小説 きみがいなくてさびしかったが別に死ぬほどではない
「きみがいなくてさびしかったが別に死ぬほどではない」という気持ちを歌った歌が流れてきて「なるほどたしかにそのとおりだ」という気持ちになったので電話をすることに。
『もしもしどうしたの』
「いや、べつに声が聞きたいというわけではないんだ」
『なんなの?』
「なんなんだろうか……」
『それがわかってから電話をかけてくれよな』
それで電話を切られてしまう。たしかにそうだ。電話をするときはなんのためにかけるのかわかってからのほうがいい。ひとつ勉強になった。しかしそんなことは言われなくたってわかっている。わたしは再び電話をかける。
『なんのために電話をかけてきたのか思い出せたのかい?』
「いやそういうわけではないんだ」
『そうなの。もう忙しいから切るよ』
「いや、つい今しがた『きみがいなくてさびしかったが別に死ぬほどではないという気持ちを歌った歌』が流れてきてさ」
『うん』
「それを聞いていたらなんだかきみに電話をしてみたくなったんだ」
『複雑な気持ちだね』
「うん」
『結局のところ、それはわたしがいなくて寂しいということを伝えたかったということなの?』
「そういうわけではないんだ」
『そうなんだ。なにもかもわからないね』
「そう。正しさというものはどこにもないのさ」
『それはそうだと思うけど、でもそうだとすると電話をかけてくるなという気持ちだけが残るよ。じゃあね』
それで電話を切られてしまう。けちやろう。
沈黙。冬の水曜の午後三時頃の憂鬱な光が部屋に射しこんでいたが、そうはいっても別にさびしいから死にたいという気持ちにはならない。
しかしそれは別にイコールできみがいなくてもいいということではないし、死にたくはならないということでもないのである。
とりあえず一週間ぶりに歯を磨いて一時間ぐらいずっとしゃこしゃことやっていると、パソコンの上に今さっき電話をかけた相手の乗っているロケットが「オールトの雲」のあたりに突入しましたよ、というような表示が出てきて「おおっ」と思う。もうそんなところまで行ってるんだなあと「おめでと」とメッセージを送って、そのメッセージの返事が返ってくるまでのタイムラグに血が出るくらい磨いてしまった歯をゆすいでやっと歯磨きを終えたのだった。
きみが遠くにいてわたしたちが触れ合えないくらい空間的に隔たれてしまっているというとき、それでもわたしたちの間に精神的なつながりがあるのだ、と述べることの、なにか途方もない嘘の塊のようなものに逢着しているなあという実感と、それでもわたしたちの間にあるつながりのような感覚を信じて、それにどうしようもなくすがりついてしまうということの、それらはみんな巨大な蜃気楼のようなもんだなあと思う。
見えてるものは嘘ではないけど、でもその下に巨大なハマグリはいないんだよな、という感じ。
しばらくして、「ありがと」と返事が返ってきた。人の気も知らないで、さっぱりしていやがんなあと思ったので、やっぱりちょっとさびしくて死にそうだな。