死ぬならどうか永遠に 第七章

凜の初仕事は意外な展開になります。
遺体探しという「仕事」を終えた時、凜に芽生えた心情はいかに。
残り二章。物語は佳境を迎えます。


第七章「美少年に狂うタイプ」

 その後、コンビニで無事に漫画雑誌を買ってマンションへ帰った。護くんのお母さんはまた泣いてしまって、なだめるのが大変だった。それから部屋に行き、彼は漫画雑誌を読んだ。私は床に寝転がって買ってきたお菓子を食べていた。疲れていた。色々と考える事が多すぎた。
「護、携帯電話とか持ってる?」
「えぇ、スマートフォンがありますけど」
「今の中学生って進んでるねー。わかった。じゃあ連絡先を交換しよう。心霊研究会の会議にも出てもらいたいし、これから護が何かあって困ったら連絡して。駆けつけるから」
「赤い包帯の幽霊で、ですか?」
「別にその他でも困ったら言いなよ。あともう護とは先生と生徒の関係じゃなくて仲間だと思ってるから、世間話でもしたかったらいつでも連絡しな。寝るまでなら付き合ったげる。クラスの好きな女子の話とかさ」
 私は冗談で笑ってやったが、護くんの表情は暗かった。
「クラスに好きな女子とかいません。好きな人は、その、別にいます!」
「おうおう、中学生だねー。そういう話も聞いてあげるよー」
 護は真っ赤な顔をしてじっと私を見つめた。見れば見るほどかわいい。まつ毛が長い、目が大きい、口元が控えめだ。女の子と見間違うような美少年の瞳に捉えられ、私の胸がときめているのがわかる。
 ダメだ。護くんはまだ中学生だ。高校生ならその期待に応えたいけど、中学生は犯罪だ。あああああ、でも、かわいいいんんだよおおお。なんでこう美少年って私の心を的確に射抜くの? 存在自体が犯罪じゃん、私。
「んー、まぁ恋愛の話は置いといて」
 保留。大人の世界はだいたい保留すればなんとかなる。
「これから少しずつでいいから外に出られるようになって、そしたらどこに何時に赤い包帯の幽霊がいたとか、そういう連絡も欲しいな」
「そうですね。でもしばらくは凛先生と一緒じゃないと怖くて外には出られないと思います」
「そうかー、そうだよなー。急には無理か」
「でも心霊研究会には興味があります。同じ霊能力者ってことは俺たちと一緒に『みえる』ってことですよね。そういう人たちの話を聞いてみたいです」
「あ、それはちょっと違ってね。『みえる』のは私だけで他の人はタイプが違うって言うか、んー、説明がややこしいな。とりあえず一回会ってみよう」
 私は道元さんに電話をかけた。道元さんはすぐに出た。
「おう凛くん。連絡をしようとしていたところだ」
「ちょうど良かった。なんの用事だったんですか?」
「明日急に仕事が入った。詳しい話は昼にでもマンションに来てもらおう。日曜日だが時間はあるかね? 緊急の用でなければキャンセルしてもらいたいのだが」
「あぁいえ、大丈夫です」
「それは重畳」
「あの、私からもいいですか?」
「なんだね?」
「偶然なんですが、霊能力者に出会いました。私と同じ『みえる人』です。しかも見える幽霊の種類が違います。明日の昼に連れて行ってもいいですか?」
「幽霊の種類が違う? それはどういうことだね?」
「うーん、説明が難しいんですよ。本人からも話させますし、明日でいいですか?」
「いやかなり重要なことで今すぐ聞きたいのだが。まぁいい。わかった。では午後一時に集合にしよう。仕事前だから酒は控えるが、お茶で構わないかね?」
「ジュースの方がいいんじゃないですかね。中学生なんで」
「中学生!」
「霊能力に年齢って関係あるんですかね?」
「いや、すまん。そう言うつもりで言った訳では無い。ただ少し驚いただけだ」
「お酒は無しの方向でお願いします」
「無論だ。いや、しかし中学生か。どうだろう凛くん、僕は怖がられないだろうか」
「そんなこと気にしてるんですか? 大丈夫ですよ、菩薩みたいな顔してるんですから」
「そ、そうか! いやそう言われると嬉しいぞ! うむ。中学生ならお菓子の方がいいな、たくさん大福や羊羹を用意しておこう。ではまた明日頼む」
 電話が切れた。
 中学生に和菓子って、せめてケーキかポテトチップスにしてやって欲しいな。
「あの、今の人が心霊研究会の人ですか?」
「そうだよ、まぁ私たちのボスだね。道元さんって言うの。優しい人だよ」
「そうですか!」
 護くんはツンとした顔をして後ろを向いてしまった。
「どうした護」
「ずいぶんと親しげに話すんですね!」
 嫉妬してる? かわいいなおい。
 私は後ろから抱きしめたい気持ちをぐっとこらえて言った。
「それで護。明日の昼から心霊研究会の会議になったんだ。護も一緒に行ってくれないか?そうすると私はすごく助かるんだけど」
 護くんの身体がピクンと反応した。
「場所は近くのマンションでそんな歩かないけど、赤い包帯の幽霊が出たら困るから、できれば護と一緒に手を繋いで行きたいなぁ」
「はぁ、仕方ないですねぇ……」
 溜息を吐きながらゆっくり私の方を向いた。
「行きまーす!」
 表情がもうゆるゆるだった。

 翌日の昼過ぎ、護の家に迎えに行った。
 護のお母さんが出てきて「ありがとうございます。まさか無償で勉強会まで開いて下さるなんて、護もきっと喜びます!」と言って手を握られぶんぶん振られた。よくわからなかったが「えぇ」と言ってお茶を濁した。
 護は制服で出てきた。お母さんが「勉強会だから」と無理に着させたらしい。少女然とした顔立ちと学ランは似合っておらず、手が裾で隠れていた。そのギャップが私の心を掻き立てる。いい、すごくいい。このまま部屋に持ち帰ってしまいたい。
「じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
 親子は和やかだった。
 玄関を出てドアを閉める。私は護くんに何のことか説明してもらった。
「お母さんには北大医学部の学生が凛先生の紹介で無償で勉強会を開いてくれるって嘘を吐いておきました。お母さん、インテリに弱いですし、これくらい言っておいたらもし帰りが遅くなっても何も言わないと思います」
「あら、上手ですこと」
「それより凛先生、赤い包帯の幽霊がみえるかも知れませんよ?」
 私の横で護くんはぴょんぴょんと跳ねた。子犬みたいだ。かわいいな。
「ん、じゃあ右手を握って」
「前もそうでしたけど、どうして右手なんですか?」
「私の聞き手は右だけど、何かあった時に構えやすいのは左側なんだ」
「なんかプロっぽいですね」
「一応元プロだよ」
 嘘じゃないけど、ちょっと嘘。本当は元彼がいつも右手を繋いでくれていたから。ほんの少し面影が残る護くんにそれを求めたって罪じゃないだろう。

