見出し画像

バカ映画と私

(絵・文 牛島弟)

 勉強も対人関係もサークルもバイトも何もかもが上手くいかなかった大学生活で、唯一の救いだったのがアメリカのバカ映画だった。でも今考えてみると、それしか思い出がないというのがもう何だかね…ひっくるめて全部が全部何もない、不毛の青春だったなぁと、気分がものすごーーーく暗くなるので、今日もやっぱりバカ映画に頼るしかない。それがますます悲しくなってくる。映画の効力はもってせいぜい一日だと言っていたのは誰だったっけ?これからも唐獅子牡丹を観た後に、肩で風切るだけの、ゆるい温室みたいな人生を送るのであろうか?いろんな思いが交錯する中、結局また映画を見るという行為に戻っていく。何か見たいものはあるのかな?

画像5

『ゾルタン星人』(00年・米)

 アシュトン・カッチャーと、「アメリカン・パイ」シリーズでセックスマシーンことスティフラーを演じたショーン・ウィリアム・スコットのコンビによる、タートルネックをすっぽり被っていた奴らが、ちゃんとうまく着こなすようになる、そんなひとつウエノ男になる映画!ストーリーが全然思い出せないのに、くだらなさだけはなんだかすごい覚えてるんだな。これが。みうらじゅん先生も大推薦してるくらいの、さすがな内容のないような映画なのです。グダグダに飲みまくってた2人が、朝起きたら、あれっ!車がない!(邦題は「ゾルタン星人」だが、原題は”Dude, Where's my car?”)どうしよーどうしよーオッパっまきゅマラ乙オッパっきゅマラ乙♪オッパっまきゅマラ乙♪オパオパオパパパパイ♪となって車を探すと、なぜかエエ女たちに囲まれて、あんなことやこんなことをしてあげるから、あるモノを探して欲しいと頼まれて、さあ頑張ろうとなる。いや、なります。なりますよね。頑張ろうってね。僕はなったなぁ。もし大学生だったらね。あの頃に戻れたらね。だって何もなかったんだからね。きっとね。戻れたら、今度は京都の街も好きになるのだろうか。いや、ムリだな。タートルネックはちゃんと着よう。誤解されちゃうからね。


画像5

『アニマル・ハウス』(78年・米)

 1978年のジョン・ベルーシの出世作?ここではいつもの変人奇人ぶりを発揮してくれてます。デルタ(ブルース)ハウスという変人奇人たちばっかりいる大学生クラブが、いけ好かないお高くとまってる奴らばっかりのオメガ(トライブ)ハウスをやっつけてやろうとという話。要するにスカッとする話。

 でもでもでもでもでもやっぱりフィクション。なんだかんだで終わりがあるからいいじゃん。バカやったところで、現実はひたすらドープな人には厳しく&それでも人生は続いていく。自分が大学時代にいた映画大学時に入っていたサークルはまんま「映画研究会」というものだったが、そこに在籍していたアニマルたちのその後は、どうなったんだろう?当時すでに留年が決定していた映研の先輩Sさんは、部室?に入り浸っては、ゲームばかりやっている典型的なダメ人間だった。そんなSさんの特技、風の谷のナウシカのユパ様のモノマネ(コートを羽織っているユパ様がジャンプするシーンの再現)は、似てる似てない以前にめちゃくちゃ面白く、僕も何度もマネさせて頂いた。

 ちなみにSさんは大学を卒業できたかどうかはわからないが、サークル内で知り合った女の子と付き合っていて、その後結婚したこと、2人にお子さんができたことを風の噂できいた。この場を借りて祝福の言葉を送りたいです。

 これもまた先輩であるMさんはよく日記をつけていて、なぜかよく見せくれてたのだが、日記の端に「正」の文字がつけられている。「Mさん、これ何ですか?」と聞くと「これはオ○ニーの回数や。一日何回やったのか記録しとくんや」という模範すぎるような解答を頂いて、ああもうこりゃダメだ、このサークルは…と即座に直感したのだったけど、もはや手遅れ!今更テニサーとかフットサルサークルとか入ったところでね。無理だって。お前じゃ。でも今はこう思う。きっとM先輩は考えるな!感じるな!ただいればいいんだ!ということが言いたかったんだろう。

