見出し画像

はじめに「ひかり」ありき。または、月日について。

俺は文章のタイトルに「または」って入れないと気が済まないのだろうか。という話はさておき。

以前に書いた、「no title. または甲斐莉乃とまだ見ぬ「彼女たち」について。」の主人公であった甲斐莉乃と同じく、アイドルグループRAYのメンバーである、月日という女性がいる。

月日さん(この辺だけ敬称付き。"つーちゃん"でも"つー様"でも大体同義語。というか月日さんについて呼称が安定しないのは俺の仕様だと思う。)については、
素晴らしい先行研究や、本人が著した文章がいくつもあるゆえに、
それらとの差別化をどうしたものか、とも思うのだが。

まず、RAY加入当時の月日を知るために最大の「テキスト」であろう、
ドキュメンタリー"Her Record"。
 https://www.youtube.com/watch?v=ATtfrU6M-vw
(この映像の中の、ミスiD2020卒業式のシーンの写真の1枚目(右上を見上げてるの)は俺のです。)

次に、これもRAY加入当時の彼女について、ファン視線で綴られた、
「須崎萌花は月日である。」(scarlet222氏)
 https://note.com/scarlet222/n/n7b6a74d3b677

さらに、ミスiD2020卒業式前夜に、月日本人に記された、
「#ミスiD2021」
 https://note.com/melt__away_/n/n2200b8197cf0

とはいえ、これらが著されてから約2年が経とうとしているわけで、
そろそろ彼女と彼女たちと我々オタクの現在地から、これらのテキストに対するリプライまたはアンサーを放つべきなのではないか?
というのが、この文章の動機だ。
(端的に言っちゃえば依頼があったんですけども。局地的ブームか。)

月日は雄弁な表現者だ。
まず、パフォーマンスの中で、ダンスや表情や声に込められた「言葉」の量がとても多い。
また、月日は文字通り自分の言葉をもって語る。
彼女が歩んできた道には、彼女自身と彼女を見る誰かの言葉が敷き詰められている、と思うほどなので、それらを拾い集めて再構築するだけでも膨大な作業になるのではないだろうか。

だが。
それらは結局ある一点を指している。と、俺は思う。

それを読み解くにおいて印象深い、とても短い言葉がいくつかある。
すなわち、
「アイドルってすごいんだよ、何でもできるんだから。」
「テレビってすごいんだよ。」
「きっと私は、私がなりたいようにならない。」
「私は推しにくい。」

一見して矛盾をはらんでいるこれらの言葉が、つまるところ月日の在り方を
端的に表してはいないだろうか。

月日の初期衝動には、テレビの中に現れるアイドル(たとえばSMAPであり、AKB48)の姿があった。
過去を語る彼女が時々垣間見せる仄暗い孤独を、いつもあたたかい「ひかり」で照らす存在として、アイドルは現れたのだと思う。

歌い、踊る人として、映画やドラマの登場人物として、またはラジオを通して語り掛け、
さらにはバラエティでの対決や、その罰ゲームとして時にずぶ濡れや粉まみれになりながら(粉まみれはやってないかもなー。)。

「推しにくい」というのも、結局のところそういう
「何でもできるし、何でもやる」アイドルの在り方が、人間をキャラ化して理解する傾向がある現代において、たとえば「○○担当」みたいなアイドルのキャラ付けとか、タレントをある種のカテゴライズに当てはめて理解した「ふりをする」姿勢に対して、単純に相性が良くない、ということなんじゃないかと思う。

つまり月日は、今でもアイドルに憧れながら、彼女が見た、または彼女を「世界」に連れ出したアイドルたちの在り方を、彼女のやり方で体現しようとしている。
「ひかり」の名を冠したアイドルグループ、RAYのメンバーとして。
その指先や髪の先に(と本人が言ったんだ。)まで、言葉を込めながら

月日が放つ「ひかり」が、かつての彼女と同じように光を求める少女たちと、彼女の中にいるいつかの少女(つまり、彼女自身。)を照らすとき、彼女を取り巻くいくつもの言葉たちは、きっと本当に意味を帯びる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?