 護くんは中学三年生にしては背が小さいみたいだ。私と歩幅が大きくズレる。手を繋いで歩くとそれは顕著で、意識して細かく歩いた。
 天気がいい。日曜日の大谷地は静かだ。平日はなにか慌ただしく感じる。住宅街だからなおさらだろう。柔らかい日差しを浴びながら護くんと手を繋いで歩いているとゆったりデートしている気分になる。心が浮つく。
 でも周囲から見たら姉と弟程度にしか見られないだろうな。まぁ恋人に勘違いされたら犯罪者だ。
 時折、護くんは手を繋ぎ直す。ギュッと力を入れて握ってみたり、維持できるだけの力で触れてみたり、その度に手が意識されてドキドキした。天然のタラシかも知れない。もう誘惑に負けちゃおうか、と何度も悩んだ。
 そうこうしている内に道元さんのマンションについた。名残惜しかったが手を繋いでいるのを見られると何を言われるかわからないので離した。護くんは本当に残念そうな顔をする。そんな目で見られると本当に胸が苦しくなる。
 いつものように鍵がかかっていないドアを開けて玄関に入った。
「おじゃましまーす」
「失礼します」
「あらー、いらっしゃーい」
「お、おい睡蓮マジかよ!」
 玄関には睡蓮さんと愛さんが立っていた。愛さんは普段通りの格好をしていが、睡蓮さんはなぜかたくさん編み込みの入ったセクシーな黒いビキニの水着を着ていた。いたるところが露出している。
「愛からたぶん中学生は男の子かも知れないって聞いたからー」
「あたしは止めたんだけどな」
 護くんは睡蓮さんを見て唖然としていた。口を開けて表情が固まっている。
「あら、どうしたのかしらー。おねえさんの水着を見て興奮しちゃったー?」
「睡蓮さん、護は純情な男の子なのでそういうのはホントやめてください」
 睡蓮さんなら仕方ないと思う反面、怒りも湧いてきた。
「いいじゃないのー。からかい上手の睡蓮さんよー」
「からかいたいだけの睡蓮さんです!」
 護くんはどこか思考が飛んでいたようだがハッと気づき、首をぶんぶん振って冷静さを取り戻した。睡蓮さんから目を逸らしたが頬は赤くなっている。
「護くんだっけー、じゃあ、まーくんね。どう、おねえさんの水着はきれいだったかしらー? そそられたー?」
 護くんは私のほうをチラチラ見ながら言った。
「あ、あの。きれいな方です、けど。俺の一番は凛先生、なので」
「あらー、残念だわー」
「おい凛! お前、護くんに何かしたのか! なんかその反応結構ヤバい感じだぞ! たぶんそれベタ惚れしてるぞ!」
「わ、私はなにもしておりませんぬ」
「怪しいぞお前!」
 私の手は勝手に護くんの頭をナデナデしていた。

「あー、睡蓮にはキツく叱っておいた」
 自分の部屋にいた道元さんは睡蓮さんのイタズラを知らなかったらしい。玄関が騒がしいので不審がって見に来たらあの光景が広がっていた。道元さんが無言で睡蓮さんを引っ張って行って今に至る。愛さんが「睡蓮は道元に叱られるとすんげー拗ねるんだよ」と小声で私に言った。その通りのようで睡蓮さんは自室に籠ってしまった。
 私たちはちゃぶ台を中心に座った。護くんは緊張しているのか私の服の裾を掴んでぴったりくっついて座った。もう会議とかいいから一緒に帰ろうかと思った。
 事前の打ち合わせ通りに道元さんはお茶菓子をたくさん用意して机に置いてくれたが、大福や羊羹や練り菓子など、中学生の護くんの趣味には合わなそうだった。
「護少年と言ったな。僕の名前は添上道元。みんな気軽に道元と呼ぶから君もそうするといい。さきほどの破廉恥な女は僕の愚妹だ。名前は睡蓮と言う。妹に代って重ねて非礼を詫びよう」
「あ、あのそんな、こっちこそ、その、見てしまって、すみません」
「護少年に非はない。睡蓮にはこう叱っておいた。男性に淫らな誘惑をした女人は衆合地獄に堕ち、脈々断処と呼ばれる小地獄にて筒を通して口の中に融けた銅を流され……」
「あーいいっていいって、護くんが混乱してるから簡潔に行こうや、な?」
 話が長くなりそうだったので愛さんが遮った。
「む、それもそうか。仕事の話もしなければならないしな。わかった。護少年は愛とは知り合いなのだろう。自己紹介は省いていいな。ならば霊能力の話からしようではないか」
「そうそう、そういうのでいいんだよ」
 こうして見ると愛さんって道元さんをコントロールするのが上手なんだな。
「君は凛くんと同じで『みえる』タイプだと聞いたが、霊能力はそれだけではない。例えば僕は幽霊の香りを感じ取ることができる。鼻は広範囲に利くが、位置をはっきり特定するのは苦手だ。外では色々な香りが混じるからな」
「あの、幽霊の臭いってどんな感じですか?」
「一言で言えば生ごみだ。しかしどこか甘ったるさも感じる」
「嗅ぎたくないですね」
「昔は吐きそうになったものだ」
 護くんは心底嫌そうな顔をしていた。
「あたしは幽霊の味がわかるタイプだ。道元と同じように生ごみを突っ込まれたような味がするんだけど、舌先がビリビリするのが特徴だな。幽霊が近くにいなきゃ感じにくいけど、その分、位置はわかりやすいぜ」
「愛之助は愛さんの能力とか知ってるんですか?」
「あぁ知らない知らない。あいつバカだし話を理解できないだろ」
「うーん、否定できない」
「んで、兄貴に叱られたさっきの痴女は幽霊の声を聞くんだ。幽霊の声は小さいらしくてな、かなり近くまで行かないと聞こえないらしい。道元が大体の見当をつけて、あたしが追跡して、睡蓮が位置を特定する。とまぁ、そんな感じでやってきたんだけどよ、そこで凛が登場したんだ」
「あ、はい。凛先生は白い包帯の幽霊をみることができるんですよね」
「そうらしいが、あたしたちは幽霊に白い包帯が巻かれてるなんて知らなくてよ、凛から教えてもらわなくちゃたぶん一生知ることも無かっただろうな」
 腕を組んで話を聞いていた道元さんが唸った。
「しかし凛くん、昨日の電話では幽霊の種類が違ったと言っていたな。それはつまり護少年と凛くんは幽霊の見え方が違うということなのか?」
「ん、なんだそれ?」
「そうなんですけど、どうする護。私から話す? それとも自分で話す?」
「自分から話します」
「よしよし、偉いね」
 ごく自然に頭を撫でてしまった。愛さんが怪訝そうな顔をしている。
 それから護くんは自分が体験した赤い包帯の幽霊の話と、昨日私が倒したのか成仏させたのかわからない化け物じいさんの話をした。私より理路整然と話すことができて感心した。かわいい上に賢いのはもう美少年として卑怯だ。
「護の話に付け加えるなら、私は赤い包帯の普段幽霊はみえませんが、護と手を合わせたりヒモを持ったりして繋がるとみえるようになります。たぶんこれは逆も同じで、護も白い包帯の幽霊はみえませんが、私に触れるとみえるようになると思われます」
「うむ。興味深いが、なんと言っていいものか。幽霊は基本的に無害で襲ってくるようなものではないはずだが」
 道元さんの眉間の皺がどんどん深くなっていく。
「その地面から伸びた鎖? なんなんだろうな。行先は地獄ってことか?」
 愛さんも私と同じようなことを考えていた。
「みることしかできない私たちが鎖の擦れる音を聞いたので、なにか幽霊の存在を越えた超常的な現象のようにも感じました」
「うむ、どちらにせよ現段階では結論はでない。赤い包帯の幽霊に関してはもっと場数を踏んで経験しなければわからないこともあるだろう。そもそも幽霊なのかすら怪しい」
「まぁ、そうですね」
 護くんは半生菓子が気に入ったようだった。小袋に分けられた一口サイズの桃山を話の合間に二、三個食べている。小さい口でもくもくと咀嚼する様は小動物が思い出された。
 なんとか私の部屋で飼えないものだろうか。
「護少年、君は何時まで外出が許されているんだ?」
「え、あ、はい。はっきり何時までとは言われていませんが、今日は勉強会と嘘を吐いて着たので、遅くなっても大丈夫だと思います」
「うむ、そうか。では我々の仕事に着いてくるつもりはないかね?」
「え、仕事ってなんですか?」
 私が言う前に愛さんが先に怒った。
「おい道元! あたし達の仕事のことを一番わかってるのはお前のはずだぞ! 護くんはまだ中学生だ。そんな子に遺体を見せようって言うのか!」
「今回の依頼は違う。凛くん、君の力でまた新たに我々の仕事が広がったんだ」
「なんのことです?」
 私の力、「みえる」力で何がどう変わったのか。私が心霊研究会でやったことといえばレイナさんの成仏を手伝ったことくらいしかない。
「愛、去年の十月の三角山を覚えているか?」
「あぁ、忘れもしねぇよ。初めて腐乱死体を見た仕事だ」
「あの時に発見された女性は本城美奈子、二十四歳だった。独り身だと思われていた彼女だったが、四歳の息子がいたことがわかった。その息子は出生届を出されていなかったらしく、つい最近になってその存在が知れた」
「あれか? DV被害で戸籍を出せないとか胸糞悪ぃやつか?」
「それは知らされていないが問題はここからだ。その息子の所在が不明だ。無論、警察の捜査は行われたが、探し出せなかった。警察の調査では親子仲は良好のようだったから心中を疑ったんだが、遺体も出ていない。どこへ消えたと思う?」
「あたしに聞かれても、って、あぁ。それで凛か!」
「え? なんですか? あたしがどうしたんですか?」
 話が長かったので護くんが桃山を食べる姿に夢中になっていた。
「あの時、遺体を発見しても本城美奈子は成仏しなかった。つまりだ、レイナ女史と同じように成仏を促せば凛くんの脳裏に行方不明になった息子のビジョンが浮かぶのではないか、ということだ」
「妻夫木のオヤジもすげぇこと考えるな」
「あぁ、さすが妻夫木さんだ。世間話に凛くんの話をしただけで目星をつけていたらしい。恐ろしいほどの切れ者だ」
 話は途中からしか聞いていなかったが、とにかく私の能力が必要なことはわかった。しかし護くんを連れていく必要性が感じられない。
「でもそれ、護を連れていく必要はあるんですか?」
「ないかも知れない。だが、あるかも知れない。白い包帯の幽霊と赤い包帯の幽霊の違いが今の所はっきりしない以上、今回のケースは遺体を見ることはないだろうから護少年には経験を積んでもらいたい」
「なるほど。だってさ護。どう? 私たちと行ってみる?」
「えっと、凛先生は行くんですか?」
「もちろん。それが私たちの仕事だからね」
「じゃあ行きます」
 護くんはニコっと笑った。口元に桃山の食べ残しが付いている。
 えっと、キスしていいやつかなこれ?
「睡蓮! 話は聞いていただろう!」
 大きな声で道元さんが叫ぶと睡蓮さんはキッチンから出てきた。いつの間に移動したんだろう。今度はちゃんと服を着ていた。
「うぅ、お兄ちゃんのバカ……」
 涙目になっている。
「今回の仕事は凛くんだけじゃなく睡蓮の力も必要だ。なにか重要なことが聞き取れるかも知れないからね」
「お兄ちゃんもう怒ってない?」
「僕は怒っていない。それよりもちゃんと護少年に謝れるかね?」
「まーくんごめんね、おねえさんが間違っていました」
「あ、いえ、そんな。僕はその、構いません」
「護少年の心が広くて良かったな!」
「もぅお兄ちゃんのバカァ」
 睡蓮さんは道元さんの胸に飛び込んで両手で交互に胸を叩いた。
「ハッハッハ、仕方のない妹だなぁ」
 いつもとキャラが違う。なんか気持ち悪い。
「全く、睡蓮はとんだブラコンだぜ!」
 愛さん、もうこれブラコンの域じゃなくて禁断の方向じゃないですか。

