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ありがとう、HONDA

幼少期、音楽と出会う以前の僕は車に夢中でした。
母親に聞いた話では、ベビーカーから工事現場の車をよく見学していたようです。ここを動くまい、とごねたのだとか。
愛読書はもちろん車図鑑。
赤色が好きな僕は、幼稚園の絵日記「将来の夢」で真っ赤に塗りつぶした車を描きました。ゆうびんやさんになりたいです──。


そして物心がついた頃、テレビでF1中継を見ました。
前知識もなく、初めて見るF1。
似たような車が何台も走っているというおぼろげな認識の中、他と一線を画す一筋の閃光がありました。

アイルトン・セナとマクラーレン・ホンダ。

それは電光石火の走りでした。
マールボロの白と赤のマクラーレン、恐るべきパワーのホンダエンジン、鬼気迫るドライビングのセナ。
トップを独走し、なおも2位との差をぐんぐん広げていくその光景はあまりに衝撃的で、僕は大急ぎでF1の世界にのめり込みました。

幾度の優勝、幾度のワールドチャンピオン獲得──。セナとホンダは全盛期を迎えていました。
僕の興奮は右肩上がりでしたが、1992年、本田技研工業の新車販売不振により、ホンダはF1を去ってしまいます。
さらには1994年、セナはトップを走ったまま、この世からいなくなってしまいました。
僕のF1は死にました。


2000年、ホンダはF1に復帰します。
しかし、黄金期の最強っぷりはすっかり影を潜め、2008年にまたしても業績悪化に伴ってF1撤退。
僕はといえば、純粋にF1を楽しむことができず、終始なんとなく見るにとどまりました。
友達との会話も上手くコミュニケーションが取れずにいました。「あの頃はよかった」そんなふうでした。
けれど、見てはいたのです。
青山のHonda本社ビルにマシンが特別展示されると駆けつけましたし、心のどこかでホンダが大好きな気持ちは残っていたのだと思います。


2015年、マクラーレン・ホンダが復活しました。
それはもう一大ニュースでした。かつてセナが乗り、数々の伝説を残した、あのマクラーレン・ホンダです。
僕は希望に胸を膨らませて、走る姿を心待ちにしていました。
大それたことを期待していたわけではありません。マクラーレン・ホンダをもう一度見られるだけで充分だという心持ちでした。

それにしても、でした。

シーズン開幕前のテスト走行。
多くのデータを持ち帰ることが重要なミッションであり、各チームが周回を重ねる中、マクラーレン・ホンダはトラブルにより、その日のほとんどをガレージの中で過ごしました。
走ったのはわずか6周。(メルセデスは157周)
惨劇でした。

「なにしに行ったんや」
「復帰決定からの2年間、なにしてたんや」
「本田宗一郎がおらんくなってホンダは終わったんやな」

このようなことを、僕は実際に口走ってしまいました。
世界からバッシングされる屈辱に憤りを禁じ得ませんでした。泥を塗らないでほしい──。

シーズンはリタイアの連続。
完走もままならないレースは僕ですら目を覆いたくなるもので、チームやドライバーのフラストレーションは計り知れないものだったかと思います。
次第に過激な物言いが増えていき、ついにはレース中、フェルナンド・アロンソに「GP2(F1の下位カテゴリー)エンジン!」と言われてしまいます。
「もう一度チャンピオンになるためにはホンダが必要」とマクラーレンに移籍してきたアロンソ。
誰も幸せにならない、悲しい復帰一年目となってしまいました。


次のシーズンも、そのまた次のシーズンも不振は続き、いよいよ業を煮やしたマクラーレンはホンダに提携解消を言い渡します。
「ホンダとの3年間は悲惨だった」とマクラーレンは言い放ちました。

ちょっと待ってくれよ。

3年間文句を言われ続けてきたホンダだったが、一度だって反論や言い訳を聞いたことがなかった。それでも愚直に状況を打開しようとがんばってきたのだ。メインスポンサーを持たない中でスポンサードだってしてきた。それなのに捨て台詞まで吐くなんてあんまりだった。そもそも遅いのはシャシーの問題もあったはず。マシンはエンジンだけで走ってるんじゃない。

ホンダは新たにレッドブルの姉妹チーム、トロロッソと契約し、僕はトロロッソ・ホンダを全力で応援することに決めました。
いつかレッドブル・ホンダとなり、マクラーレンをぶち抜くことを夢見て。


レッドブル・ホンダの実現は意外に早く訪れました。
トロロッソとの契約からわずか1年でトップチームであるレッドブルと契約できた背景には、こちらはこちらでタッグを組んでいたルノーと喧嘩別れするという事態があったのです。
かくして2019年、レッドブル・ホンダが誕生。
マクラーレンとは違い、愛情を持って接するトロロッソと共に制度を上げてきたホンダエンジンはレッドブルとのパッケージングで覚醒、開幕戦オーストラリアGPを3位フィニッシュ。
その後も第9戦オーストリアGPで優勝。
強いホンダが帰ってきました。

ところが、大いなる可能性を感じさせ、これからだと思っていた矢先、残念な発表が飛び込んできてしまいます。
2021年、F1撤退。
苦労して苦労して苦労して、絶対王者メルセデスの牙城を崩すところまで上り詰めてきたというのに。
だけど、だからこそ、ワールドチャンピオンを獲ってほしい──。今年はそう強く願ったシーズンでした。


昨日、12月12日がレッドブル・ホンダのラストダンスでした。
最終戦アブダビGP。
勝てば、マックス・フェルスタッペンがワールドチャンピオンを獲得。
1時間半の死闘、306.183km、そのファイナルラップでした。
フェルスタッペンが逆転優勝。
あまりにも劇的な、あまりにも劇的な、幕切れ。

ガレージから出られなかったエンジンが、王座をかっさらって去っていく。

どん底から有終の美──。
ホンダ、セナ以来30年ぶり王座奪還。


やっぱりホンダはかっこよかった。

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