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大里俊晴さんのこと

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 (文 牛島兄)

 先日、11月17日は現代音楽家・大里俊晴さんの十三回忌であったそうだ。

 実は大学にいたときに大里さんの講義をとっていた。入ったばかりの頃だ。一般教養の授業で現代音楽論みたいなのがあり、その教授が大里俊晴さんであった。
 でも、最初はどんな人なのかよくわかっていなかった。大里さんは自分の話をほとんどしなかった気がする。伝説の前衛パンクバンド「ガセネタ」のメンバーだったことを知るのは授業が終わってから、同級生のK峰(めっぽう音楽に詳しかった)くんが教えてくれた。
「マイルストーン」だったか、授業の情報誌(単位が取りやすいかとか、教授の話が面白いかなどの情報が載っている)には、「愚痴っぽいし、教授はナルシスト」みたいなことが書いてあり、評価は芳しくなかった記憶がある。

 授業を受けてみると、たしかに「非常勤講師は給料がすげえ低い、この授業もすごく安い給料でやってる」といった大学本部?に対する愚痴がたまにあって、ちょっとうっとおしいなあと思ったけど、授業はめっぽう面白かった(大人になってから、非常勤講師というのが先生の言う通り不当に低い給料であることを知った)。今でもよく覚えている。見た目はいつも黒っぽいかっこうで、食事や風呂に入る時間があったらおれは音楽を聴いたり本を読むんだというような、無頼派という感じの人だった(僕個人の勝手な印象です)。

 ジョン・ケージのプリペアード・ピアノとかの基本的な話も、4分33秒をぼんやりとしか知らなかった大学一年生はすごく興奮したし(当たり前だが音楽だけ聴いてもコンセプトを理解しなければ意味がないだろう)、ポーツマス・シンフォニア(楽器演奏経験のない人たちによって結成されたフルオーケストラ)のレコードも聞かせてくれた。大里先生のポーツマスシンフォニアのレコードは、スクラッチノイズが入りまくってて、相当聴きこまれていた。あの音楽をそれだけ聴きこんでいる人なんてそういないのではないか。
 アルビン・ルシエの「I AM SITTING IN A ROOM」もインパクトが大きかった。部屋に2台のテープレコーダーを用意し、その片方に音楽家が「私は部屋に座っています。目の前には2台のテープレコーダーがあり~云々」と喋る声を録音する。録音した自分の声を録音したレコーダーで再生し、再生した音をもう片方のレコーダーに録音する。その音を再生したのをもう片方に録音し・・・という録音のキャッチボールを何回も繰り返す。だんだん人間の声であったものが、ノイズがまじり、差異が大きくなり、まるで怪物のように変化・進化して、最後には電子音みたいな音になっていく。なんておもしろいんだと興奮した。それを教室でみんなで聴いてる途中に、途中から入ってきた生徒がいて、その生徒に先生が「君、この音って何の音だと思う?」って聞くと、その子が「オルガン?」とか答える、先生がドヤ顔で「途中から来た奴には教えないよ」みたいなことを言って、そんなことを言ってもさすがに教えてくれるだろうと思ったら本当に教えてくれなかった。あの生徒は結局あの謎の音がなんなのか、今もわからないのだろうか。それともそんなことどうでもいいやと思っただろうか。

 ある時、先生が今からクイズをやるといって、ある奇妙な音楽(授業に出ているうちに奇妙な音楽には慣れっこになっていたが、それでもとびきり変な音楽だった)をかけて、この音楽はどこの国の音楽か、みんなに聞いた。
「正解した奴にはコーヒーおごってやるよ」とニヤッとして先生は言った。
何人か手をあげて、アフリカの国とか中近東の国とかを答えていた。
「そんなのわかるわけねーじゃん」と、やはり自分もどこの国の音楽かなんてまったく見当もつかなかったけど、この先生の性格からいってこれはひっかけ問題なんではないかと思った。それで頭にひらめいた答えが、なんとなく確信に変わって思わず手を挙げた。そして「日本!」と答えた。
果たしてその音楽は日本の尺八奏者の音楽だった。
 授業が終わった後、先生がつかつかと自分のところに来て、「おれは約束は守るんだ」といって110円くれた。「知ってたの?」と聞かれていや、あてずっぽです。とかゴニョゴニョ適当に応えた。
 もらった110円で買った休憩室のカップの自販コーヒーを飲みながら、「ただ、性格が嫌なヤツなだけです。」と正直に心の中で答えた。

 結局、現代音楽には授業外でそんなに深入りすることもなく、学生の自分の興味はアメリカの黒人音楽に移っていった。そして大学をやめて働き出してから数年、大里先生のことは中原昌也の本で対談してるのを見かけたりしていたが、その中で癌を患っているとあっけらかんと語っていた。そしてあるとき訃報を見た。健康に気を使っているような人には見えなかったけど、それでもまだまだ若かったはずだ。

  もう13年も経ってしまったのか。時間の速さに驚く。大里先生のやっていた音楽は、僕なんかがなにか言えるような立場ではないけど、「速度」に関しての重要な提示があったのではないかと思っている。

 自販機のカップコーヒーを飲むことがあると、今でも大里先生のスクラッチ・ノイズだらけのポーツマス・シンフォニアを思い出す。大里先生は、教室のみんなが苦笑したり、困惑している中、「これ、ほんとにいいんだよ、大好き」と目を閉じてうっとりと、教室に鳴り響くひどく珍妙な音に聴き入っていた。

(なにぶん20年くらい前に受けた授業ですので、いろいろ記憶が間違っている部分があるかもしれません。お許しください。)


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