 それから私たちは道元さんのお金で出前を取って寿司を食べた。仕事の前はだいたい寿司を食べるらしい。道元さんのバッグボーンは仏教だが、色々な宗教の考え方を取り入れているそうだ。寿司は神道で言う所のハレの食べ物だ。これからケガレを受ける身としてはせめて食べておこうと言う事だった。
 午後四時くらいに道元さんのスマホに着信が入り、警察の方が迎えに来たことを知らせた。道元さんたちは黒いスーツに着替えた。護くんが制服で来たのは図らずも正解だったようだ。
 マンションの一階に降りて駐車場に行くと黒いハイエースが横付けされていた。道元さんはナンバーを確認して乗る様に促した。
 後ろに私と護くんと愛さん。前に道元さんと睡蓮さんが乗った。
 運転席と助手席は見えにくかったが、どうやらスーツを着た中年の男性が二人乗っているようだった。バックミラーで私たちをチラチラ見ている様子がわかる。役職はわからないが刑事のようだ。二人は何も言わずに車を発進させた。
 高速道路をしばらく走っていると助手席に座っている刑事が口を開いた。
「おい紋々。新しいやつはどんなやつだ。中坊も乗ってやがるじゃねぇか」
「背の高い女性は同じ大学の一年生です。『みえる人』です。中学生の少年も同じように『みえる人』ですが、二人ともみえ方に違いがあるようです」
「ふん、よくわかんねぇな。まぁいい。おい金髪の嬢ちゃん。あんたは今から『金髪』だ。それと中学生の坊主、お前は『学ラン』だ」
「なんですかその呼び方?」
「コードネームよー。私たちは警察とは関係ない、存在しない人間ってことになってるのー。だから本名は避けて見た目の特徴で呼ばれるのよー。ちなみに私は『眼帯』ねー」
「あたしは『下駄』だ」
 あぁ、だから研究会の参加条件が「なにか見た目で特徴的なこと」だったのか。それにしても「金髪」と「学ラン」。うーん、ヤンキーにしか聞こえない。
「しかし妻夫木課長も酔狂な事を考えやがる。霊能力なんて信じちゃいねぇがお前らは遺体探しの実績はあるからな。そこは買っている。だが行方不明者まで探そうなんてそんな業腹通ると思うか? 俺たちが血眼になって探しても見つからねぇんだぞ。それをこんな学生どもに頼るなんてよ」
 愛さんが言っていた警察から嫌われているという意味がなんとなくわかった。霊能力を信じない。当たり前だ。私だって能力が目覚めるまでは信じなかっただろう。科学と経験を駆使して、私たちなんか比べ物にならないほどの使命感を背負って専門に捜査している警察官たちが、霊能力を携えた訳のわからない集団を信頼するはずがない。
 それから車内はずっと沈黙した。護くんがそわそわして緊張しているのがわかる。スーツ姿の赤い包帯の幽霊に襲われたと言うから、警察が怖いんだろうか。私は愛さんに見えないように手を握ってやった。
 三角山は行ったことが無かったが、出発前に道元さんが軽く説明してくれていた。標高は三00mくらいで、軽いピクニック登山を楽しむ人が多く、スキージャンプの台があるので観光地にもなっている。冬はウィンタースポーツで盛り上がるため活気のある山だそうだ。
 しかしそうは言っても山は山。人の踏み入らない場所はいくつもある。本城なんとかさんの遺体を見つけたのもそう言った場所で、確実に位置を特定して草木を踏み入らなければ絶対に見つからない場所に遺体があったそうだ。
 車は三角山の麓に入った。緩やかに坂道を登って行く。
 しばらく右に揺れ、左に揺れ、だんだんと道路の造りが粗雑になってきた辺りで車は止まった。
「降りろ」
 助手席に座っている刑事が言った。道元さんを筆頭に私たちは車から降りた。
 運転席に乗っていた刑事は車のトランクルームを空けて長靴を出した。
「これから森に入るから靴脱いでこれ履いておけ」
 無造作に投げられる。
 各々に長靴を履いた。私は一番大きいものでなんとか収まった。
「あの、俺はちょっと」
 長靴は大人用しかない。護くんには合うサイズが無かったようだ。
「じゃあ私が背負ってあげるよ」
「いやそんな悪いですよ。凛先生だって女の人じゃないですか」
 そんなこと気遣ってくれるなんて、もう、天使。
「キックボクサーの心肺機能を舐めないでもらいたいな、っと」
 私は無理やり護くんを背負った。軽い。これなら十kmくらいジョギングできる。足場の悪い山道でも充分に歩いて行けるだろう。
「はああああ」
 明らかに私の首元の匂いを嗅いでいる。こういう所は中学生らしいエロガキだ。昨日ちゃんとシャワーを浴びといて良かった。酒臭いと思われたくない。
「じゃあ行くぞ」
 七人で森の中を分け入った。
 緑の匂いが強い。釧路はどちらかと言えば港町だから山で遊んだと言う記憶がない。中学生くらいまでは釣りが好きな母に付き合ってよく波止場に行ったものだけど、こうして山の香りに包まれるのも悪くないなと思った。
「大丈夫ですか? 重くないですか?」
 護くんが心配してくれている。そうそう、そういうのがかわいい。
「全然、軽い軽い」
 愛は重いけどな。
「凛、あたしだって元柔道家だ。もし辛くなったら代わるから言えよ」
「絶対代わりません!」
「お前だいぶ隠さなくなってきたな」
 腕時計が見えないので時間はわからなかったが、だいたい十分くらい歩いただろうか。周囲はすでに暗い。刑事たちは強力な懐中電灯を使って前を照らしていた。
「そろそろだ」
 助手席に座っていた刑事がいう。
「臭いがキツいな」
「舌がビリビリして吐きそうだ」
「私はまだ聞こえないわねー。二人はみえないのかしらー?」
 今は護くんを背負って歩いている。もし白い包帯の幽霊でも赤い包帯の幽霊でも確認できるはずだ。
 それからほんの十秒足らず歩いて気が付いた。
「あっ」
「あっ」
 幽霊がみえたのは私と護、同時だった。
「みえたか? 幽霊の様子はどうだ。あの樹の近くに横たわっていたはずだが」
 道元さんが私たちに聞いてきた。
「あの、凛先生。これってどういうことなんでしょうか?」
「いや私にも全くわからん」
 二人で混乱した。
「おいどうした、お得意の霊能力とやらでみえるんじゃないのか?」
 助手席に座っていた刑事が怒鳴る。
「えぇ、みえるんですけど。ねぇ、護?」
「はい、みえるんですけど、これって……」
「だからなんだって言うんだ」
「あの刑事さん、本城なんとかさんって一卵性の双子でしたか?」
「あ? そんな情報はねぇぞ。確か兄はいたはずだったが」
「じゃあなんで本城さんは二人いるんでしょうか」

