見出し画像

なつかしの旧ソ連 ~おみやげ編~

ロシアがまだソ連と呼ばれていた1980年代後半。当時のソ連は「モノが無い時代」。赤の広場向かいにある「商品が全く置いていない」グム百貨店にわざわざショッピングに出かけ、

「おー、これが噂に聞いた物不足か」

売るモノは無いけど店員はウジャウジャいるという「社会主義」を目の当たりにして感動した記憶がある。


そんなソ連でも外貨(主に米ドル)しか使えない「ベリョースカ」と呼ばれる外貨ショップにいけばいろいろと購入できた。ホテル内の外貨バーに行けば「ペプシ」や「アナナス(パイナップルジュース)」が簡単に手に入った。


ベリョースカ以外でも赤の広場といった有名観光地にいけば、怪しいロシア人が「スーベニア(お土産)」と口にしながら「腕時計」や「ウシャンカ(ロシア帽)」を売り歩いていた。

支払いは当然外貨のみ。基本は米ドルだが、日本円を受け取る人もいた。


「ウシャンカ、シェンエン」(ロシア帽、千円)と口にする制服姿の兵隊さんもいた。当時は民間人のみならず公務員でさえも外貨を欲していたのである。「モノが全くない」わけでは無く、

「モノがあっても外貨でなければ購入できない。ルーブルには価値がない」

そんな時代であった。


そんなソ連で、(言葉が悪いが)米ドルパワーを駆使して「お菓子」「毛皮の帽子」「ピンバッジ」「腕時計」「マトリョーシカ」「サモワール(湯沸かし器)」などいろいろなソ連土産を買い漁った。

「国営航空会社アエロフロートのライフジャケット」といった珍品を購入したこともある。


 イメージ画像(当時購入した現物ではありません)

画像1


「キャビア」「現金(ルーブル)」などもこっそりと日本へ持ち帰った。いわゆる密輸である。密輸といっても鞄の中に入れておくだけ。当時はどちらもソ連国外への持ち出しが禁止されていたのだが、多くの旅行者がやっていたと思う。当然日本への持ち込みは問題ない。


キャビアの缶詰に関しては

外国人向けのホテル従業員が観光客にお土産としてこっそり販売
  ↓
空港で職員が「持ち出し禁止」として回収
  ↓
ホテル従業員に返却(売却)
  ↓
再び観光客に販売


といった具合に一種の「外貨獲得ビジネス」「錬金術ビジネス」が完成していたような気がする。一度だけ見つかったことがあるのだが、

「没収されるくらいならこの場で食べる」

といったら見逃してくれたので、恐らく間違いない。キャビアといっても有名な「ベルーガ産」といった高級品ではなく安物。1缶1000円or10ドル位が相場であった。



ソ連のおみやげは当時の日本では珍しかったので、友人・知人にすべてあげてしまった。意中の女性にプレゼントしたこともある(笑)。

ルーブル紙幣は100枚以上ばら撒いた。金額にして数千ルーブル。正規の両替レートだと1ルーブル数十円~100円程度だったが、闇なら遥かに低いレートで交換できたのでおそらく千円にも満たないと思う。

為替レートで大儲け・・・と思いがちだが外貨→ルーブルに両替した金額以内でしか外貨に戻せない(レシートが必要)ので、余ったルーブル紙幣は必然的にお土産となる。



ソ連からはいろいろと持ち帰ったが、今残っているのは2つだけ。

BOCTOK

画像2

BOCTOK 
17 камней 
сделано в cccp 


ボストーク(ブランド名)
17石
made in CCCP(ソ連)


石数についてはここに解説あり。17石なので手巻き式としては標準的な品で、当時おみやげ品として1000円程度で売られていた激安品でもなければ高級という訳でもない。
石数についてはここに解説あり。17石なので手巻き式としては標準的な品で、当時おみやげ品として1000円程度で売られていた激安品でもなければ高級という訳でもない。


もう一つがこれ。

SEKONDA

画像3

23石手巻き式クロノグラフである。

Wikipediaによれば「SEKONDA」は

Sekonda is a British wristwatch manufacturer Established in 1966, Sekonda watches were originally produced in the Soviet Union, at the First Moscow Watch Factory in Moscow and the Petrodvorets Watch Factory in Leningrad. Many Soviet-era Sekonda watches exported to the West were re-badged Poljot and Raketa watches.

