「選択的夫婦別姓」or「現状維持」、どちらかしか選べないのはおかしい!!

私は過去にもこのテーマで何回もnoteを書いてきてますが、ここ最近のマスメディアの強引な世論誘導には辟易してしまいます。

小倉弁護士やろくでなし子さんのような提案がマスメディアで全く取り上げられず政治家からも無視されている現状は、全くどうかしていると思う。

一部に「選択的夫婦別姓はグローバル・スタンダード」と言っている人もいるようだが全然違う。例えば中国や韓国は夫婦別姓だが「選択的」ではない。つまり結婚して自身の姓を配偶者の姓に変えることはできない。

一方、アメリカには「選択的夫婦別姓」以外にも、沢山の選択肢がある。

 州により法律は異なりますが、米国では概ね以下5つのタイプの姓を夫婦それぞれが婚姻時に選べます(例:夫スミスさんと妻ブラウンさんの場合)。

(1)自身の姓を維持 (夫スミス、妻ブラウン)
(2)相手の姓に変更 (夫婦共にブラウン、夫婦共にスミス)
(3)夫婦の姓の全部・一部を統合 (ブラウンスミス、スミスブラウン、ブラスミなど)
(4)夫婦の姓をハイフンで結ぶ (ブラウン-スミス)
(5)夫婦どちらかの姓をミドルネームにする(ブラウン・スミス)

選択的、というのであれば、これくらい多様な選択肢があってしかるべきだと思うのですが、日本には「ミドルネーム」という風習がないためか、「同姓か、別姓か」の二択になってしまい、小倉さんのように新しい姓を作るとか、ろくでなし子さんのように両方の姓を名乗るという発想にはなりにくいようです。

ちなみに、「日本にはミドルネームという風習がない」と言いましたが、厳密にいうと、ないのではなく、明治時代になくした、のですね。それ以前には「字(あざな)」「諱(いみな)の2つの名前がありました。例えば、坂本龍馬の場合「坂本 龍馬 直柔」、「近藤勇」は「近藤 勇 昌宜」が正式な名前です。ちなみに、真ん中の名前が「字」です。

中国でも長い間、同様の制度が用いられており、三国志ファンなら誰でも知ってることだと思いますが「劉 備 玄徳」とか「曹 操 孟徳」とか「諸葛 亮 孔明」みたいに、諱と字がありましたが、中国でも中華民国時代に「一人一名制度」が提唱され、次第に字を付ける習慣が廃れていったそうです。

ちなみに、日本も江戸時代までは夫婦別姓でした。

参考までに、婚姻時における各国の姓の扱いについて良い資料を見つけましたので、目を通していただけると良いかと思います。

そもそも、これからの時代はマイナンバーで国民を管理する時代になりますから、名前なんて必要ないし、自由に好きな名前を名乗らせてしまっても良いと思うのですけどね。なんなら「改名手数料」さえ払えば自由に名前を変更できるというルールにすれば、役所の貴重な収入源にもなりますし。

それにしても、「選択的夫婦別姓」推進論者たちは、何をそんなに焦っているのでしょう。最近の煽動はちょっと異常すぎます。

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