 私は護くんを降ろして手を繋いだ。
 みえる。本城さんは二人いる。
 先ずは樹の近くで横たわっている本城さんを観察した。
 首に太い針金がきつく巻かれて紫色になっている。少し目が飛び出て鼻血が出ている。右手には電動ドライバーを持っていた。
「あ、これ知っています。海外の映画で見ました。針金を輪にして電動ドライバーに繋いで絞めるんです。機械で一気に絞めるから確実なんですって」
「こういう方法もあるんだねー」
 護くんは物怖じしないで言った。白い包帯の幽霊を見るのは初めてのはずだが、いい度胸をしている。そういう男は私の好みだ。
「おい紋々。お前が教えたのか?」
「いえ、僕たちが発見した時は腐敗が進んでいたので死因までは知りませんでした。その後に教えてもらうと言う事もありませんでした」
「警察も発表してねぇから死因がわかるはずねぇんだ。本当にあの嬢ちゃんたちはみえてるってことか? いや、信じねぇぞ。俺は信じねぇからな」
 信じてもらえなくて結構だがそれは事実のようだった。
「んー、やっぱり以前と同じように『ゆうと』って聞こえるわねー。それをずっと繰り返しているわー」
「優斗は本城の息子の名前だ」
「あらそうなんですかー。じゃあ息子さんがずいぶん気になるのねー」
「つまり本城は息子の行方を知らないってことか?」
 いや、そうでもないと思う。
 もうひとりの本城さんは遺体からずいぶん離れた場所にいた。赤い包帯を巻いている。目が血走っていて四つん這いになっているので獣のようにみえた。
 赤い包帯を巻いた本城さんは私たちがはっきり気づき、「みられた」と感知されたはずなのに襲ってくる様子がなかった。ずっとその場から動かない。
「護、万が一ってこともあるからこのゴムひもを握っていて」
 私は護くんを近づけさせたくないので夕貴にもらった手芸用のゴムひもを持たせた。私はその端をズボンのベルト留めに括り付けた。
 近づいていってもこちらに襲い掛かってくる様子はない。
 急に赤い包帯の本城さんは地面を掘る仕草をし出した。あまりに突飛な事なので驚いたが、こちらを気にする様子がないので大胆に近づいた。何を掘ろうとしているのか。私はその周辺の土を指でつまんでみた。
 ドッ!と身体が揺れた。衝撃で後ろに転がる。
「大丈夫ですか凛先生!」
 護くんの声が聞こえる。
 よそ見をして気付かなかったが、どうやら赤い包帯の本城さんが体当たりしてきたらしい。やはり襲ってくるのかと私は構えたが、彼女は私を無視して触れない手で地面を掘り返そうと躍起になっていた。
「護、どう思う?」
「どう考えてもそこに何かありそうですよね」
「うん、私もそう思う」
 私は戻って刑事に言った。
「私がいま転んだところになにか埋まっています」
「確証は?」
「女の勘です」
「……そう言うなら信じてやる。おい、車に戻ってスコップ二つ持ってこい」
「はい」
 運転席に座っていた刑事は森の中をまた戻って行った。
「どういうことかは説明してもらう」
「わかりました。護、こっちおいで」
 私は護を呼び寄せて後ろから抱きしめた。山の中は街に比べてずいぶん寒い。私が寒いと思うくらいなので、護くんは凍えているだろうなと思っただけで、別に深い意味は無い。本当にない。ただ抱きしめたかったとかそういうんじゃない。
「うむ、我々にも説明が欲しいところだ」
「あたしもよくわからん!」
「私にも教えて欲しいわー」
 先輩たちもうるさかった。
「はいはい、今から説明しますから」
 私は本城さんが白い包帯の幽霊と赤い包帯の幽霊に分かれて存在していることを指摘した。白い包帯の方は遺体通りに針金で首を絞めて死んだように思われた。しかしもう一方の本城さんは、赤い包帯の幽霊らしくなく襲って来ずにずっと地面を掘ろうとしている。近づいても特に何もしないが、周辺の土を触ろうとすると体当たりしてその場から離そうとする。
 一応護にも確認を取ったが、同じようにみえていたそうだ。
「だからその場所を掘ってみようってことか」
 助手席の刑事が言った。
「えぇ、たぶん私の推測ですが息子さんが埋められています」
「その話が本当だとしても一つ気がかりがある。心中したのはわかったが、だったらなぜ埋めた時に掘った道具がなかった? いくら当時四歳児でも大型犬くらいの大きさはあるぞ。埋めるならそれなりの工具がなけりゃ」
「えぇ、それは私も気になっていましたが後からわかると思います」
「なぜだ」
「ねぇ、道元さん?」
「金髪の能力は『みえる』ことです。幽霊が成仏した際にその幽霊の経験や苦しみがビジョンとして脳裏に流れ込む能力があります」
「サイコメトラーEIJIみてぇだな」
「なんですかそれ?」
「これだから平成生まれは嫌いなんだよ。くそ、名作なんだぞ」
 そんなやり取りをしているともう一人の刑事が戻ってきた。ずいぶん早い。行きは私たちに歩調を合わせてくれていたのだろうか。
「その金髪の言う場所を掘ってみてくれ」
 運転席の刑事と道元さんは赤い包帯の本城さんに近づいて行ったが、特に気づかれずそのまま場所に着いた。剣先スコップで勢いよく掘っていく。
 ずいぶん深いようだ。しばらく掘っているのに一向になにも発見されない。
「ガセじゃねぇよな」
 助手席の刑事が煙草に火を着けた。
「女の勘ですから」
「そう言われるのは弱いぜ」
「ん?」
 運転席の刑事が何か異変を察知した。それから手を使って慎重に土を払いのける。
「人骨です。おそらく三歳から五歳くらいの子どものものでしょう。首の周辺に針金が残っています」
「決まりだな。もういいぞ。あとは鑑識課に回す。ごくろうさん。あとはその成仏だかなんだかだが」
 ジャララララ!
「ん? なにか聞こえるな?」
 あの音だ。鎖の擦れる音。
 ジャ!
「わっ!」 
 突然地面から生えてきた鎖に運転席の刑事は驚いて腰を抜かした。道元さんはさすが胆が据わっている。後ずさっただけで驚きもしなかった。
 鎖は赤い包帯の本城さんを包んで地面に飲まれていってしまった。
「おい、なんだ、今の……」
「僕もはじめてみましたが、おそらく地獄の鎖では?」
「ははっ、俺は信じねぇぞ。ここんところ徹夜続きだったから疲れているだけだ」
「すごいわねー、はじめてみたわー」
「すごい太い鎖だったな!」
 睡蓮さんと愛さんはのんきに眺めていた。
「あ、あぁぁ!」
 突然護が呻きだした。
「どうした護!」
「みえるんです。優斗くんが殺された経緯です。本城さんが優斗くんと知らない男の人の車に乗っています。それから三人でこの森の中に入って行って、本城さんは男の人に殴られました。本城さんは泣きながら優斗くんの首に針金をかけました。それから優斗くんは一瞬で」
 護の目から涙が流れている。あれは辛い。私にもよくわかる。
「本城には夫がいたがDV被害を受けていた。離縁できずにシェルターにいたんだが、子どもを身ごもっていた。それで夫の戸籍に入れられず、出生届を出さずに子どもを産んだ。そこまでは調べがついている」
「じゃあその知らない男というのが」
「たぶん離婚できなかった夫だ。だが繋がらん。心中ではなかったということか」
 天から光を伴って白い包帯が降りてきた。自殺した本城さんの首に包帯が巻き付き、天に向かって巻き上げられていった。
「米が炊けた香りがする」
「あぁ、これは海苔の付いたおにぎりだ」
「『ごめんなさい』って言ってるわねー」
 私にはビジョンが脳裏に流れてきた。

