日記 口述筆記に真剣に取り組む

 口述筆記で小説を書くということを何度か試そうとしてきては、「これはやっぱりキーボードを叩いて書くほどにはよい文章が書けないな~」と思って止める、ということを何度か繰り返していて、それでもやっぱり口述で文章を書こうということの最大のメリットとして「疲れにくい」ということがあると考えると、やはり口述筆記を本気で執筆スタイルとして取り入れなければならないのではないかというように思ってきている今日このごろ。
 ではなんでそもそもキーボードを叩いて書かないと良い文章が書けないと思っているのかというと、ポイントはタイムラグだと思います。思いついた言葉を書くことと、実際にそれをキーボードでタイプすることの間にタイムラグが生じて、そのタイムラグの間に何か魔法のようなひらめきが生じて思いついた言葉よりももっとずっといい言葉が思い浮かぶような気がするのかもしれません。
 そして一方でそのタイムラグで考えてしまうことによって頭が疲れてくる、そういうことなんだと思います。
 じゃあどうしていけばいいのかということではありますが、口述筆記をちゃんと自分が納得できるレベルの品質を保ちつつ執筆することに使えればいいんですけれども。
 最終的には自分が妥協できるかどうかということに尽きそうな気もしますが、難しいですね。ちなみにこの文書は口述筆記で書いています。

 だいたい良い文章が何かっていうところが私自身まだよく分かっていないところが問題なんだと思いますね。ちなみに私が良い文章だと思っているのは三島由紀夫と泉鏡花だと思ってるんですけれども、そして恥ずかしながら三島由紀夫や泉鏡花のような文章を書こうと思って幼い頃のわたくしはずっと取り組んできたんですけれども、はるか昔にこれは無理だなと思って諦めて、もっと平易な文体で書こうということで今の文体ができているというところなのではありますが、でもその中でもやっぱり何か良いもの、良い文章を書けたという感覚を何だと思ってるのか、自分は何をいい文章だと思っていて、何を書ければそれが出来たというように思えるのかということをはっきりさせておくことは、この口述筆記に取り組むに際して重要なことなのではないかという気はします。
 それさえできていればたぶん口述筆記だとしても問題はないというところではあるのですが……。
 あ、ここまでちょっと話してきて思い出しました。口述筆記で駄目になってしまうということ、なんとなく口述筆記は良くないなーと思っていることのデメリットの一つとして、頭の体操にならない、というのは結構あるんですよ、口述筆記。
 キーボードをタイプして文章を書かないでいた次の日に職場に行くと、なんかあんまりうまく頭が働かないなと思うようなことが結構あって、それって何でかなーって振り返って考えると、結局キーボードをタイプして文章を書いてないからではないかというような気がしてて、それで一回止めたことがあるんですね、口述筆記を。
 なのでそう、頭の体操、文章書きながら頭の体操をしてるというところがあったんですけれども、でもそれって文章に取り組む態度としては不純な動機だよねって今ちょっと気がつきました。小説の出来不出来を言うんであればその頭の体操は置いておいた方がいいんじゃないかという気がしてきたので、別にそれが理由で口述筆記をしないというのはちょっと違うなということいま気がつきましたね。
 そうしますか。
 とりあえずあの、頭の体操は置いておきましょう。良い文章が書けるかどうか、そして良い文章とは何だと思ってるのかっていうところを明らかにしていけば、実用に耐えうる口述筆記という概念にたどり着けそうな気がするので、頭の体操は置いておきましょう。