武力強化を主張すると右翼なのか
私も、右翼思想を全面的に支持するわけではないので、彼の言っていることには頷ける部分もあります。しかし
確かに、いまの中国には危ない部分はあります。北朝鮮はなにを企んでいるか分からないかもしれません。
でも、他国全体を危険と捉え、自分の国だけを強くしようとすることほど危険なことはないはずです。それは戦時中の思想と変わらないからです。
例え中国のトップが危ない人でも、その中に暮らす人は自分たちとほとんど見た目もライフスタイルも変わらない人たちです。
それを全てひっくるめて危険だと思い、日本の武力を強化しようと思うことこそ危険だと思います。
この部分はどうなんでしょう。
まずそもそも、日本の武力強化と言っても、現状はGDP比たった1%未満しか国防に使っていません。そもそもが、少なすぎるのです。
お隣の国は、GDPは日本の半分以下なのに、国防費はもうすぐ日本を追い抜こうとしています。別に韓国に張り合って国防費を増やせと言っているのではなく、日本の国防費はこんなに少ないということを言っているのです。
そして、日本が国防費を増やすことは、単に日本が自国のエゴで「自分の国だけを強くする」ためではありません。むしろ、中国を牽制する役割を国際社会から求められているのです。ここで言う国際社会とは、アメリカのことではありません。もちろんアメリカも含みますが、台湾や東南アジア、インド、オーストラリア、さらには欧州なども日本の国防強化を要請しています。
中国や北朝鮮における人権侵害の犠牲は筆舌に尽くしがたく、「危ない部分はあります」などという生易しい言葉で見過ごして良い問題ではありません。ウイグル人男性は強制労働に従事させられ、女性は妊娠できない体にされてしまい、中国政府に逆らう者は臓器ドナーとして命を奪われているのです。
もちろん中国国民はそんな政府の悪行など全く知らず、普通に生活している善良な人たちです。そこは区別しなければなりませんが、中国政府の指導者のことを「危ない部分」なんて優しい言葉でオブラートに包んでしまうのは、問題を矮小化しているように見えます。
Aがそのような思想に基づいて行動すればするほど、甘い蜜を吸い、発言力を増し、権威的になる政治家や文化人がいて、でも彼はAを本当に助けたり、幸せにすることなどちっとも考えていません。
これはおっしゃる通りです。しかし、Aさんを幸せにしたいと思って行動する政治家など、そもそもどこにもいません。甘い蜜を吸い、発言力を増し、権威的になる政治家や文化人は「右翼」だけでしょうか?左翼も、リベラルも、保守も、グローバリストも、真ん中の人だって、みんなそうでしょ。だから「何も支持してはいけません」となりますか?なりませんよね。いや、別に「支持なし」が悪いってことじゃないですけど、「どの政党も支持するな、だけど選挙には行け」じゃ話にならないと思います。
別に「自分のためを思って働いてくれる政治家」じゃなくたって「結果的に自分のために[も]なる政治家」を選べば良いだけの話じゃないですか。
「あいつはおまえのことなんか全く考えてないんだぞ」っていう論法は、いかがなものかと思います。
最後に、自分は右翼的な思想も左翼的な思想もどちらが正しいとか、間違ってるとは思いません。
でも、家柄がそうだという人を除いて、ほとんどの人は生まれたときはどちらでもないし、だからこそいま言い争っている人も本当は仲良くなれるはずなのです。画面の奥や見えない所で敵対意識を持っている人物はほとんど同じような顔立ちと生活を送っている人です。
なんかこう「仲良くさえすればそれで良い」という考え方は、単に「ぬるま湯に漬かっていたい」というだけのようにしか思えませんね。もちろん、感情的に言い争うことで得られるものは何もありませんが、意見の違う人たちと、多少言葉は激しくなっても、本気で言い合うことで、自分の考え方の間違いに気付いたり、あるいは、相手の考え方が理解できるようになったりすることだって、あると思います。
何も自分の考えを持たず、言い争いを避けて生きてるだけでは、それはそれで平和で幸せかもしれないけど、成長や発展はないですよね。
こういう自分の文を読んで「平和ボケ」と思う人がいるかもしれません。
でも「平和ボケ」では危ないから日本は強くならなければいけないと考え、武装することで平和が訪れると考えることほど「平和ボケ」したことはないはずです。
こういう話法、ありがちですよね。誰の受け売りなんでしょう。多分、筆者さんもいつどこで誰から聞いたのか覚えてないと思います。そのくらい、こういう話法は世間にありふれている。
確かに、武装することで平和が訪れると考えることは間違いです。
ですが、武装しないことで平和が訪れると考えることは、もっと間違いです。
筆者さんは、必要条件と十分条件の違いが分かっていないようです。
武装することは、平和の十分条件ではありません。平和を守るためには、武装だけではなく、外交努力、信頼構築、経済、文化交流、他にもやらなければならないことは沢山あります。でも、武装もまた、平和を維持するための必要条件であることは、疑いの余地がありません。
ただ闇雲に国防費を増やしまくれば良い、という話ではありません。ですが、GDP比1%は、他の先進諸国と比べても、圧倒的に少ないです。
日本政府がアメリカに言いなりなのは、日本政府が日本の国防に自信を持てないからです。アメリカに同盟を打ち切られて基地を撤退させられたら困ると思っているからです。
武装を強化するのは、戦争をするためではありません。戦争をさせないためです。例えば、ひったくり犯がターゲットを絞る時、筋骨隆々の男性を選びません。弱そうな女性や老人を狙います。悲しいことですが、これが現実です。それと同じで、他国に侵略しようとする国は、反撃してこなさそうな国、反撃できない国を狙います。
日本人は、76年前の苦い記憶と、その後のGHQのプロパガンダの効果もあって、軍事アレルギー、ミリタリーフォビアが蔓延していると思います。「平和ボケ」という言葉もありますが、その正体は「平和ボケ」と言うよりも、ミリタリーフォビアと言った方が真実に近い思います。
有名な言葉ですが、汝、平和を欲さば戦争に備えよ、という古代ローマの格言があります。戦争の準備万端の国に攻め込む馬鹿はいませんし、戦争の準備ができていない、あるいは不十分な国は攻め込まれ易い、ということです。
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