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薬考:(2/2)

(つづき)
…追加の服用が効き始めるのは早く、早ければ数十分で第二波がやってくる。6錠の追加ならともかく、12錠を追加すると直後の数時間はほとんど記憶に残らなくなってしまう。そうなればこの記録魔の理性もたちまち粉々になり、手記も写真もまるでめちゃくちゃで体をなさなくなってくるのである。まあ今回も全くその通りだったんですけど。だからこの危険な数時間を書き留めるには、その間に意地で書きつけたむちゃくちゃな手記を文字に起こすしかない。

───以下手記───
気づいたら、耳の中での白と青と赤の対比に意識が。
ほんとここちよい ありえない せかいがあんねん
一人一人 いいよ、いいよ もんだいとちいさいことでいいよ、いいよって
それで おしまい
やすらぎ
───手記終わり───

たったこれだけである。というのも無理はない話で、この間に経験するのは説明しようにも説明できない世界だからである。なんでかっつーと時間や空間の存在のしかたがそもそも3次元とは異なっていて、それを説明するにはしかし語彙力のないこの野郎には3次元の言葉を使って説明するしかないのであり、その時点でなんかもう違うのである。次元といえば例えば、3次元に住む我々に4次元の概念は理解できないとかそういう話だと思う。大げさに言えば全然違う宇宙での体験を説明もなくさせられているような……とかなんとか 言えるのはせめてこれくらいで、そのレベルで朦朧としてるということです。意味もまるで分からないし、これだけ記憶に残らないと実際はあんまり経験する意味もないということです。この状態では目まぐるしく変わる頭ん中のイメージについていくのが精一杯で、言わば空想が主役であり、たまに現実に戻ってくるとかいうレベルです、レベルである。ただ今回は外部からの心理的影響が大きかったこともあってちょっと特殊であり、それはちょっとプライベートすぎる話なんだけども、それによりトリップが長引くこととなった。
大きな心理的な影響を受けたのは朝の喫茶店であった。気がつくと夜はとっくに明けていて7時を過ぎており、友人が場所を知っているというので十数分歩いてコメダに向かった。"気がついて"はいたがまだ2人とも全然ガンギマっており、俺たち人間として終わりすぎてやしないかい君、君いや君まあこういう経験から得ることもあるんです、と意味不明な言動を繰り返した上苦笑するなどしてこれをごまかしていた。


(中略)
友人は昼を前に静岡に戻り、私は一人になった。眠れるなら眠りたかったが、数時間経っても意識は飛んでいかなかった。眠りもせず起きもせず、ようやく立ち上がったのは夕方に差し掛かった16時すぎだった。こんな状態でこんな場所に、ただ一人で立っているのが不思議であった。日暮れまでただ時間を潰したかったが飯を食うとかオナニーをするとかそういう欲求がまるでなく、じゃあどうしようかとぼんやり考えてみた結果、にわかに自分を奮い立たせたのはこの非日常感、この虚無感をいっそう際立たせてみることだった。このふらふらで孤独な16時の今、じゃ、まあ上野公園に行くしかないと思い外に出た。
上野公園から見る東側のビル群は不思議だった。ビルの手前、公園内には池があり、池の中には芦かなんかの植物がびっしり生えているのだが、あれはそれなりに意味があるんだろうか。この時の心境もあるしこう言っちゃ大げさなんだけども、なんだか池の向こうのビル群が三途の川の向こうに建っているような、儚く虚しい存在に見えたのである。その虚しさを、池に生えたしょうもない植物がいっそう強めていたのは間違いない。池を南回りに歩きつつ、道端に横たわるホームレスを撮った。結局のところ、こんな時でも自分を突き動かすのは記録することであり、記録することで自分は確かにここにいたと、確かに行動したんだという確証が欲しくて仕方ないのだ。しかしそれは、自分が今現在を生きている実感が無いことを振り切るための反動ではないだろうか?
何気なく音も録ってみようとボイスメモを開いたとき、その疑念は余計に強まった。つーのも、そこには見覚えのない新規録音がいくつも保存されていたのだが、そのほとんどはこの日記でも"あんま言うことなかった"はずの、池袋で録られた音だったからだ。駅や裏通りの雑踏や喧騒、信号の案内、電車が走り去る音やヘリコプターの飛ぶ音に加えて、自分自身の息づかいや友人との会話、煙草に火を点ける音に至るまで、その時の自分がなんとか証拠を残そうと必死だったのが伝わってきて、それがわけもなく悲しかった。
(急に悲壮感強めになっても読んでて訳分かんない)


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