 でもまあ間違いなく1番ダメなのは自分だな。そもそも部室に一番入り浸っていたのは自分だったし。本当に。何も出来ないのにムダにプライドだけは高い。だから彼女もできないし、友達も少ない。こう言うやつは一旦地獄を見ないと始まらない。あれは忘れもしない。2005年の12月22日。その日の京都は大雪が降って、あたり一面雪化粧。いつも通り、映画観ていて夜更かしばっかししていた自分は、はっと思いついた。このまま京都市内に行って、講義受ける前に雪に染まった銀閣寺か金閣寺に行ってみようと。もしかしたらこれを機に人生が変わるかもしれないと。なんでそう思ったかわからないけど、その時はそう直感した。そういうこと、若い時ってあるじゃないですか?そんでもって京阪電車乗って、そこから徒歩で行って、着いたのはなぜだか円山公園。そこで人が全くいない早朝に、大雪が降った園内を足跡をつけながら歩いた。すごい寒かった。でもあまりにも綺麗で涙が自然と出てきた。人生はアニマルハウスのようにはいかない。バカはやっぱりバカのまんまだった!でも素敵じゃないか?バカ映画だもの。バカ映画のように変わると思った自分がバカだった。フィクションはフィクションだ。それよりもお前自身が自分の人生のステージをお前自身で上げていけばいいだけだなのだ。


画像4

『ウォーク・ハード ロックへの階段』(07年・米)

 確か同時期にビートルズの『アクロス・ザ・ユニバース』という音楽映画があったけど、断然こっちの方がいい!この映画自体は『ウォーク・ザ・ライン』のパロディなんだけど、とにかく思い出すのはジョン・C・ライリーのでかい顔・顔・顔!

 長年ロック☆スターだった、デューイ・コックス(=ジョン・C・ライリー)が久々のライブ前の舞台裏で何やら考え事をしている。裏方のスタッフが「もうまもなく始まります!」と呼びかけると、そこには長年連れ添ったマネージャー(だったっけな?)が、

「静かにしろ!デューイ・コックスは今、自分の人生を振り返っているんだ」

 という言語化しても面白さが伝わらない始まり(でも本編見たら間違いなくオモロいから!)から、彼のロック☆スターとしての人生が語られる。まずしょっぱなからtheオッサン顔のジョン・C・ライリーが、デューイ・コックスの子供時代もそのまま演じているバカ演出で笑わせてくれるが、これはバカ映画の常套句トーク!よく使う手だ。制作がジャド・アパトーなので(バカ映画にだいたい関わっている敏腕プロデューサーにして、超一流の脚本家)、だいたいこの手の演出が出てくる。でもやっぱり笑っちゃう。

 彼の人生自体が、あらゆる実際のロックスターたちのパロディになっているのが、この映画の肝。でもそのバカバカしさが「ロック」への客観的な批評にも見えて、実は一番適切なような気もするのだが、どうでしょうか?やっぱこう、対象に対して半分バカにしつつも、リスペクトも込めているというのが、「ロック」というジャンルにおいては大切な気がする。あんまり青春青春している謳歌ものは、それはそれで好きだし素晴らしいけど、このバカバカしさが対象への良い距離を保っている、ミソのような気がこの頃するんです。

 一番よく覚えているのが、スマイル期のブライアン・ウィルソンのパロディ。この頃のブライアン・ウィルソンは、「ペット・サウンズ」製作後、これ以上の作品を作り上げるため、「神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー」こと「スマイル」の制作に着手。録音した断片の一つ一つを繋いでいき最終的に一つの作品にまとめるフィールズという手法でレコーディングしていたそうだが、聞いているだけで大変そうだし、実際に神経衰弱に陥っていく。そしてフィクションではデューイ・コックスもどんどんスタジオワークに凝り過ぎていき、神経過敏になっていくのであった。

 ある日、心配になったレコーディング仲間がデューイの元に向かうと、彼は水着姿のまま、「イェーイ!サイコー」「みんなも一緒にどーだい?」とトランポリンに乗って、弾け飛ぶ!ついに何かがブチギレてしまったのだが、カルフォルニアの陽気な気候の中、トランポリンで弾けるデューイは笑いを誘う。でも実際ブライアンの場合は、周りの反応はどんな感じだったのだろうか。とくにペットサウンズの頃から、犬猿の仲?になるマイク・ラブとかどうだったんだろうとか、そういう下世話なことには興味津々になる。

 でもこの映画、最後がどうだったか残念ながらあんまり覚えていなくて、終わり方がいまいち見つからないので尻切れトンボのように終わります。見たい方は自分は、配信かなんかで見てください!

