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東京マラソン2021

3月6日に東京マラソンを走ってきた。

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「東京マラソン2022」ではなく、「東京マラソン2021」。

延期されていた「2021」が開催されて、それに伴い「2022」が中止。

計測タグに、当初の開催日である「2021.10.17」と記載されていることからも、そんなことが伝わってくるだろう。

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12月5日に福岡国際マラソンを走ってから、ちょうど3か月。

当初は、2月6日に開催される予定だった丸亀ハーフマラソンでハーフマラソンの自己ベストを更新して、出力を上げた状態で東京マラソンに臨むというプランを組み立てていたのだが、丸亀ハーフマラソンが中止となってしまったため、1月下旬からは距離を踏むトレーニングに切り替えることにした。

今までは、マラソンに向けて諏訪湖2周(32km)という距離を走ることが多かったが、今回はそれを40kmまで伸ばすことにした。

なぜなら、レースで32km過ぎからのトラブル(失速等)が多かったからだ。

時間も十分にあったため、1月下旬から2月中旬にかけて、4週連続で40km近い距離を徹底的に走った。

ペース設定は1kmあたり3分45秒くらい

これは、氷点下の寒い中だったことや、故障しないことを最優先した結果である。

いろんな人から「そんなに遅くていいの?」と言われることもあったが、私にとって40km走の最大の目的は「40kmを走ること」だったので、速く走る必要はなかった。

ただ、信州の冬のコンディションは厳しく、40kmを走るだけではなく、極寒(気温-6℃)、強風(風速8m)、積雪(路面凍結箇所有り)にも打ち勝たなければならなかった。

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これが、思ったよりもメンタルを消耗させたと思う。

また、長い距離を走るだけでなく、レースペースで走るトレーニングも取り入れてきた。

一番多かったのは16kmのペース走だ。
1kmあたり3分15秒くらいで走るということを、週に1回組み込んだ。

夜寒すぎて12kmでやめてしまうことや、トラックが使えずに諏訪湖を走ることもあったが、限られた条件の中で最善を尽くすことはできたと思う。

他には、普段のジョグでは20km以上走ることや、2時間以上走ることを増やした。

朝寒くて、走りに出かけるのが嫌で休んでしまうことも結構あったけれど、無理せずに、身体を壊さずにトレーニングを続けることができたことは良かった。

ケアの面では、長い距離を走った日には近所の温泉に行った。
メニューは、サウナで15分間×2本(T=100℃)のインターバル。
身体を温めることがいかに大切なことかを学んだように思う。

さて、現地入りしたのは、大会の前日。

茅野から新宿までは、特急あずさで約2時間で行くことができる。
意外と東京に近くて、便利なところに住んでいると感じる瞬間だ。

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そんな特急あずさに乗るのも久しぶりで、2年ぶりくらいだった。

東京マラソン(エリートの部)の前日受付会場は、京王プラザホテル。

ここでは、選手受付とPCR検査。

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今回、出場するランナーはPCR検査が必須要件ということで、どれだけ万全な準備をしてきても、ここで陽性判定となってしまうと出場ができない。

そう思うと、最大にして最後の関門である。

ホテルにチェックインした後は、スペシャルドリンクの準備に取り掛かりたかったが、陽性判定が出たときのことを考えると、なかなか手が付けられなかった。

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検査結果が出たのは、19時頃。
結果は陰性。
これで、ようやくスタートラインに立つことができることになった。

マラソン当日は、朝4時過ぎに起きて軽くジョグに出かけた。
新宿は眠らない街で、早朝にもかかわらず賑わっていた。

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早朝にもかかわらず、時折強い風が吹き、風が強い日になることをここで悟った。

ウォーミングアップは8時過ぎから少しだけジョグを行った。
ゆっくりジョグをしていると、後ろから東京五輪マラソン金メダリストのエリウド・キプチョゲ選手らが抜いていった。

履いていたシューズは、ナイキのインビンシブル。

少しだけ、後ろを走らせてもらったが、鳥肌モノだった。

また、選手控室の都庁内で他の選手を観察していると、股関節周りのストレッチを入念に行っている選手が多く見られた。

厚底シューズを履くようになって、変わってきたことなのかもしれない。

レースは9時10分スタート。
スタート前に風が弱まり、日差しが強くなったことで、一気に暖かくなった。整列するまでは、手袋とアームウォーマーを付けていたが、スタートする頃には、手袋は必要なくなり、アームウォーマーも外そうかと思うくらいだった。

レースがスタートすると、まずは集団を選ぶところから始まった。

今回は、2時間15分切りを1つの目標にしていたため、前半は1kmあたり3分5秒~3分10秒の集団に付いていくことができればと思っていた。

手元のGPSウォッチでは、1km通過が3分3秒、2km通過が6分2秒と予定よりも速いペース(タイム)を表示していた。

2km過ぎで、ちょうどいい集団の後方に位置取り、そこで走ることを決めた。

5km通過はGPS計測では15分22秒。しかし、実際の通過は15分43秒だった。

高層ビルの影響なのか、GPSに誤差が大きく出てしまっていた。
思っていたよりも、遅いペースで走っていたということだ。

それでも、いいリズムで走れていたのでペースを上げようとは思わなかった。

10kmの通過は31分47秒、5kmから10kmのラップは16分04秒。

予定よりも遅いタイムだったが、そう思ったのは私だけではなかったのだろう。集団のペースが上がった。

このあたりで川内鮮輝君と合流して、一緒に走ることになる。
彼とは誕生日も同じで、今までのレースでも一緒に走ることが多かったため、感慨深いものがあった。

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13km付近、沿道にいた木下裕美子さんに気付くことができた。
(写真は木下さんから)

