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上弦の月

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10-10さん(@tentown10)が描かれたアンカーベストのイラストに着想を得て作成しました。10-10さんリンクの掲載許可ありがとうございます!

            ◇ ◇ ◇

 満潮ラッシュでタワー4本なんて鬼だよ、バイト終了後のロッカーでは作業員達が戦況の酷さ比べをしていた。作業の中でどれだけ悲惨な状況だったのか、体験した最悪の状況をお互いに出し合うのだ。今日の勝者はタワー4本に遭遇した人だろう。

 その通路横ロッカーのベンチで作業着の上にアンカーベストを羽織り、安全足袋を履いた。
 この足袋は今月出たうちの会社の新商品で、確かノンスリップタクミとかいうネーミング。ポイントを達成した作業員全員に配布している。開発担当のタクミ君の名前と匠を掛け合わせた印象深い商品だ。

「あれ、この後どこか行くんですか?」
 たまたま通りがかった顔なじみのバイト君に尋ねられた。
 彼は現場に移動する船中などで気さくに声をかけてくれるので、会ったら何となく世間話をする仲になっていた。 ぱっつんとした前髪の、大人しそうで素直そうな印象の子だ。

「ああ、ドンブラコの設備に異常があって。それの確認に」
「そうなんですか」

 僕らを背に作業員達はお疲れを口にして次々と部屋から退出していく。
「君も早く行かないと、バスに乗り遅れてしまうよ」
 港は市街地から随分と離れている。会社ではマイクロバスを用意して、港から駅まで従業員の送迎を行なっていた。無駄話でバスを逃しては可哀想だ。駅まで徒歩で40分かかるのだ。

「そうですね。それではお先に。お疲れ様でした」
 バイト君はそう言うと出口で振り返った。
「あ、僕ウタっていいます」
 僕がきょとんと見ていると慌てて
「それだけなんです。さようなら」
と言い残して去っていった。


 船のエンジンをかけ出港の準備を整える。
 高台コンテナの配置や収納時に異音がすると報告があった。その異常の改善に外部の業者に出すか、出さないかを現場で確認し、判断する必要があった。

 時間はもう夕方、ペアを組む同僚は今日に限って発熱で休みだった。
 明後日にはドンブラコの作業の予定が入っている。修繕を入れるなら明日のみ。日は残されてなかった。
 本来なら明るい日中に同僚とペアで行動するのが望ましい。人手不足と時間に追われやむを得なかった。

 持ち物を確認する。必要なものは記録用のカメラと筆記用具、巻尺、簡単な工具は船にある、大体こんなものか。

 準備の過程で手元が随分暗いのに気がついた。道具の文字が見えにくい。窓を見上げると大分日が落ちている。

 移動用の懐中電灯と作業用の強力な照明を持っていく必要があった。確か事務所にあったはずと思いながら事務所に向かう階段を駆け上がった。



 薄暗いドンブラコは壮大でちょっと不気味だ。波音と風音が効果音になり夕陽が壁を背後から照らしている。時々風で揺れる何かが鉄骨に当たるらしく金属音がカーンカーンと響いている。

 桟橋が近づく。エンジンを停止させ、ビットと呼ばれる係留柱にロープの輪をかけ結びつけ、甲板からそのまま桟橋へ飛び降りた。

 異音のするコンテナは高台の上。浜を抜け傾斜を登る。
 コンテナは不使用時は地下に潜っており、そのままの状態では確認が出来ない。コンテナの設置台のサイド部分にメンテナンス用の操作盤があるのでそれを使用する。

 ライトを設置し手元を照らしながら蓋のネジを外し操作スイッチを露出させた。

 スイッチの電源には特に異常は無い。コンテナを出し入れさせてみると確かに通常の作動音の他に異音がするし、何かに引っかかってるのか一拍作動が遅れる気がする。

 コンテナの縁を確認してみると梱包用の硬いPPバンドがコンテナに巻きこまれていた。報告用に写真を撮る。
 黄色いそのバンドを取り除き出し入れを何回か行うと異音も引っかかる感じもない。これなら大丈夫だ。


「こんなところにコンソールがあったんですね」
 背後から声がした。慌ててて振り向くとウタ君がいた。

「なぜ、君がここに」
 誰も居ないはずのドンブラコで声をかけられたので本当に驚いた。幽霊に心臓を掴まれた気分だ。

「すみません。こっそり船に乗船していました。作業現場じゃないドンブラコを一度見てみたくて」
 周りを見まわしながらの気楽な言い草に軽く腹立ちを覚えた。

 関係者以外を連れ込んだという不始末を問われるのはこっちだ。万が一ここで怪我でもされ、更なる責任を負わされるのもたまらない。

 ここで怒っても好転しない。腹立ちを飲み込んで陸に戻るまで冷静に振る舞おうと思った。

「来てしまったものは仕方ないです。今片付けますから、そこで大人しくしていてください」
 言葉の端々がとげとげしくなる。
「酷いな。子どもに対する扱いですね」
 君がやってる事自体が子どもみたいなんだよと思いながら制御盤に蓋をした。

「僕も何か手伝います」
 工具をしまっていると声を掛けられた。居るからには手伝って貰おうじゃないか。
「では照明を。懐中電灯で手元を照らしてください」

 日はすっかり落ちてしまった。太陽は水平線上に赤い光の痕跡をとどめているくらいだ。
 照らされた灯りで確認する範囲では、忘れ物も無さそうだ。万が一に備え明日も確認に来よう。

