東京マラソン2020

東京マラソンが終わって、一段落したので、ここで振り返りをしたいと思う。

3月1日に東京マラソンに出場した。

今回は故障との戦いだったと思う。

12月下旬に左アキレス腱を痛めてから、1月下旬には右アキレス腱を痛め、右膝の痛み(11月転倒した影響)もある中で、腰は痛いし、2月中旬には左ふくらはぎを軽く肉離れしてしまうなど、まさに満身創痍だった。

トレーニングによって引き起こされる炎症よりも、自然治癒力が上回ればケガは治るという理論の下で、痛みを我慢して走ったが、これが思っていた以上に精神力を消耗。

痛みを我慢して走ることよりも、マイナス10度の中を走る方が絶対に楽だったと思う。

ケガが長引いたこともあり、1月、2月にエントリーしていたハイテクハーフマラソン、館山若潮マラソン、守谷ハーフマラソンは全て棄権した。

本当に走れるのか、完走できるのか、一歩間違えたら致命傷を負うのではないか、走る意味あるのか、新型コロナウイルス感染のリスクもある、そんなことばかり考えた。

東京マラソン4日前の調整練習で6000mのペース走をやるとき、もし設定ペース(レースペースを想定した3’15~3’20/kmくらい)で走ることができなかったら棄権しようと決めた。

6kmさえもまともに走れない状態で、42.195kmを走れるはずがないからだ。

ここで、メニューがこなせていなければ、潔く諦めていたのかもしれないが、なんとか設定ペース内で走りきることはできた。

ただ、メニューをやり遂げることはできたものの、脚の状態はあまり良くなかった。

それゆえに、最後の最後まで悩むことになったのだが、結論としては走ることに決めた。

それは、ゴールすることを決意したというより、スタート地点に立つことを決意したという表現の方が正しいかもしれない。

それは、途中で棄権することも想定した上での決断だった。

いけるところまでいこうと。

今回は、右脚にも左脚にも不安があったため、どちらの脚にも配慮せざるを得なかった。

もし、私がコーチだったとしたら…

「今日は高いスキルのタイヤマネジメントで行くぞ。」

と言っていたかもしれない。

スタート地点の東京都庁。
整列して、スタートの号砲を待つときに後ろを振り向いたら、そこには誰もいない道路があった。

それは、異様な光景だった。
本当なら、ここから何万人ものランナーと共にスタートを切るはずだったのに。

スタートすると、自分にとっての最適の集団を探した。
無理せず余裕を持って走れる集団、しかも周りの選手との接触や急な減速、危険回避等は脚に余計な負担をかけるため、集団の後方を選んだ。

集中して走っていたのか、ガーミンの自動ラップのバイブレーションに気付かないほどだった。

自分でもすごい集中力だと驚いていたのだが、

実は、自動ラップが本当に動いていなかった。

というのも、4日前にトラックで6000mを走っていたときに、ガーミンの自動ラップ機能を距離モード(1km毎)から周回モード(スタート位置)に切り替えたままだったのだ。

当然、ラップタイムが表示されるわけがない。

自分がどのくらいのペースで走っているのか、よく分からない状況だったが、集団の中にいたので、ペースをあまり気にせずに走ることにした。

ただ、集団の中にいたこともあってか、10kmと15kmのスペシャルドリンクは取り損ねてしまった。

元々、10kmのスペシャルドリンクはダミー(どんな感じで置かれているか、うまく取れるかを確認するための練習用)として置いていたので、それほど気にはならなかったのだが、15kmのスペシャルドリンクを取り損ねたときは、正直焦った。

思っていたよりも、マイボトルを見つけるのが難しかったのだ。

後に、スペシャルドリンクテーブルの様子を写真を見て、これでは無理だと思った。

真ん中の緑色のボトルが私のボトルであるが、これでは、他のボトルで死角に入ってしまって、見つけることができないはずである。

防府マラソンのときのように、バラの花でも付けておけばよかったと後悔した。

しかし、20km以降のスペシャルドリンクは、集団がバラけたこともあって、スタッフさんが取りやすい位置にボトルを移動してくれて、指差しで知らせてくれたので、全てキャッチすることができた。

20kmでOS-1
25kmでカルピス
30kmでトマトジュース
35kmでコーラ(炭酸入り)
40kmでカルピス

いつもは少し飲んで投げ捨ててしまうのだが、今回は時間をかけて全部飲んだ。

気温も高く感じたし、水分が不足して痙攣するのが怖かったである。

「中間地点まで行ければ、何とかなるかもしれない。」

という気持ちは、

「30kmまで行けば、ゴールまで行ける。」

という確信に変わってきていた。

集団のペースの変化にあえて対応せずに、自分のリズムを大切にしたこともあって、28kmくらいからは単独走だった。

しかし、アップダウンのほとんどないコースは、本当に走りやすかった。

30kmを過ぎても、まだ余裕はあった。
しかし、少しバランスを崩したら、一気に崩れてしまうという感覚も同時にあった。

ゆえに、ペースが落ちたとしても無理に粘らず、脚への負担をかけないことを優先した。

ラスト4kmくらいで、女子のトップに追いつかれたときも、ついていきたい気持ちを押さえてやり過ごすしかなかった。

ラスト1kmは3人くらいに抜かれた。

周りはラストスパートしているのに、自分はラストスパートができない。

そんな感じだったが、ここまで来られたことが、すごく嬉しいことだったので、それで十分だった。

そして、無事にフィニッシュすることができた。

タイムは、2時間18分28秒。
自己ベストを更新することなんて想定もしていなかった。

まさかの5連PB。

自分にとって嬉しい誤算ばかりで、最良のエンディングを迎えることができた。

5km 15:36
10km 31:33(15:57)
15km 47:56(16:23)
20km 1:04:14(16:18)
HALF 1:07:49
25km 1:20:44(16:30)
30km 1:37:01(16:17)
35km 1:53:43(16:42)
40km 2:10:55(17:12)
FINISH 2:18:28(7:33)

走り終わった後、控室に移動して、シューズを脱ごうとしたら、やたら汚れていることに気付いた。

トマトジュースでもこぼしたのかと思ったが、よく見たらそれは血だった。

いつも、右足にマメなんてできないのに、よっぽど庇って走っていたのだろう。
足裏は血まみれだった。

その代わりに、いつもマメができる左足は、ほぼ無傷だった。

右アキレス腱のケガよりも、左ふくらはぎのケガの方が、リスクが大きいと体が勝手に判断して、右に負担を移して走っていたのかもしれない。

このとき、最後に信頼できるのは、自分自身の筋肉と腱だと思った。

神は箸1本動かすこともできないが、筋肉と腱は私をゴールまで導いてくれた。(初詣も15回くらいしたけど。)

レース後は、何人かのランナーと挨拶を交わして、帰路につく。

それでも、やっぱり少ない。
本当なら、もっとたくさんのランナーに会えていたのにと思う。

セブンコーヒーを飲みながら、ハーゲンダッツでアイシング。

地味だけど、最強の組み合わせだ。
華やかさこそないが、無駄がない。

バスタ新宿のすぐ近くにスタバがあるのに、妥協せずにあえて200m離れたセブンを選ぶあたりは、セブンマニアの証だ。

今回の移動は電車ではなく高速バスだった。

信頼と実績のアルピコ交通。

ハイランドエクスプレス、標高の高さをさりげなくPRしている。

新宿から片道2時間半。

今日のタイヤマネジメントを忘れないように、茅野に戻ったら反復練習して確実に身につけておきたいと思う。

それは、地味だけど高等技術だから。

しっかり脚を治して、次のステージに向かいたいと思う。


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