、国益よりもファクトのほうが、少なくとも私にとっては大事だと思います。

ていうかね、反権力リベラルの連中が、絶対的権力である戦勝国側(≒核保有国)の立場に立って敗戦国を叩き続けるのって、ただただひたすらおぞましいと思うんですけど。

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