「行きましょう」
 荷物を桟橋まで運ぶ。その足元をウタ君が照らしてくれていた。

 しばらく船から離れている間に潮が引いて、船は係留ロープいっぱいまで桟橋から離されてしまっていた。船と間に距離が生じている。
「ここで待っていてください」

 先に船に乗り込んで荷物を受け取ろうと思い、船のヘリを掴み勢いをつけて乗り込んだ。
「荷物を渡してもらえますか?」
 野外ライトなどを手渡しで受け取った。
 不本意だがウタ君の存在が少しありがたかった。後日ご飯でもご馳走しよう。
「ウタ君も乗ってください」

 ウタ君に手を差し伸べるとほっそりした手に握り返された。意外と熱くて汗ばんでいる。
 手に力を入れ、船に引っ張り上げるその時に、カシャンと後ろで音がした。彼が何かを落としたらしい。

 慌てたウタ君が手を離して桟橋に飛び降りたところ、蹴つまずいて、そのはずみで海へ転落してしまった。僕は慌てて船から飛び降り水没した彼を引き上げた。

「海水は飲んでいない?何か無くなっていない?」
「大丈夫。端末を落としたけど、それはここに」
 海に体が落ちただけで、ダメージは無さそうだった。
「船に何か拭くものがあると思うので持ってくる」

 船には古びたタオルがあった。ずい分洗って無さそうで磯くさくてカビくさい。でも無いよりはマシ。荷物を入れるビニール袋も用意した。

 タオルを渡し海水に濡れた服を脱がせた。彼がスパッツ一枚になって拭き終わったところで、自分が着用していたアンカーベストを脱いで渡した。

 船に予備は無かったのだ。 また海に転落されてはたまらない。
「危ないので着てください」
彼はにこっとして受け取った。濡れた服はビニールに入れ船にのせた。

 船に乗り、出港の準備をする。思っていたより風が強い。
 夜間の海上でアンカーベスト一枚きりじゃ寒いだろうと作業服の上衣にしていたフューエルブルゾンを脱いで彼に放った。


 街の灯り、山の稜線、波間に揺れる遠方の浮標を参考にGPSを頼りにして母港を探す。

 注意すべき事項が多いけれど、夜間の航行が好きだ。晴天時には星は瞬き、流星が絶え間なく降り注ぐ。満月の夜は海面が銀色に染まる。
 幻想的な光景は陸上の俗を忘れさせ、自分の中のよどみが浄化される気がした。
 昼の火照った空気が空に上がり涼しい風が吹き抜けるのもいい。体感的に気持ちが良かった。


 母港の灯りがみえた。見慣れた場所に戻ると安心する。船を旋回させ後進から着岸する。
 ロープで船を固定してから、後方席のウタ君に声を掛けた。
「着きましたよ」
 静かだと思ったらウタ君は船を漕いでいた。波とエンジンの単調な音や揺れは眠気を誘うし、朝からのハードなシャケ漁で疲れていたのだろう。

 急いで事務所に戻り自分のロッカーを漁った。そして船に戻ってウタ君を起こした。
「これ、良かったら着てください。裸じゃ帰れないでしょうから」
「…はい‥」
 寝起きの彼に予備のTシャツを渡し、工具を元の場所に戻したり荷物を船外に下ろしたりしていた。


 ベストを脱ごうとしているのか、さっきからずっと後ろでカチャカチャ音がする。
「イオリさん、ベストが外れない」
 ウタ君から困ったような声がする。見るとチャックが布地を噛んでいる。
「貸してください」
 チャックを上下させ布地を横に引っ張る。それでも開かない。切るしかないのかと思ったら、たまたま布地を斜めに引っ張ったのが良かったのかあっさりとチャックが降りた。

「開いた!」
 喜んでいるとすぐ近くの位置で自分の顔を見ていたウタ君と目があった。ウタ君の瞳はブルーグレイ色で虹彩の中がキラキラと光っている。珍しい。

 まじまじと見ていたようで、ウタ君は照れて目をそらしてしまった。顔も近づき過ぎていたようだ。
「あ‥外れましたね」
「……すみません、ありがとうございます」

 静謐な夜の空気がこの一瞬で変わった気がする。ちょっとした気まずさと空気に色と熱が加わったような。色はきっと薄めの黄色だ。


 船から下船するウタ君に声をかけた。

「今後、忍び込みはやめてください、危ないですから」

「危なくなかったら、いいんですか?」

 ウタ君は挑戦的な表情を浮かべている。次はバレなかったらいいんじゃないかと言い出しそうだ。

「じゃ言い換えるよ。君が忍びこむと僕の勤務評定に関わる。最悪の場合は解雇につながるんだ。君は僕のクビを望むのかい?」

「望んでいません」

「なら二度とやめてくれよな」

「すみませんでした」

 ウタ君はしゅんとしていた。
「わかってくれたら、いいよ」

 もう侵入されることはないだろう。理解してもらい肩の荷が少し下りた気がする。

「敬語、無くなりましたね」
 荷物を抱えて振り向くと

「そっちの方がいいですよ」
 ウタ君が微笑んだ。

「……事務所で待ってて、駅まで送るよ」


 車のキーを取りに行く足どりが妙に軽い。

 何故足どりが軽いんだろう。

 疑問を持ちながらふと見上げた夜空には、白く輝く上弦の月が昇っていた。