画像5

『アンダーカバー・ブラザー』(02年・米)

 これもDVD買ったから、なんとなくは覚えてます。”undercover”が「スパイ活動をする」という意味をこの映画で知りました。でもこの映画、考えてみると『ブラッククランズマン』の源流といっていいかも。監督もスパイク・リーの甥っ子らしいし。

 なんだかんだこの世界はホワイトたちが未だに牛耳っている!こりゃあかん!団結せよ!第三世界の人々よ。ホワイトたちの組織=the manにいざブラックが殴り込みだ!でもって主人公であるUB=アンダーカバーブラザーがthe manの組織に偵察(undercover)するぜっていう話。

 UBが燃えよ!ドラゴンのジム・ケリーを見ながら、カンフーのデニスリチャーズのお尻がすごかったなぁ、というのが一番の感想!

 でもって本題。この映画でJBとファンクの良さかっこよさ凄さを知りました。(確か)JBのsay it loud〜の映像がちょこっと流れてからの、アースウインドファイヤーの鬼ファンク、クールアンドザギャングだったり、よく覚えてないけど、そんな感じのが流れてた。そんでもって極め付けがスヌープドッグ!ワンワンワンワン!なんだっけな?どういう流れでスヌープが出てきたのか、スンマセンあんまり覚えてないのですが、とにかく出てきたのは覚えている。でもその頃はラップにそんなに興味なかったので、なんだこのワルそうな兄ちゃんは?という感じで見ていたけど、顔つきがね、やっぱり印象的だから覚えるんですわ。よく。あの鋭いギラギラする目で、マリファナかなんか吸ってたようなシーンがあった(と思う)。と文章を打ちながら考えていたら、確かJB御大も出演していた。確かね(牛島兄註:むっちゃ出てます。the manに誘拐される)。しかももう亡くなるちょっと前の最晩年の頃だったような気がする。でもさすがJB、みなぎるファンクパワーでまだまだ健在でした。そんでもってUBが見事the man組織をぶち壊し、エンディングで「こうしてまた町中にファンクパワーが戻ったのだった」っていうナレーションか字幕かな?流れたので、思わず涙が出てないけど、いい映画だなー。バカ映画はやっぱり素晴らしい。ありがとう!という感じでリモコンの停止ボタンを押したのだったけど、今こうしてまた文字を打ちながら考えていたら、2005年ごろかな?東京国際フォーラムでJBが最後に来日したライブを兄と一緒に観たんだった。当たり前だけど、もう全盛期のように踊ることはなく、オルガン弾いている時が多かったけど、それでもやっぱり感動した。メガトン級のすごい人に会うと、本当にパワーをもらうね。人間パワースポット!そう。こうして生きていられるのも、あの時のライブを見たおかげだ。ありがとう。JB。ファンクって本当に人類最高の叡智だ。

画像3


牛島兄より

 あまり他人と一緒に映画を観ようとか、滅多に思わない。それなりに気のおけない関係の人でも一緒に映画を観てると、むこうは楽しんでるだろうか?とかいちいち気になって純粋に映画に集中できなくなるし、映画を観た帰りの電車の中で、「今日観た映画は現代の風刺が〜」なんて向こうから解説されたりすると奇声をあげて向こうの首を引っこ抜きたくなる。最初のデートで映画を観るときは、なるべく当たり障りのないやつ(≒どうでもいい映画)を選ぶ。そんなわけでごくごく限られた人としか映画は観に行かない。

 そんな自分が、完全にリラックスして一緒に映画を観れる唯一の相手がわが牛島弟である。一緒に暮らしていた10代〜20代半ばくらいまで、我々は本当にたくさんの映画を一緒に観た。