 男に迫られる自分。
 それに応えようとする自分。
 子どもを邪魔に思う自分。
 呵責に耐えきれず自殺を決意する自分。

 涙は流れなかった。本城さん、いや本城という女とその夫に強い怒りを感じた。
「わかりました。本城さんは街中で偶然に夫に出会ったんです。それで復縁を迫られて、以前と違ってずいぶん優しくされたので受け入れてしまいました。そうなると急に優斗くんのことが疎ましく思えてきて、それを夫に相談して殺すことに決めたんです。そして実行しました。でもそれに耐え切れなくなって優斗くんを埋めた場所で自殺したんです。森の中だったから、正確な場所はわからなかったみたいですけれどね」
 これでも天国へ昇るのか。私は酷く納得できなかった。
「つまり」
 助手席の刑事が言った。
「本城の子どもが四歳になった頃、偶然に夫と再会して復縁することに決めた。夫にそそのかされて子どもを殺し、山中に埋めた。しかしその後、良心の呵責に耐え切れなくなり、自殺を選んだ、と。そうなると女手じゃ難しい深さの穴も説明がつく。時間差があったんだな」
「簡単にまとめるとそうですが」
「あぁ、救われねぇな」
「えぇ、本当に」
「その夫とやらは簡単に調べがつく。ワッパかけるぜ。胸糞悪ぃからよ」
「ぜひそうしてください」
 護くんを見るとまだ泣いていた。
「おいどうした護。まだ辛いか?」
「うぅ、だって、お母さんが子どもを殺すなんて信じられなくて。しかも優斗くんは安心して死んだんですよ。四歳の男の子が『お母さんの邪魔にならずに済む』って思って死んだんです。これって、もう、どうしようもなくて……」
「そうだな」
 私は前に回ってキツく抱きしめてやった。

 帰りの車で護くんは寝てしまった。まだ午後九時前だが、色々なことを体験し過ぎて疲れてしまったのだろう。肩を抱いて枕にしてやった。あどけない寝顔を見ていると本当に子どもなんだなと思い。自分の中の母性的な感情が動いた。
「凛くん。よくやってくれた」
 前に座っている道元さんがそっと呟いた。
「いえ、今回は護がいなければ私にはどうしようもありませんでした。護の能力のお陰です。護になんとか還元してやれればいいんですが」
「その辺は妻夫木課長に話をつけてみよう。しかし今回は考えさせられることが多すぎた。人間の業というものをまざまざと見せつけられた気がする。それとは別に他の疑問もいくつか生まれたな」
「えぇ、本城さんが白い包帯と赤い包帯の二人に分身していました」
「それについては僕なりに考えがある。白い包帯の本城さんは自殺していた。一方で赤い包帯の本城さんは子どもの遺体を守っていたのか隠していたのか、それは定かではないが、子どもに寄り添っていた。凛くん、この違いはなんだと思う?」
 本城さんは夫にそそのかれされて子どもを殺し、しかし良心の呵責に耐えきれずに自殺を選んだ。その結果、現世に未練が強く残り自殺しても成仏することができずに白い包帯の幽霊として残った。
 では赤い包帯の本城さんは?
 なにを未練として現世にとどまったというのだろうか。
「赤い包帯の幽霊は未練では無く『罰』として現世にとどまされているのではないだろうか。凛くんは白い包帯の幽霊は成仏する際に包帯に巻かれて天に昇って行くと言ったね。それではなぜ赤い包帯の幽霊は包帯が切れ鎖に巻かれて地中に引きずり込まれるか。僕は赤い包帯は仏の『慈悲』なのではないかと思う。つまり、あの鎖に巻き込まれないための命綱だ」
「では赤い包帯の幽霊は何かしらの罪を犯して死んだ幽霊だと?」
「今回のケースだけで考えるなら『殺人を犯した人間』だ。耶蘇教、つまりキリスト教の一派の中では現世を煉獄という罪の檻として捉える。人を殺めた人間は一度この煉獄で彷徨い、なにかのタイミングで地獄に堕ちるのではないか」
「白い包帯の幽霊は『自殺をした人間』で赤い包帯の幽霊は『人を殺した人間』ですか」
「そう考えると具合がいいというだけの僕の推測だ」
 道元さんはそう謙遜するが、私はその推測が当たっていると思った。「みえる人」としての直感。それが私に囁いているようだ。
 本城さんの魂はきっと、母と女に分かれたのだ。
 母として悔いを残して自殺し、白い包帯の幽霊になった魂。そして女として男に狂い邪魔な子どもを殺した赤い包帯の幽霊の魂。前者はまだ神か仏かわからないが、なにかそういったものの慈悲を受ける余地はあるだろう。
 だが後者はどうだろうか。少なくとも私たち人間の価値観では男と共に地獄へ堕ちて欲しい。そういった黒い願いで手を合わせてしまう。
 刑事は殺人教唆罪で夫を引っ張ることはできるだろうと言っていた。だが立証するのが難しい上に、仮に罪を認めたとしても大した刑にはならないらしい。せいぜい刑事が禁固刑をチラつかせて脅すくらい。開き直られたら終わり。
 それでもその男はたぶん地獄へ堕ちる。私はそう思いたい。
「それとよー、なーんかひっかかるんだよなー」
 私と道元さんの話をうんうん唸りながら聞いていた愛さんが言った。
「護くんは殺された優斗くんの気持ちまで感じていたみたいじゃねぇか。「みえる」タイプは映像が頭の中に流れてくるんだろ? どうして護くんはそこまでわかったんだろうな」
 言われてみればそうだった。護くんは殺された優斗くんが「お母さんの邪魔にならずに済んで安心した」という想いまで汲みとっていた。私も表情や仕草で気持ちを推測することはできるが、そこまで複雑な感情を知ることはできない。
「まーくんは感受性が強いとかかしらねー。もしくは子どもだからこそ感じ取れる何かがあった、とかー」
 あぁ睡蓮さんの言う事も一理あると思う。
「意外に能力の一部かも知れねぇぞ。あたしらだって自分の能力を全て把握しきっているかと言ったら、そうじゃねぇしよ」
「うむ、確かにそうだ。明確に数値などで表せられるものではないからな」
 それもそうだ。私も自分の能力がどこまでなのか把握できていない。白い包帯の幽霊のことだって全て都合のいい推測だ。本当は私たちの知らないなにか秘密が隠れていて、たまたま今まで偶然にも上手く行っていただけに過ぎないのかも知れないのだから。
 再び車内は沈黙を守ってただ走っていた。

