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他者貢献ってたのしい。(誰かの力になることに臆していた頃の自分へ)


他人を支えたり力になったりといった行動は、最近のご時世だと否定されることもある。
なんと言っても今は「個」の時代らしい。
自分の好きなことをして生きていく、そういう生き方にみんなが憧れる世の中。

他人を"たてる"タイプだった自分が、「もっと自分本位になんなよ」とアドバイスされるようになったのもここ数年な気がする。

人間の適応力ってすごいもので、自分も自分本位に生きているっぽく生活するようになった、気がする。
("誰かのため"っていうよりは、ただ自分がやりたいからやってる、という形で他者のための行動を自己に内包するようになった。)
最近は自分のためとか、他人のためとか、あまり気にしなくなった。

しかし昨日、誰のためにやるのかという意識があったことを思い出すような出来事があって、この文章を書いている。

ある先輩から、僕が以前イベントを催した際に人を紹介したことがきっかけになり、それが最近になってさらなる良い出会いにつながったという連絡が来たのだ。
先輩は働きながら趣味でプログラミングを勉強していたのだが、縁あって母校でやっている開発プロジェクトにジョインすることになったらしい。
お礼も言われた。

誰かと誰かを繋げる、という形でお役に立てたのは、素直に嬉しい。
えへへ。
(もちろん、コツコツとプログラミングを勉強し、ちゃんと自分のやりたいことを周りに伝えていた先輩自身が起こした出来事なのだけど。)

他人に起こったことで自分も嬉しくなる、ってよく考えると不思議なことだ。
空回りしたり、損な役回りになることもあるけれど、
他人のハッピーが自分のハッピーにもなるという不思議な感覚は、たぶん自分のためだけに頑張ったときには得られないよなあと思った。
こうやって誰かが喜ぶ出来事が世の中に生まれていくことが、シンプルに嬉しい。

他人を助けることも悪くないなと改めて思った夜だった。

葛藤していた頃の自分に伝えたい。

自己犠牲じゃないよ。
他者貢献って、割とたのしい。


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