 もちろん男の兄弟が2人で見る映画といえば、こじゃれたフランス映画とかであるわけがない。今回彼がチョイスした主にゼロ年代(『アニマル・ハウス』は除く)のアメリカのバカコメディ映画、これこそが我々が最も好んで観たジャンルの映画だ。

 その頃自分がレンタルビデオ屋でバイトしていたこともあり、新作DVDでもタダみたいな値段で借りれたので、映画秘宝で紹介されるDVDスルーのコメディは必ず借りて一緒に観た。ウィル・フェレル、ジョン・C・ライリー、オーウェン・ウィルソン、ヴィンス・ボーンなんかの顔をほぼ毎週のように観ていた気がする。ひとしきり笑いながら観終わったらお互い「やー最高」「最高だったね」くらいの感想で、停止ボタンを押して終わり、解散。実に潔い粋な映画鑑賞であったと思う。 

 そんな牛島兄弟の、牛島弟が心を病んでしまったのは、彼が京都で学生生活を送っていたときだった。

 学生生活がスタートした当初は、サークルで上の文にあるような気の合う?ファンキーな友人もでき、また絵の創作意欲も旺盛で、京都市内の歩道橋にチンチンの絵を描いて警察にしょっぴかれる(注・ちゃんと罰金を支払って罪を償いました)など学生らしい活動をしていたようで、楽しんでんだなと思っていたが、ある時を境に主に連絡を取り合っている母親が深刻そうな顔をしている時が多くなった。

 異変に気づいた母親が京都に行く回数が増え、状況は芳しくないようだった。母によれば会話もままらないということだった。やがてついに弟も、自分と同じく大学をドロップアウトする結果となった。

 なぜそうなってしまったのか、詳しいことは僕が書くことではないから控えるが、同じ頃にすでに大学を辞めて将来のビジョンも何もなく、ただただ不安に日々を過ごしていた自分は弟のことをかまってあげたり受け止める余裕がなく、どういう風にコミニュケーションをとったら良いのかもわからず、ちゃんと向き合うことができずに逃げてしまった。定職に就いてからは仕事もいっぱいいっぱいで、かつできた金でいろんな場所に遊びに行くようになって急激に世界が広がり、弟をほったらかしにしてしまった。実家をでて一人暮らしを始めてからは我々はなんとなく絶縁状態になってしまった。

 なんだか懺悔みたいになってしまったが、その後弟とは和解し、別々に住んでいるからいまは部屋で一緒に映画を観ることはないが、たまに映画館には一緒に観に行くし、2人で映画についてのzineも作った。こうしてnoteも共同で書いている。まあ、よかったよかった。

 それにしてもこういうバカ映画は、いまは観る方も作る方も居心地が悪いものになっているのではないかと思う。上で挙げられた映画は全部弟と観て、ゲラゲラ笑ったし、うおーと熱い気持ちになったりした、だが細かい内容は弟と同じく覚えてない。いや違うな、細かい部分をいくつか覚えているのだが、だいたいの内容がどんなものだったか忘れてしまった。どっちでもいいか。

 上の映画をもしいま観返したとしても、昔笑えた部分が同じようにいま心から笑えるか、多分笑えないと思う(『ウォーク・ハード』なんかは観てた時から下ネタいくらなんでもキツすぎんだろ!と思ったが)(笑ったけど)。こういう映画を日本一、熱心に推していた映画雑誌は、編集長がSNSでやらかしてしまって、ファンを大いに落胆させた。「敵を自ら作って権威をおちょくる映画雑誌」というキャラクターが、中の人がもう演じられなくなっていたという象徴的な出来事だった。

 いつしか、こういうバカ映画もあまり観なくってしまった。ウィル・フェレルはこないだNetflixでユーロビジョンコンテストを描いた映画に出てるの観たが、昔に比べれば割とファミリー向けな内容であった。

 別に、昔は良かったとかそういうことが言いたいのではない。世の中変わっていく、それは誰にも避けることができない。

 牛島兄弟は、20代初頭の大事な時間を一緒になってバカ映画を観てへらへら過ごした。それだけだ。

↓牛島弟が学生のときに主催した映画祭のチラシ by 牛島弟

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?