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京都の大文字の騒動で「白い大文字」を思い出した

8月8日夜、京都の町で珍事が起こった。今年はコロナ渦で規模が縮小されることとなっている五山の送り火(8月16日実施)の一つ、大文字に光が灯されたのだ。

事件の概要

おそらく誰がいたずらでつけたようだが、とてもとても「いたずら」でつけられるほど大きさではない。光の数を見ても、明らかに周到な計画のもと実施されたものであると思う。

京都新聞をはじめ多くの報道が「いたずら」として非難しているし、もし愉快犯なのだとしたらそもそもこの記事を書いておることも実行犯の思う壺だ。

でもそのようなリスクもありながら、ぼくがこの記事を書いたのは、何かきっと理由があったのではないかと思ったからである。

というのも、ぼくはこの記事を見て昔聞いたことのある「白い大文字」を思い出したからだ

五山の送り火とは

白い大文字の前に普通の大文字(五山の送り火)を説明すると、そもそも、お盆で帰ってきた精霊を再びあの世に送り返す行事で、平安時代からとか江戸時代からの歴史があるとか諸説ある。

しかし、何度か中断していて、今から約80年前の戦時中にも、灯火管制のため、中止されていた。しかしそのような中、地元住民らが、大きな白い服を着て大文字山に登り「

この時は、戦争で犠牲になった英霊を送るためという理由であった。

しかし、ここからは想像であるが、「英霊を送る」という気持ちももちろんあったが、地元の市民たちの「1000年以上続く伝統をなんとか守り抜きたい」という気持ちもまた強くあったのではないだろうか

つまりLEDライトもない戦時中、大文字を白く染めた人たちは大切なものを守るために必死になって山に登ったのだ

白い大文字と同じなら

だからこそ、一昨日大文字を照らした実行犯は、何か大切なものを守る、または誰か苦しんでいた人を救うために灯したということはないのだろうかと思ったのだ。

全く見当もつかないが、もしも、コロナで亡くなった人や上手く生きられずに苦しんでいる人、そんな色々な人の気持ちを癒すために灯されたものなのであれば、ぼくは許したいと思う

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