近況ーYESかNOかでは答えません

・コンビニに行く。

会計時になんとなしに店員さんの後ろにあるタバコの棚を眺める。

ふと思う。

「種類多すぎじゃない?」

見慣れすぎて感覚がバグっていたのではあるまいか。どう考えても多い。何当然のように3桁の数字で呼ばれてるんだ。

私はタバコを全くやらないので詳しくないが、同じ銘柄にも種類がありやがる。ショート?ロング?君たちは何を言ってるんだ。

ウーロン茶は2種類くらいしか置いてないのにタバコは200とか300とか置いてる。

そう考えると喫煙者って甘やかされてるな。

それともやはり税金の問題だろうか。理屈上、タバコを売れば売るほど税金が支払われるということは、タバコを売れば売るほど国民全体の生活が豊かになるということになる。

種類を豊富にすることで、喫煙者を逃さないようにしているんだろうか。


・「YESかNOかで答えてください」

こういう言葉を平気で使う人間をあまり信用しないことにしている。

なぜなら、彼らはえてして論破癖があるからだ。つまり議論癖がないからだ。


実のところ、「はい」か「いいえ」の2極のみで満足に答えられる質問なんてこの世にはほとんどない。それが議論ともなればなおさらのことだ。


例えば、私がこの文章を打っている今日、ツイッターで「喫茶店やスタバで受験勉強や資格勉強をするのは是か非か」という話題がトレンドに上がっている。

この話題も「是が非か」という一見「はい」か「いいえ」の2択に見えるが、その実そうではない。

例えば、「金を払う客なのだから当然に勉強をしていけないはずがない。」という意見もあるだろう。「定期的に注文をすれば許される。」「繁忙期には控えるべき。」という意見もあれば「喫茶店は飲食を楽しむ場であって勉強を行うべきではない。」という者もいるだろう。

これら全ての意見を「はい」か「いいえ」に二分するのはどう考えても不親切で乱暴である。

答える側としては不自由極まりない。


つまるところ、「YESかNOかで答えてください」というのは相手に不自由を押し付けているといえる。

少なくとも健全な議論のあり方とはほど遠い。

アキネーターですらもう少し選択肢がある質問をする。


議論において健全さをなくすのは、おおよその目的は自分が有利な立場になりたいからだろうな、と邪推される。

そんな邪推をされたくなかったら、くだらない質問はしないに限る。


私は今後「YESかNOかで答えてください」などと言われたら、「嫌です」と答えようと思う。

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