元々はソ連の First Moscow Watch Factory社ブランドの時計で、現在は英国の腕時計メーカー。ソ連時代に西側諸国に輸出されものは「ポレオット」「ラケタ」ブランドで販売されていた


と老舗らしいが、残念ながらこちらは壊れていて動かない。やはりクロノはメンテが必要なのだろう。どちらもモスクワのホテル内のベリョースカで購入した物で、2つ合わせて100米ドル位だったように記憶している。


旧ソ連時代は外国人が宿泊できるホテルは限られていて、その中の1つがモスクワにある「ホテル・コスモス」。H.I.S.のサイトで現在の様子が確認できるが、その巨大さ以外に当時の面影は一切感じられない。

画像4

image:google



社会主義時代ではあったが、ロビーには娼婦らしき派手な服装の女性がたくさんいた。

「警察やホテル側に賄賂を払って営業している」

とロシア人ガイドが教えてくれた。外貨を得るため、生きるためなら何でもやる。そんな時代だったのだろう。

「ロシアの若い女性の就きたい仕事・将来の夢のナンバー1は娼婦」

といった報道が日本でも話題になったが、それはソ連崩壊後の90年代。かなり後の話である。旧ソ連時代の「生きるため」というよりは「リッチになりたいから」であると思われる。



ホテル・コスモスのすぐそばを地下鉄が通っていた。最寄駅「ヴェーデンハ」から「コムソモーリスカヤ」に行き、「宮殿駅」と呼ばれる駅構内を見て回るのが定番の観光コースだった。

画像5

画像6

画像7

images:google search



防空壕を兼ねたモスクワの地下鉄は地下深くに設置されている。国営旅行会社インツーリストから派遣されたガイドが「ここは写真撮影禁止」「ここは撮影大丈夫」といろいろと注文をつけていた記憶がある。

地下鉄構内やエスカレーターも写真撮影は禁止。そんな「軍事的機密」も今は昔、You tube を探したら映像があった。とにかく長い。


ホテルに戻る際は一つ手前の駅で降り、ホテルまで散歩したこともある。当時は何もないただの大通りだったが、ストリート・ビューで確認したところ・・・現在も大して変わっていない。

画像8

image:google


この大通り(プロスペクトミーラ)を歩いているときに腕時計が電池切れで止まっていることに気付き、ホテルに戻って止む無くベリョースカで腕時計を購入したという次第である。

なぜ2つ購入したかというと、ソ連製の工業製品を信用していなかったから。

「欲しいものは見つけた時に買え。必需品は予備も一緒に」

それがモノ不足の超大国・旧ソ連で学んだ教訓である。


こんな思い出がいっぱい詰まった旧ソ連製腕時計だが G-Shock を購入してからはお役御免となり、引き出しの中で眠っていた。いくら思い出の品であってもGショックの性能にかなわない。なんといっても毎朝ネジを巻かなくてもいい。

とはいえこのボストーク、未だに現役。ネジを巻いたら何の問題もなく動き出した。誤差に関しても24時間たった時点で2秒しか「誤差無し!」(ドラマ「ボディーガード」のキムタク風)

さすがにスーパーテクノロジーの国、ソ連製である。MADE IN CCCP とあるが中身はおそらく東ドイツ製。スイス製ムーブメント「5328」を使ったセイコーの腕時計が日本製なんだから、東ドイツ製品を「made in CCCP」としても問題はないはず。 


 参考画像 セイコー 5328-0040

画像9

image:昭和ラウンジ


なつかしの 旧ソ連製 17石 手巻き式時計。死ぬまで手放すことはない。Gショックが壊れたら出番が来るのだが、おそらくGショックは壊れない。

SEKONDAも修理に出せば直るのだろうが、おそらくそのコストは買値を超える。デザイン的にもお洒落じゃないので今のところは修理の予定はなし。


続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?