実話怪談風小説『押してくれ』

 Kさんが子供の頃の話だ。
 Kさんにはよく一緒に遊ぶNという友達がいた。学校がはけたら毎日里山に行って、日が暮れるまで追いかけっこをしたりドングリを拾ったりして遊んでいた。
 その日もKさんとNは里山で遊んでいた。しばらくドングリ拾いに夢中になっているうちに、KさんはふとNの声が聞こえないことに気がついた。
「Nくん?」
 少し前まで声が聞こえていたから、そんなに遠くへ行っているはずはない。きっと近くにいるはずだ。KさんはNを探して歩きはじめた。
 しかしNはどこにもいない。Kさんは少し心配になった。というのも、その頃、学校では都市伝説的な人さらいの噂がささやかれていて、教師の口からもその噂を聞いていたからだった。
 もしやそういう人間に捕まってしまったのではないか、そうKさんは思ったという。
 怖くなってきた。もう帰ろうか、Kさんがそう思いかけた時、Nは見つかった。
 Nが、地元の人が“天狗の広場”と呼ぶ、木々のまばらな二十メートルくらいの空き地に立っているのが遠くから見えた。
「どこにいたんだよ」とKさんは駆け寄りながら話した。しかし近づいていくにつれ、KさんはNの異様な状態に気がついたという。
 NはKさんのほうを見ながらぼけっとした顔で立っていた。Kさんの声にも、なんの反応も見せないようだった。
 おかしいな、と感じながら近づいていくと、Nの背が小さくなっているようにKさんは感じた。
 いや、小さくなっているわけではない。Nの腰から下が、地面の中に埋まっているように見えるのだった。
 たとえるならそれは、落とし穴に引っかかっているような様子だったという。
「なにやってんだよ」
 そのあたりは落ち葉が腐っていて、一歩歩くたびに土の中に飲み込まれそうな地面だった。Nもそうやって動けなくなってしまったのかもしれない。危ない、とKさんは直感的に思った。
 近づいていっても、Nはなにも言わなかった。なぜ答えないのか、とKさんは思った。しかし、しばらくしたあと、NはKさんのほうも見ずに、
「頭押して」
と言った。
「なんで?」とKさんは聞いた。
 Nは、ふだんよく聞く甲高い声ではなくて、棒読みの淡々とした声で、「頭押して」ともう一度言った。
「なんで?」Kさんは聞いた。しかしNはくり返し「頭押して」と言うばかりで、Kさんは目の前の人間が、本当にNなのかどうか、疑わしくなってきたという。
 そのうちにNは「うううー」とうなりだした。それが、Kさんが頭を押さないせいであるように思えたので、少し怖くなってきた。
 Nの声はだんだん大きくなり、ついには大声で叫んでいるほどになった。
 Kさんは慌てて、押した方がよいのではないかと思った。けれどもふと、こんなに大きな声で騒いでいたら、いつもKさんたちに苦情を言う、近所に住んでいるおじいさんが気づいているはずではないかと思った。
 一歩、後ろに下がった。するとNは突然、うめくのをやめた。それまで無表情だった顔に、あきらかに怒った表情を浮かべて、Kさんのほうをぎょろっと見た。そして
「頭押せよ」
とはっきり言った。
 次の瞬間、Nは「押せ押せ押せ押せ……」と、早口で言いはじめた。それはたとえば、工場の機械が高速でものを作ったり切ったりしているような、テープを高速で早送りしているような、そんな調子だった。
 Kさんは耐えられなくなり、Nを置いて走っていった。ふつう、離れていくのにつれて、Nの声は小さくなる。しかしどういうわけか、いつまで走っても、Nの
「押せ押せ押せ押せ」という声は小さくならなかったように感じた。
 どうやって家に帰ったのかKさんは覚えていなかった。気がつくと朝になっていた。Kさんは母親が部屋に入ってくる音で目を覚ました。
 起きているKさんを見て、「もういいの?」と母親がいい、Kさんはその言い方に違和感を覚えた。「どうして?」と尋ねると、「あんた、もう二日ぐらい、熱出してたんじゃないの」と言う。
 Kさんは驚いて、Nのことは伏せたまま、昨日は山に行って遊んだんだけど、と言った。
 すると、母親は嘘をついている様子でもなく、「あんた一日中寝てたんだから、夢だよ、夢」と言った。
 Kさん自身、そう言われると、夢だったのかな、と思った。しかしNの表情や、呪文のようなNの「押せ」という言葉は、夢とは思えないと感じていた。疑問に思いながらKさんは朝食を食べ、学校へ向った。
 学校へ着くと、いつもならKさんより早く登校するはずのNは来ておらず、Kさんはどきっとした。
「Nはどうしたの」、とクラスメイトに聞くと、Nは行方不明になったんだよ、と言われた。
 学校の帰り道に山へ行って、そのままもう三日は家へ帰ってきていないということだった。
 仲が良かったKさんも、Nについて何か知らないか尋ねられたが、昨日のことを言えるわけもなく、知らない、と口をつぐむしかなかった。

 それから一月ほどして、KさんがNと遊んだ里山から、つぶれたNの靴が出てきた。ただ、その靴の不思議なところは、“縦に”つぶれているところだった。つまり、つま先からかかとに向って、強い圧力がかかった状態で発見されたのだという。
 それを聞いたとき、Kさんはなんとなく、“誰かがNを押したのではないか”と、そんなふうに思ってしまった。
 そしてなおもこう思ってしまうのだという。あのとき、Nは地面に埋まっていたのではなくて、もしかしてすでに、半分つぶれていたのではないか、と。
 自分が頭を押したら、Nはどうなっていたのだろうかと。

「おそらくいまも、行方不明のままなんだと思います」
 Kさんは言った。

終わり