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ゆっくり話をしたかったけれど、それはまた今度。

15kmの通過は47分44秒、10kmから15kmのラップは15分57秒。

5km地点、10km地点のスペシャルドリンクは取れなかったので、15km地点のスペシャルドリンクはペースを落としても取ろうと思っていた。

ドリンクテーブルの手前で、ちょっとだけペースを落とすと、意外と簡単に取ることができた。

集団の後方を走っていても、私が走っていることに気付いて、名前で呼んでくれる人がたくさんいた。その全部に応えたいと思いながら走っていた。

20kmの通過は1時間03分54秒、15kmから20kmのラップは16分10秒。

20km地点のスペシャルドリンクは、レース全体の中では結構重要な位置付けにしていたので、しっかり取って補給をしたのだが、その間に集団から離されてしまっていた。

通過タイムが遅かったことで、また集団のペースが上がったのかもしれない。

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給水しながらだったけれど、上條さんの応援には応えることができた。

ハーフの通過は、1時間7分24秒
単純にタイムを2倍にしても、2時間14分48秒。
これは、2時間14分台はかなり難しいと感じた。

集団に離されないようにと、少しペースアップして集団に追いつく。きついわけでもないけど、余裕があるわけでもないといった感じ。

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23km過ぎ。(写真は寺田さんから)

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こちらの写真は、藤井さんから。

24kmの折り返し地点で、すぐ後ろ(40秒差くらい)に女子の先頭集団が来ていることに気付いた。

25kmの通過は1時間20分6秒、20kmから25kmのラップは16分12秒。

ここで、集団の前に出て引っ張ることにした。

なぜか。
前に出てしまったからである。

ペースを少し上げて、1kmあたり3分8秒くらいで走っている感覚だったのだが、実際には3分13秒~18秒くらいかかっていて、全然ペースは上がっていなかった。

これは、結構ショックだった。

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それでも、他の人が前に出る様子も無かったので、30kmまでは集団を引っ張ることにした。

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30kmの通過は1時間36分24秒、25kmから30kmのラップは16分18秒。

ペースは上がるどころか、むしろ下がっていた。
もちろん、風を受けた影響もあるけど、ショックだった。

30km地点で、スペシャルドリンクを取りながら少し休んで、もう一度集団の後ろに下がったのだが、集団のペースが少し落ちたように感じた。

もしかしたら、周りもそんなに余裕が無いのかもしれないと思い、また前の方で引っ張ることにした。

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それでも、しばらくすると疲れが出てきたのか、集団のメンバーに少しずつ離されていった。

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34km過ぎ、ここまでくると応援に応える余裕も無かった。
(写真は木下さんから)

35kmの通過は1時間52分50秒、30kmから35kmのラップは16分26秒。

若干のペースダウンはあったものの、ここでほとんどペースが落ちていなかったことは嬉しかった。

36kmを過ぎた頃、後ろから何かの気配を感じた。
何だろうかと思ったが、カメラ車が来たので、女子の先頭ランナーがきているのだと察知した。

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そして、37kmあたりでブリジット・コスゲイ選手がやってきた。
後ろにつかせてもらい、彼女を走りを見ていたが、感動的だった。

38km手前の田町の折り返し地点で、昨年の金沢マラソン、福岡国際マラソンを一緒に走った辻川君にも追いついた。

今回の折り返し地点では、飛行機みたいに手を広げてターンしたけど、結構良かった。

40kmの通過は、2時間9分11秒、35kmから40kmのラップは16分21秒。

ほんの少しだけ、ラップタイムが上がっていた。ここでペースダウンしなかったことは、大きな収穫だった。

40kmを過ぎると、あと少し。
最後のスぺシャルドリンクを飲んで、最後の力を振り絞る。

「あと少しだけ耐えてくれ!」と自分の身体に語りかける。

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ここからは、向かい風がきつかった。
それでも、最後の2.195kmを気持ち良く走れたのは久しぶりだった。

タイムは、2時間16分31秒

目標には届かなかったけれど、自己ベストを更新することができたことは素直に嬉しかった。

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ゴールした後は、テントにいたSGホールディングスの佐藤悠基選手と湯澤舜選手と話すことができた。

マラソンを走り終えた後のこの時間はランナーにとっては、様々なものから解放された幸せな時間だ。

走り終えたランナーは、みんないい顔をしているように思えた。

そんな中で、今回大会の優勝者であり、マラソン世界記録保持者のキプチョゲ選手が、私たちの目の前を通り過ぎていくのを見つけた。

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不思議なことに、周りのランナーたちは気付いていないようだった。

ちょうど着替えている途中ではあったが、チャンスは今しかないと思い、大急ぎで後を追いかけた。

突然すぎて、どうやって声をかけたらいいのか、何て言えばいいのか分からなかったが、「エリウドさん!」と声をかけたら、振り向いて気付いてくれたのである。

握手をして欲しいというジェスチャーに気付いてくれて、手を握ってくれて、一緒に写真まで撮ってくれた。

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写真を見ると、嬉しくて、大はしゃぎしているのがよく分かる。

また、NN Running Teamの公式ツイッターにも写真を載せてくれていた。

世界のトップランナーは、強いだけでなく、優しくて、思いやりがあって、人間性までも素晴らしいランナーだということを実感した。

今回、コーチとして帯同してくれた学生時代のチームメイトの堀君にも感謝だった。

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大学を卒業して、15年くらい疎遠だったけれど、この半年だけで10回以上会って、15年分を取り戻したのではないかと思う。

また、今回のマラソンは取り組んできたトレーニングの成果を実感できるレースでもあった。

今回は達成できなかったけれど、次こそは2時間15分という目標を達成できるように、これからも継続してトレーニングを取り組んでいきたいと思う。

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