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小説『安楽死装置に並んだけれども一向に列が進まない』

 安楽死装置を無料で体験できると聞いて行くことにした。
 どうせもうこの世に未練はないのだ。自分が死ぬことで離れて暮らしている親にも保険金が入るだろう。こんなことで保険金をもらったって嬉しくはないだろうけれども、何はなくとも先立つ物は大切なのだ。
 会場に着いた。すでにものすごい行列だった。こんなにたくさんの人間が死のうとしているのかと思うとうんざりする。わたしばかりが死にたいのだと思っていたのに。ほかの人間はみんな話題性目当ての浮かれポンチばかりに見えてくる。
 テレビの取材も来ていた。並んでいる人にインタビューしていて、耳を傾けると、
「ええ、朝五時から並んでます。いえ、もうぜんぜん進んでないですね。冬眠から目覚めたヘビのように遅いです。冬眠から目覚めたヘビみたいです」
 その言葉を聞いて急に不安になる。こんなにたくさんの希望者がいては、わたしの順番は回ってこないのではないだろうか。なんだかわたしの人生はいつもそんなことばかりな気がしてきた。
 行列のはるかな向こうに巨大なドーム型の建物が見えている。あの中には効率よく安楽死するための装置が十台はあって、それが朝からフル稼働しているということのようだった。
 ひたすら待った。列はちっとも進まない。吹きさらしで風が冷たく、もっと厚着をしてくればよかった。死のうとする人間が暑さ寒さで文句をいうはめになるとは思わなかった。でも寒いんだから仕方がない。上着の前を合わせてため息をつく。
 行列の全体はピラミッドの中のミイラみたいに静かだった。みんな死ににきた人間なので会話なんて弾むわけがないのはわかるけれども、これだけたくさん人間がいるのに少しのざわめきも聞こえないのはちょっと異常だった。
 いや、安楽死に反対しているボランティアの人たちだけは大声で騒いでいる。あれはうるさい。あれだけが永遠にうるさかった。わたしの厳粛な死を邪魔されているみたいで気障りだった。
 後ろに並んでいた人と少しだけ話をした。
「職場でいじめられてもう限界なんです。すぐにでも死にたい。なんならべつに装置とか使わなくてもいいんで。でも装置ができたので装置で死にます」
 うんうんと思う。うんうんと思う以上のことはない。そういうこともあるだろうなあ、という気持ち。わたし自身が死のうとしているというのにこのうえ他人の厄介な感情まで背負いこんでしまってはコトであるので、わたしは距離を保ちながらうなずいた。
「わたしがこの世に生まれてきたのは間違いだったんでしょうか?」
 急に形而上学的な話を始めないでほしい。知らないよとしか言いようがないではないか。
「わたしは何のために生まれてきたのでしょうか。生まれてきた意味というのは何なのでしょうか」
 しかし知らないよと言うわけにもいかないので「大変ですね」と言ってごまかした。後ろの人はほしかったであろう言葉をもらえなかったようながっかりした顔をした。
 一時間経った。一向に列はぜんぜん進まない。
 安楽死反対のボランティアの人たちがアンパンと水を配っている。
 わたしはさっき「うるさい連中だなあ」と思ってしまったのでアンパンと水をもらうのは気が引けた。でもお腹が減ったし喉も渇いた。なにしろすぐ死ねると思って出てきたから手ぶらなのだ。手ぶらで出てくるのではなかったのだ。
 もうすぐ死のうというのにアンパンと水をもらうのはいかがなものかなあとも思ったけれども、結局アンパンも水ももらってしまった。ボランティアの人に「どうも」と言って、愛想笑いを「へへへ」と浮かべた。死のうとしているというのにこんな卑屈な態度ではいただけないのではないか。もっと堂々としていなければいけないようにも思う。でも自分にはそんなことはできないのだ。
 封を開けるとアンパンのスンとした匂いがする。かじった。乾燥した口の中にアンパンの餡の甘みがズギュンと広がった。むせてしまいそうになって水を飲んだ。水は冷たかった。寒いところにあったからだ。
 喉が渇いていたから水はうまかった。アンパンも水もうまかった。でも冷たい食べ物と冷たい水を飲むと死にたくなる気がした。
 三時間経った。日が沈んでくる。冬なので日が沈むのも早い。灰色の弱い光がドームの屋根にあたってわずかにオレンジ色に輝いている。
「まだ待ちますか?」
 後ろの形而上学的な人が聞いてきた。わたしが振り返ると、後ろの人はわたしの振り返るのに合わせたように「ふーっ」とため息をついた。それがなんだか、じつにわざとらしい、演技みたいだった。
「わたしはもう諦めようかなと思います」
「どうしてです」
「これはたぶん、死ぬのにもとても手間がかかるので諦めろっていう、そういう婉曲なメッセージなんだと思います。最初から死なせる気なんてないんです。きっと」
 そう言うと後ろの人は列を離脱した。
 安楽死反対のボランティアの人達が駆け寄ってきて、命の電話番号みたいなのを渡そうとしたらしかった。後ろの人はそれを「うーっ」って言ってはねのける。そのリアクションはわかる。わたしも多分、そんなものを渡されそうになってしまっては、そういうリアクションをすることだろう。
 それからとうとう日が暮れてしまった。ドームの上のわずかな照り返しも消え、あたりに寒々とした宵の薄闇が広がっていく。
 ふと、気になってきた。
 この安楽死装置、「営業時間は17時までです」みたいなことがあったりしないだろうか。
 いやそんなばかなはずはない。死のうと思ってやってきた人間の気持ちを踏みにじるような、そんな間抜けなことがあるはずはないと思ったけれども、一方で、そういえばチラシに終了時間が書いてあったような気もした。
 17時間際になった。突然、ドーム状の建物からスーツを着た人間がバラバラ出てきて、大声で、
「本日の安楽死は終了です。次回は10日の月曜日になります。集合時間前の待機は近所の方の迷惑になって禁止ですので、ご留意ください」と声を張り上げていた。
 わたしはカッとなった。朝から待っていたのに、なんたることだと思った。
 わたしはみんなでブーイングをあげることを期待しながら周りを見た。寒空の下、こんなに待たされて、みんな怒り心頭であろう。ブーイングをあげないはずがなかった。そうじゃないだろうかと。
 でも、みんなそうしなかった。ピラミッドの中のミイラみたいに押し黙っていた。まあ、そうだろうな、と納得する。死のうとしている人間が、そんな、ブーイングなんてしないだろうなと思った。
 行列に並んでいる人々が一人、また一人とぞろぞろと引き返しはじめていく。ウンカの群れみたいだった。生き物の群れがゆっくりゆっくりと移動していった。
 わたしもウンカの群れに紛れていった。一言も発さない人々の群れがムーンと足音とも苦渋ともつかない音を立てながらぞろぞろと歩いていった。
 わたしは最寄り駅が混雑するであろうことを思い浮かべ、そんな駅に押しこめられるくらいだったら、家まで歩いて帰ろうかと思った。そのほうが健康にいいだろうと思った。健康というのが、この場合、なにを意味するのかはわからないけれども。

終わり