「着いたぞ」
 道元さんのマンションに着いた。肩に寄りかかる感触は名残惜しかったが、私は護くんを起こした。口元に少しヨダレが垂れている。パーカーの裾で拭ってやると護くんはすっかり目を覚ました。
「紋々、報酬はいつもの口座だ」
「ありがとうございます」
 報酬があるのか。そうか、仕事だもんな。そうじゃないと親の収入を当てにできない添上兄妹がこんなマンションで生活できるはずがない。
 それから私たちは車から降りた。
 全員降りたところで助手席の窓が開いた。
「金髪の嬢ちゃん、ちょっと来い」
 手招きされたので近づいた。
「あんたの『女の勘』は気に入った。俺の名刺をやる。困ったら連絡しろ」
 北海道警察本部 捜査一課 警部補 金城独歩
「えぇと、キンジョードッポ刑事、ですか?」
「カナシロだ。まぁ昔からよく間違われる」
「……もしかして歩美のお父さんってことはないですよね?」
「クソッ、失敗した。金髪の嬢ちゃんは北月大の一年だったな」
「キンジョーとは仲の良い友達です。一緒によく飲みますよ」
「あの不良娘め。そうかよ。クソッ、仲良くしてやってくれ。ただし、このことは娘には秘密だからな。絶対に言うなよ」
「さぁ? 警察の弱みを握れるってのも嬉しいものですね」
 私はにんまり笑ってやった。
「見込んだ女はとんだじゃじゃ馬だった訳か。俺は女の尻に敷かれるのが運命みたいだな。おい高町、お前も結婚してガキ産んだらこんな風になるんだぞ」
「俺は二次元に嫁がいるんで」
「ばかやろう、だから女の一人もできねぇんだ」
「あのー、もうそろそろ」
「おうそうだ、すまねぇ。いいか、くれぐれも娘には秘密だからな!」
 そうして車は駐車場を出て行った。
「すごいわねー、刑事さん達があんなに話すのを初めて見たわー」
「凛はあれだな! なんか人を引き付ける魅力があるんだろうな!」
 愛さんが背中をバシバシと叩いた。
「うむ、警察とはこれを機に友好な関係を築いていきたいものだ。では我々も解散にするか。今日はみんな、よくやってくれた。報酬の件についてはいつも通り後で通達する。護少年、君にも出るよう僕が取り計らっておこう」
「え、お金が出るんですか?」
「出るようにする。君は立派に働いた。君にしかできなかった仕事だ。お小遣い程度じゃない、相当な金額が出る。きっと母上に怪しまれるだろうから使い道については相談に来るといい」
「あの、それって」
「またいつでも遊びに来いということだ。君は心霊研究会の大学外メンバーなんだからな」
「なんかカッコイイです」
「お兄ちゃんが認めるならまーくんはうちの預かりねー」
「おい護くん、これからよろしくな!」
「ようこそ護。これで私と一緒だよ」
「はい、凛先生!」
 今度は護くんから私に抱き着いてきた。
 私の部屋、ペットOKだったかなぁ?

 護くんを家に送って部屋に帰ってきた。
 激動の一日だった。
 ビールジョッキに製氷皿の氷を全部入れてウィスキーを注いだ。メガロックという飲み方だ。嘘。いま考えた。ビールも良いがこっちの方が疲労した身体によく効く。肩コリや疲れ目、現実逃避には効果覿面だ。
 私はジョッキを傾けながら「凛の詩集」に解釈を書き加えた。

 14.幽霊には「白い包帯の幽霊」と「赤い包帯の幽霊」の二種類がいた。赤い包帯の幽霊は文字通り赤い包帯を巻いており、その包帯は空高くまで伸びている。白い包帯の幽霊との違いは色だけでは無く行動も異なる。赤い包帯の幽霊は「みられた」と感じるとその対象に襲い掛かってくる。実際に傷がつく訳ではないが、殴られたり噛まれたりすれば現実感を伴った痛みを感じるらしい。

 15.白い包帯の幽霊と赤い包帯の幽霊は見え方が異なるらしい。つまり「みえる人」にもタイプがある。現在のところ赤い包帯の幽霊をみることができるのはM少年一人である。彼は女の子のような美少年であり、天使でもある。甘えてくる仕草に脳がとろけてしまう。なんとか私の部屋で飼えないか考えている。

 16.「みえる人」同士が触れていると、お互いにみえる幽霊の種類がみえる。私がM少年に触れれば赤い包帯の幽霊がみえるし、M少年も白い包帯の幽霊がみえる。直接肌が触れていなくてもよいらしく、ヒモの両端を持つだけでもみることができる。赤い包帯の幽霊は危険なので今後はM少年に長いゴムひもを持ってもらい、私が対処することにする。

 17.襲ってきた赤い包帯の幽霊と格闘したが、生きている人間なら充分に重傷を与える打ち方をしてもあまり効果がなかった。昏倒、あるいは即死に値する蹴り技で頸椎が骨折する感覚を覚えたが、それは効いたようで立ち上がることは無かった。それから赤い包帯が切れてしまい、正体不明の鎖が地面から出てきて幽霊を包んで地面に飲んでしまった。この鎖は霊能力者でなくともみることができるようで、関わった刑事も明らかに知覚していた。白い包帯の幽霊と違って、この鎖の行先は地獄のように思える。

 18.道元さんの推測では、白い包帯の幽霊は「自殺した人間」であり、赤い包帯の幽霊は「人を殺した幽霊」ではないかということだった。道元さんは都合のいい解釈だと謙遜していたが、「みえる人」の直感としては間違っていないように思う。今後、経験を重ねてその傍証を得たいと考える。

 19.M少年は割と和菓子が好きで半生菓子の桃山を気に入ったようだった。口元に食べ残しがついていた時は思わずキスするところだった。私の体臭を嗅ごうとしたり胸の谷間に顔を埋めたり、中学生らしい部分があるが、かわいい範疇である。って言うかおねえさん的には全然OK。もっとしてもいいよ。

 酔っぱらっているのでなにか余計なことを書いた気もするが、まぁいいや。
 それにしてもキンジョーのお父さんが刑事だったのは驚いたな。そう言われればどことなく似ているような気がしないでもないけれど、たぶんお母さん似の方だと思う。私もお母さん似だし、夕貴もお母さん似でいいんじゃないか。
 もういいや、全員お母さん似ってことでいいや。うん。アハハハハ。
 ……でも添上兄妹って似てないよな。
 まさか血が繋がってないとかそういう禁断のアレじゃないよな。睡蓮さんだけが真実を知っていて、ブラコンとか言いながら普通に道元さんのことを男性として好きとか。
 なんかありえそうで怖い。
 幽霊なんかより怖いぞ、それ。
 しかし道元さんはどうなんだろう。ちゃんと愛さんの気持ちに気付いているんだろうか。たぶん、いや絶対に気付いてないなアレ。もし愛さんが告白しても「ハッハッハ、嬉しいぞ、愛」とか言って付き合うとかそういう発展なさそうだな。
 道元さんは言葉づかいこそ達観した大人だけど、基本的に少年っぽいもんな。ある意味で護くんと逆って言うか。
 スマートフォンで時刻を確認すると護くんからメッセージが着ていた。

【藤田護】:凛先生、今日はありがとうございました。心霊研究会のメンバーになれて嬉しいです。また連れて行ってください。お母さんには勉強会だという話を合わせてください。よろしくお願いします。

 うーん、中学生らしい固くてたどたどしい文章。大好きです。
 私もメッセージを返信した。

【城ケ崎・ジェット・凛】:護ががんばったからだよ。これから一緒にいられるから、積極的に外に出て行こうね。また手を繋いであげるから。もし学校にも復帰するなら好きな事させてあげる。

