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Lighthouse.または、光の射す方へ。

音楽というのは衣服のようでもある。と思う。

流行りも定番も、たとえ廃れても大事にしたいと思うものもある。
またはそれらが再び評価されることだって、時流の中でいくらでもある。

サイズが合わなくなったり、すり減ったりして脱ぎ捨てるしかなくても、記憶と共にいつまでも捨てられないものがあったり、たとえ似合わなくなっても、または似合わなくても、あるいは着こなせなくても、どうしても纏いたい装いも、同じように見えても少しずつ形を変えながら、または仕立て直されながら誰かに寄り添い続ける衣服もある。

または、誰かのために紡ぎたい、またはそのように紡がれた衣装もあるだろうし、それを誰かのために、または自分のために織り成したい、と思う誰かも、当然にあるだろう。

さらに、どうしても着られないほど小さくなって。
またはもっと纏いたいものがあるのならば。

その装いは脱ぎ捨てるしかない。
たとえ記憶と共にタンスの底で眠り続けることができるのだとしても。

そこにあるのは変わりゆくものと変わらないもののどうしようもない相克や、または望むと望まざるとに関わらず、ただ事実として変化ないし変容した、自らとの相対であろう。

これは聴き手としての自分の実感でもあるし、また演じる側にとっても同じ感覚があるのではないか、というのは、もしかしたら幻想かもしれないけれど。

と、相変わらず迂遠な前置きを経て。
何が書きたいのかといえば、"nuanceのmisaki"だった、ひとりの華奢だけどエネルギーに溢れた女性のことである。
それだって俺の中できちんとまとまっているか、といえば、おそらく全くそうではないのだが。

要するに。
俺は、去年の今頃「私は来年もnuanceのmisakiでいます」と言った彼女も、
わりと最近、たしか今年になってから「ミサキサンずっとnuanceでトンチキやってたい。」と、あるいは幼げに見えるほどまっすぐ俺の目を見て語った彼女のことも、よく憶えている。
まあだから、「フェヌュV」で、彼女が「会えてよかった。」といったことに異変が感じるべきでありながら、感じられなかったのだが。

通常運転だと思ってたよその真摯さも。

MINIMARING CLUBの機関誌で語ったように、彼女はもともと優等生になりきれなくて、シンガーソングライターとしての活動を始めた高校生だった。
大学生になって、地元横浜のアイドルグループnuance(当時)として活動を始め、またはそれすらも一度はあっという間に飛び出そうとして(いわゆる「五月の世界線」。)、さまざまな経験や出会いや気付きを経て、見るものからは唐突にしか見えないスピードで、彼女は違う道に歩みを進めた。

そこに残ることを選んだ人たちや、彼女よりも先に飛び出して行った少女や、また新しい"NUANCE"を形作るであろう3人のことを少し横に置いておくとして。
nuanceというグループはそのようにデザインされていたのかなあ、と思う。

フジサキケンタロウは事あるごとに「アイドルを辞めた後に彼女たちに何が残るか、を考えてプロデュースをしている。」と発言している。
もとより彼自身が(わりと無茶な経歴と)裏方としての豊富な経験と人脈を持つから、nuanceの活動にその継承のような色合いを感じるわけである。
あとようしゃべるし。

フジPの名前が出たので、この辺りで一旦衣服の話に戻ると、nuanceのmisakiとしての彼女の装いは、とても彼女に寄り添ったものであったように思う。
たとえば彼女の衣装が左右非対称のロングフレアスカートであったのは、活動初期の彼女がダンスにおいて「ヒザ神」……ヒザを深く曲げることができない、という弱点を有していたことが原点にあるそうだが、上半身の直線的なデザインとの対比が、結果としては彼女の実在……優等生然とした佇まいの中に、アンバランスな少女性や、反骨に近い尖った部分を併せ持つ……を、女性性(って文字で書くと誤字みたいで伝わらんな。「女らしさ」)でもう一度包み込むような存在感を持っていた、ということを、ここで言語化しておきたい。

また、サウンドプロデューサー佐藤嘉風、振付担当の浅野康之をはじめとする作家陣や、バンドセットを構成するミュージシャンたちも、個人の活動とメジャーとの関わりをうまく組み合わせながら、個性的に、そして地域に根ざして活動をしていく生きたお手本のような人たちだ。

そうした人々と触れ合いながら、見様によってはトンチキに見えるあのワンマン(バンドリハの日に場当たりに時間使いすぎてバンドから苦情が出た話はどこで聞いたんだっけか。)の表現をぶちこまれたら、なんと言うか「そういう自我」が芽生えても、#それはそう という話で。

ここで言う「そう言う自我」とは、
私も自分自身の表現というものをやってみたいなー、とか、
何かそこでしかできないものがあるような気がするなー、とか、
これ私にもできるんじゃね?とか、
それじゃあ、いっちょやってみますか!とか。
そういう気分になってしまう自我のことである。

すなわち、我々はnuance(小文字)の表現の進化と並行して、ある側面ではmisakiの「そういう自我」の形成の過程を目撃していた。と言ってしまっていいのだと思う。

かくして、misakiは"nuanceの"という衣装を脱ぎ捨てて、短く切って軽くなった髪型とともに、あたらしい世界へ歩いて行った
彼女が見つけた光の射す方へ。

既にわりとしっかりした体制でアー写の撮影が行われているらしい状況を見るにつけ(メタ発言)、新しい歩みも孤独ではなさそうなのが、何とも喜ばしい。

それでも後ろを振り返ったら、そこには彼女を形作ったたくさんの仲間がいて、その人たちと打ち立てた、いくつもの道標……ランドマークが立っている。

そして、俺は合図を待つことにする。
岬に灯台は付き物だから、そこから彼女が光を放つ時を。

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