6人の「中学生男子」たち。または、内山結愛の「中の人」について。
タイトルに出オチ感が否めないけれど、書いてる人はわりといたって本気&たぶん大マジメだ。
そして、3番目と言うとどうしても「三段オチ」の虫が疼いて仕方がないのだが、なんとか抑え込みながら。
アイドルグループ、RAYのメンバーである内山結愛については、本人の文章がとても巧みなので、その人となり(音楽愛とかパフォーマンス愛とかファン愛とかパフェ愛とか、芸として確立した文章力であるとか。)については、彼女自身の書いた文章を読んでもらったほうがいいと思う。
(が、ハブにするわけにもいかんわけで。本人から依頼もあったしなあ。(照れ隠し))
それから、このシリーズはパフォーマンスそのものについての感想をさらっと書きすぎだと思うのだが。
最新の感想としては、内山結愛は「命が人の輪郭からはみ出ている」と思う。
自分の手足を動かすには若干パワーが余っている感じと言い、背中に光源持ってきたでしょ?と思うような笑顔の眩しさと言い。
背中のチャックを下ろすと、あのまんまの形で3メートルぐらいの内山さんが出てくるんじゃないだろうか。
歌声については、たぶん本人が過去に聴いてきた女性ボーカルたちの好きなところをうまく取り込んでいるんだと思う(だから元々たぶん耳がいいのよね。)。
さて。
内山結愛は心に中学生男子を飼っている。
RAY Official Website
上記のページに記載の通り、本人が認めて公式化してしまったのには驚いたが、実はこれを言い出したのは俺なので、俺が思うところの「内山結愛の中にいる中学生男子の成分分析」を試みる。というのが、本稿の趣旨だ。
ざっくり数えたら、たぶん6人いる。
ひとりめ:変身願望を持つ少年
実のところ、俺が内山結愛を「厨二男子を飼う女」と言い始めたのは、この印象によるところが大きい。
内山結愛は基本的に優等生だ。
が、おそらく同時に、そうでなかった自分への憧れを抱いているのだと思う。
「来世は男になって女子にモテまくりたい」とか言うし。あなた充分モテモテでしょうオタクと共演のアイドルに。
特攻服とか着るとノリノリになっちゃうし。ヤンキー言葉がぎこちないけど(よく考えたら女ヤンキーは「俺」とか「だぜ」とか言わないからあれは男ヤンキー設定なんだろう。)
彼女がアイドルを志した原動力は変身願望かもしれない、と言うと一気に陳腐になってしまうのだが。
ソロチェキをフリーにすると謎ポーズをとりがちなのも、あれは内山少年の変身ポーズなのだろうか。
ふたりめ:「死」に実感がない少年
内山結愛はゾンビ(ホラー?)映画愛好家だったりもする。あとすぐ「死」とか言う。
前述の通りあんなバイタリティそのものみたいな人はそうそう簡単に死なないと思うので、少年にありがちな実感のなさだと思う。
その上で死ぬほど頑張ってるのはわかる。
さんにんめ:負けず嫌いな少年
この人もわりと頻繁に顔を出す。
多くのオーディエンスに記憶されているのは、自主練配信でぽろっと言ってた「RAYは曲はいいのに歌がね、って言われちゃうから」だと思うが、卓球配信のガッツポーズと落胆を行ったり来たりする感じもその発露だろうか。
個人的には、月見ルの特典会で(たまたま同じ名前のビールがあったから)"blue moon"(tiptoe.)について聞いた「あの曲が発表された時は悔しかった。あんないい曲は自分たちが歌いたかった。」と言う話がかなり迫真だった。
自分たちもいい音楽をやっている自負があるからこそ、盟友でありライバルでもあったtiptoe.が、それまでのイメージとは異なる楽曲で新しい表現の形を得たことが悔しかったのだろう。
よにんめ:実はシャイな少年
これについては細かい話は省略。
バレンタインの時の「きゅんはNGにしてください……(憔悴)」とかが直近の観測事例だろうか。
ごにんめ:好奇心旺盛な少年
前掲のプロフィール記載の通り、本人も「中学生男子」の主成分と認めているし、ついに外部サイトでの連載まで始まったアルバムレビューにも色濃く反映されているように、内山結愛は好奇心旺盛だ。
道で出会った「変わったもの」を、「面白い」と言える感性は表現者として絶対的に正しいと思う。
出番前の楽屋で、緊張でとっ散らかってる(らしい)シャイボーイをステージに引っ張り出してるのは、自分のライブを観たオーディエンスの新しい感想や感情に出会うことへの好奇心かもしれない。
ろくにんめ:人懐っこい少年
これは内山結愛本体だ、と言う気もする。
彼女を知る人たちはそれを体感しているだろうから、ここにこれ以上言葉を出すのは野暮なのだが。
もしまだ彼女に出会っていない人がこれを読んでいるなら、早く会いに行くべきだ。
そして、彼女が言う「仲良くしてください」はガチだぞ。ほんとマジで。
念のためもう一度。
これを書いている人はいたって本気かつ大マジメだ。
人間が社会的動物である以上、どうしたって成長の中で外部から求められる「らしい」思考に変化していくものだろう。
(ホルモン分泌の脳への影響、という内的な要因もあるようだが。)
たとえば「男はいつまで経ってもガキだよね」とか「あの人はいつまでも少女のような人だ」と言う表現があるが、そこには程度の差こそあれ呆れや浮世離れのような色合いがあるし、ましてや自分の中の「異性の幼さ」は、真っ先に手を離してしまう対象であるように思う。
だから、内山結愛が彼女の中の少年たちと手を繋ぎながら、表現者として、そして女性としての自我を形成しているのは、シンプルに興味深いし、とても魅力的だ。
最近発言のそこここに大人の自覚を垣間見せるお結愛さんだから、いつか彼女の中の「彼ら」の何人かは、彼女からも我々からも見えなくなってしまうのだろうけれど、多分その時に内山結愛は、彼らから受け取ったものを手にして、彼女がなりたい「何者か」になるのだろう。
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