 おらおらー、どうだ?
 中学生だろー。どんなエッチな要求してくるかなー?
 おねえさん、なんでも頑張っちゃうよー。
 しばらくして護くんから返信があった。

【藤田護】:えっと、「あーん」してください。

「あああああああ、かわいいいんじゃああああああああ!」
 私は窓を開けてベランダで絶叫した。

 凛先生が化け物じいさんを倒した後、俺たちは普通にコンビニへ行った。
 コンビニで俺は漫画雑誌だけ買って、残りのお小遣いは全部凛先生に任せた。最初は俺に使えと言ったけど、やっぱり新商品のお菓子が気になったようでそれを買っていた。なぜかずっとお酒コーナーを気にしていた。
 凛先生は女の人だけど、今まで見た人の誰よりも強い。あんなにすごいパンチやキックは漫画の中の世界だと思っていた。本当に漫画の中から出てきた人みたいだ。そんな人がお菓子を気になると言って買うなんて、かわいいなと思った。
 家に帰ったらまたお母さんが泣いた。俺が外に出て買い物ができたのが嬉しいのはわかるけど、何度も泣かれたら困る。さっさと凛先生と部屋に入った。
 ノコギリマンの続きが気になって仕方なくなり、俺は凛先生そっちのけで読んでしまった。今週のスピードちゃんもすごくかわいい。
 凛先生は寝転がりながらお菓子を食べていた。すごい無防備な感じだ。猫のように寛いでいる。俺はこっそりスピードちゃんと凛先生を見比べた。スピードちゃんはかわいい。これはやっぱり変わらない。でも凛先生はかわいいだけじゃない。なんていうか、これはもう恋をしているんだと思う。わからないけど愛かも知れない。どっちでもいい。見る度にドキドキしてしまう。
 愛之助は「恋愛って惚れた方が負けらしいんだってよ」なんてわかった風なことを言っていたけど、それなら俺は負けでいい。一生かけて負けてもいい。
「護、携帯電話とか持ってる?」
「えぇ、スマートフォンがありますけど」
「今の中学生って進んでるねー。わかった。じゃあ連絡先を交換しよう。心霊研究会の会議にも出てもらいたいし、これから護が何かあって困ったら連絡して。駆けつけるから」
 いつでも駆けつけてくれる!
 でもそれってつまり幽霊のことでしょ。
「赤い包帯の幽霊で、ですか?」
「別にその他でも困ったら言いなよ。あともう護とは先生と生徒の関係じゃなくて仲間だと思ってるから、世間話でもしたかったらいつでも連絡しな。寝るまでなら付き合ったげる。クラスの好きな女子の話とかさ」
 凛先生は綺麗な顔で笑ったけど、俺はクラスに好きな女子なんていない。好きな人はもう凛先生だけだ。
「クラスに好きな女子とかいません。好きな人は、その、別にいます!」
「おうおう、中学生だねー。そういう話も聞いてあげるよー」
 俺は顔が紅潮するのを感じて凛先生を見つめた。「あなたが好きです、気付いてください」そう想いをこめてじっと目を見たけど、やっぱり大切なことは言葉にしなくちゃ伝わらない。凛先生も俺のことをみつめてくれたけど、わかり合えたわけでは無かった。
「んー、まぁ恋愛の話は置いといて」
 保留。大人はいつもこうだ。保留しとけばなんとかなると思っている。
「これから少しずつでいいから外に出られるようになって、そしたらどこに何時に赤い包帯の幽霊がいたとか、そういう連絡も欲しいな」
「あぁ、はい。そうですね。でもしばらくは凛先生と一緒じゃないと怖くて外には出られないと思います」
「そうかー、そうだよなー。急には無理か」
「でも心霊研究会には興味があります。同じ霊能力者ってことは俺たちと一緒に『みえる』ってことですよね。そういう人たちの話を聞いてみたいです」
 心霊研究会、どんな研究会なんだろうか。幽霊のことに詳しいなら俺のこの葛藤をわかってくれるんだろうか。
「あ、それはちょっと違ってね。『みえる』のは私だけで他の人はタイプが違うって言うか、んー、説明がややこしいな。とりあえず一回会ってみよう」
 凛先生はどこかに電話をかけた。
 音が少しだけ漏れている。何を話しているかわからないが、男の人の低い声が聞こえた。
「ちょうど良かった。なんの用事だったんですか?」
 凛先生はなにか親しげだ。
「あぁいえ、大丈夫です」
「あの、私からもいいですか?」
「偶然なんですが、霊能力者に出会いました。私と同じ『みえる人』です。しかも見える幽霊の種類が違います。明日の昼に連れて行ってもいいですか?」
 俺のことだろう。確かに日曜日に凛先生とでかけるのはいいけど、お母さんに何て言おう。ちょっと考えなくちゃならない。
「うーん、説明が難しいんですよ。本人からも話させますし、明日でいいですか?」
「ジュースの方がいいんじゃないですかね。中学生なんで」
 別にお茶でもいいんだけど、やっぱり子どもだと思われてるんだろうか。
「霊能力に年齢って関係あるんですかね?」
「お酒は無しの方向でお願いします」
 お酒? 普段はお酒を飲んでいるんだろうか。確かに凛先生はお酒を飲みたいとよく独り言をいう癖がある。
「そんなこと気にしてるんですか? 大丈夫ですよ、菩薩みたいな顔してるんですから」
 菩薩みたいな顔って、そんなの親しい人にしか言えない冗談だよな。なんだろう、なんかイライラする。凛先生が親しく男の人と話しているとムカつく。
「あの、今の人が心霊研究会の人ですか?」
「そうだよ、まぁ私たちのボスだね。道元さんって言うの。優しい人だよ」
「そうですか!」
 俺は怒りがコントロールできなくて後ろを向いてしまった。
「どうした護」
「ずいぶんと親しげに話すんですね!」
 これは嫉妬なのだろうか?初めての感情で戸惑っている。
「それで護。明日の昼から心霊研究会の会議になったんだ。護も一緒に行ってくれないか? そうすると私はすごく助かるんだけど」
 凛先生がすごく助かる?
「場所は近くのマンションでそんな歩かないけど、赤い包帯の幽霊が出たら困るから、できれば護と一緒に手を繋いで行きたいなぁ」
 手を! 繋ぐ! また繋いでくれる! しかも昼間から!
 ……。
「はぁ、仕方ないですねぇ……」
 それならそうと早く言ってくれればいいのに。
「行きまーす!」
 自分でも表情を保てなかった。

 凛先生が帰ってから、俺はお母さんに嘘を吐いた。
「お母さん、相談があるんだけど」
「なにかあったの?」
「凛先生って交友関係が広いらしくて、北大の医学部にも友達がいるんだって。それでその人たちが俺のことを聞いて勉強を教えてくれるって言うんだよ」
「最初はびっくりしたけど、城ケ崎先生って本当にすごい方なのね。うん、わかった。それだったらぜひ教えてもらいなさい。謝礼はいくら出せばいいの?」
「いらないって。凛先生の人徳みたいだよ」
「本当に城ケ崎先生を家庭教師に選んで良かったわ」
 俺もそう思う。もう凛先生以外考えられない。
「明日の昼から行っていい? もし気分が乗ったら遅くなるかも知れないけど」
「全然いいわよ! そういうのはお母さんも大歓迎!」
 お母さんに嘘を吐くときは勉強とインテリな集団の名前を出せばいい。なんだか扱い方が上手になってきて複雑な気分になってきた。

 翌日の昼過ぎ、凛先生が迎えに行った。
 お母さんが先に玄関に出迎えに行って何かを話している。
 俺は嫌だったけどお母さんがどうしてもと言うので制服を着た。その内、身体が大きくなるからと言って買った制服はまだ裾が余る。カッコ悪い。でもお母さんは言い出したら聞かないから仕方なく袖を通した。
「じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
 お母さんの口調はどことなく柔らかかった。
 玄関を出てドアを閉める。凛先生はお母さんとのやり取りで混乱していたようだったので何のことか説明した。
「お母さんには北大医学部の大学生が凛先生の紹介で俺のために無償で勉強会を開いてくれるって嘘を吐いておきました。お母さん、インテリに弱いですし、これくらい言っておいたらもし帰りが遅くなっても何も言わないと思います」
「あら、上手ですこと」
 オホホ、と口に手を当てて笑う。こういったからかう凛先生も好きだ。
「それより凛先生、赤い包帯の幽霊がみえるかも知れませんよ?」
 俺は一刻も早く凛先生と手を繋ぎたかった。赤い包帯の幽霊が怖いのは本当だけど、それよりあの柔らかくて大きくて、包み込まれる様な手で抱きしめられたかった。
「ん、じゃあ右手を握って」
「前もそうでしたけど、どうして右手なんですか?」
「私の利き手は右だけど、何かあった時に構えやすいのは左側なんだ」
「なんかプロっぽいですね」
「一応元プロだよ」
 凛先生の手はやっぱり俺を興奮させる。

