男系継承の「規範」は存在しなかった?

■「男系継承を古来より例外なく維持してきたのか?」という問いである。

それに対して溝口内閣官房審議官は、昭和21年の帝国議会委員会における大臣答弁により、事実としてそう理解していると回答した。

どうやら「男系継承を古来例外なく維持してきた」と設定したのはかなり最近のようである。

(中略)

そして質疑により、この「男系継承の伝統」設定の開始は昭和21年の帝国議会での金森宮内大臣の答弁から始まった、との回答を引き出した。

いわく

金森大臣「古来、つねに男系を尊重しておった」(昭和21年)

※昭和! ちなみに大臣答弁の根拠は明治22年制定の皇室典範である。

つまり男系相続という(いささか強引な)解釈による事実はあっても、男系であるべき、という規範はどうやら長い歴史と伝統の中では存在しなかったようである。

結論から言うと、この方がおっしゃっていることは、単に「明文化された規範がなかった」ということであって、「規範がなかった」は明らかに言い過ぎです。

確かに「男系」という単語は、それまでは存在しなかったかもしれません。しかし、平安時代以降の歴代天皇の血筋を調べてみると、ただ一人も例外もなく男系継承であった、これは紛れもない事実。

そして、このようなことが偶然で行われるはずもなく、確かに「男系」という単語は存在しなかったでしょうが、「母が皇族、父が非皇族」であった場合、天皇はおろか皇族にもなれない、という規範は、明文化されていたかどうかは分かりませんが、存在したことは疑いようがありません。

ここで継体天皇を持ち出すのは筋悪です。もしも仮に継体が女系であっても、その後は全て男系なわけですから。つまり、継体王朝が現在まで続いていると考えた場合、それでも1500年。十分すぎるほど長い。世界最古の王朝の名に恥じない長さです。

ましてや天照大御神なんて、神話の人物じゃないですか、いや人物じゃなかった、神様ですよね。つまり、人間ですらないわけで。少なくとも「神武以来」という設定なのですから、神武以前は女系だ!とか言っても意味ないんですよ。

つまり、設定上は神武以来、確認可能な史実の上でも継体以来、ずっと男系が維持されてきたというのは、事実なわけです。

昔の人が男系という言葉を知らなかったからと言って、男系継承の規範はなかった、というのは明らかに言い過ぎです。言葉や概念が発見される前から存在する規範なんていくらでもあります。例えば殺人や窃盗が犯罪だという規範は、刑法が制定される前から存在したでしょうし、罪(つみ)という言葉が発明される前から存在したでしょう。

男系継承もそれと同じことです。「男系継承」という言葉を知らなった人たちも、その規範を守ってきたわけです。

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