 凛先生は身長が大きい。たぶん一八0cmくらいあると思う。何より足がスラリと長くて見惚れてしまう。平均より身長が低い俺は酷く劣等感を覚えて嫌になった。いやこの感情は劣等感と言うより、凛先生の身長に見合わない俺の男としてのプライドだ。お母さんはすぐに大きくなると言っていたけど信じられない。
 それにしても天気が良かった。この周辺は休日になると落ち着く。地下鉄駅とバスターミナルがある地域だから普段は通勤と通学の人間で騒々しい。そんな静かな街を凛先生と手を繋いで歩いているとデートしている気分になる。デートなんてしたことないけど、ドキドキしているこの心臓はそう言っている。
 でも周りから見たらお姉さんとその弟ぐらいにしか思われないだろうな。せめて俺の顔がもっと男らしくて身長が高かったら、恋人に見られるだろうか。
 凛先生の手は気持ちよくて何度か握り直した。強く握ってみたり、弱く握ってみたり、手触りを楽しむ。肌が触れ治すたびに顔が紅潮しそうになる。にやけそうな顔をギュッと力を入れて維持した。
 デート気分を楽しんでいる内に目的の場所についたらしい。凛先生はマンションに入る時に手を離してしまった。凛先生からしたら赤い包帯の幽霊を見るための行為だから、俺と手を繋ぐことなんて訳ないことなんだろうな。そう思うとすごく悲しくなってしまった。
 部屋には鍵がかかっていなかった。不用心だな。凛先生はなんでもないと言う風にドアを開けて玄関に入った。ちょっと緊張してきた。
「おじゃましまーす」
「失礼します」
「あらー、いらっしゃーい」
「お、おい睡蓮マジかよ!」
 玄関には愛さんと、セクシーな水着のおねえさんが立っていた。色々とギリギリな水着だ。何度か愛之助にエロ画像を見せてもらったことがあるけど、そんな画面上のものより何倍もエロかった。面積の小さい布からおっぱいがこぼれそうになっている。下半身にぐんぐん血液が向かうのがわかって、それから俺の頭は真っ白になって止まってしまった。
「愛からたぶん中学生は男の子かも知れないって聞いたからー」
「あたしは止めたんだけどな」
「あら、どうしたのかしらー。おねえさんの水着を見て興奮しちゃったー?」
 クネクネとポーズを取る。ダメだ、何も考えちゃいけない。何も考えちゃいけない。少しでも何か考えたらきっと、下半身が「目立つことに」なってしまう。そうなったらたぶん凛先生は俺のことを気持ち悪いって思う。
「睡蓮さん、護は純情な男の子なのでそういうのはホントやめてください」
「いいじゃないのー。からかい上手の睡蓮さんよー」
「からかいたいだけの睡蓮さんです!」
 凛先生が何か怒っているのでハッとなった。頭の中からこのセクシーな水着のおねえさんを追い出そうとして頭を振った。すこし冷静になってきた。じっと見ていたい欲望はあるけどなんとか目を逸らした。
「護くんだっけー、じゃあ、まーくんね。どう、おねえさんの水着はきれいだったかしらー? そそられたー?」
 はい。きれいです。そそられました。
 でもそういうんじゃない。俺だって男だ。エッチなものには興味がある。でも俺にはもっと大切な人がいて、その、その人とはエッチなことをしたいというよりはずっと一緒にいたいって気持ちの方が強くて。
「あ、あの。きれいな方です、けど。俺の一番は凛先生、なので」
 混乱していたので思わず本音を漏らしてしまった。
「あらー、残念だわー」
「おい凛! お前、護くんに何かしたのか! なんかその反応結構ヤバい感じだぞ! たぶんそれベタ惚れしてるぞ!」
 愛さんその通りです。俺は凛先生にベタ惚れしています。
「わ、私はなにもしておりませんぬ」
「怪しいぞお前!」
 凛先生は俺の頭を激しく撫でてくれた。きっと誘惑に負けなかったことを褒めてくれたんだろうな。

 それからドアが開いて厳つい男の人が出てきた。筋肉質で短髪で、いかにも男らしいって感じの人。その人はおねえさんの水着に驚いて何も言わずにそのおねえさんの腕を掴んで引っ張って行った。
 ちょっとびっくりしたけど、悪い人には見えなかった。
 凛先生と愛さんはそのまま部屋に入って行ったので着いて行った。
 部屋はうちのマンションよりも広くて豪華でキレイだった。でもリビングにはちゃぶ台と座布団しかない。テレビもないし、ソファもない。貧乏じゃなくてこれは質素って言う方が合っている気がした。
 奥の部屋からさっきの男の人が出てきた。
「あー、睡蓮にはキツく叱っておいた」
 それを聞いた愛さんは「あー、あいつ拗ねてるなー」と言っていたけど、おねえさんなのに子どもみたいに拗ねるんだろうか。よくわからないな、あの人。
 俺たちはちゃぶ台を中心に座った。大人の男の人がいるので緊張してしまうが、この人は不思議と柔らかい感じがして不快ではなかった。でもやっぱり怖い。凛先生の服をつまんでくっついて座った。そうするとすごく安心した。
 ちゃぶ台の上にはおまんじゅうや羊羹がたくさん並べられていた。俺をもてなすために用意してくれたらしい。その心遣いは嬉しいけど、俺はあんまりあんこが好きじゃない。でも手を付けないとなんか悪いなと思って、食べられそうなお菓子を探した。
「護少年と言ったな。僕の名前は添上道元。みんな気軽に道元と呼ぶから君もそうするといい。さきほどの破廉恥な女は僕の愚妹だ。名前は睡蓮と言う。妹に代って重ねて非礼を詫びよう」
 道元さんと言うのか。それでさっきの水着のおねえさんは睡蓮さん。兄妹にしては似てないな。またあの水着を思い出しそうになって困った。
「あ、あのそんな、こっちこそ、その、見てしまって、すみません」
「護少年に非はない。睡蓮にはこう叱っておいた。男性に淫らな誘惑をした女人は衆合地獄に堕ち、脈々断処と呼ばれる小地獄にて筒を通して口の中に融けた銅を流され……」
「あーいいっていいって、護くんが混乱してるから簡潔に行こうや、な?」
 よかった、なんか話が長くなりそうだったから愛さんが止めてくれた。
「む、それもそうか。仕事の話もしなければならないしな。わかった。護少年は愛とは知り合いなのだろう。自己紹介は省いていいな。ならば霊能力の話からしようではないか」
「そうそう、そういうのでいいんだよ」
 愛さんと道元さんの方が兄妹っぽいな。やり取りがすでに家族だ。
「君は凛くんと同じで『みえる』タイプだと聞いたが、霊能力はそれだけではない。例えば僕は幽霊の香りを感じ取ることができる。鼻は広範囲に利くが、位置をはっきり特定するのは苦手だ。外では色々な香りが混じるからな」
 香りを感じるタイプ。「みえる」他にもあるのか。しかしその幽霊の臭いっていうのはどんな感じなんだろうか。
「あの、幽霊の臭いってどんな感じですか?」
「一言で言えば生ごみだ。しかしどこか甘ったるさも感じる」
 甘ったるい生ごみ。
「嗅ぎたくないですね」
「昔は吐きそうになったものだ」
 想像しただけで履きそうになった。
「あたしは幽霊の味がわかるタイプだ。道元と同じように生ごみを突っ込まれたような味がするんだけど、舌先がビリビリするのが特徴だな。幽霊が近くにいなきゃ感じにくいけど、その分、位置はわかりやすいぜ」
 幽霊の味がわかるっていうのもすごい話だ。
「愛之助は愛さんの能力とか知ってるんですか?」
「あぁ知らない知らない。あいつバカだし話を理解できないだろ」
「うーん、否定できない」
 確かに愛之助は少し頭が足りないからなぁ。
「んで、兄貴に叱られたさっきの痴女は幽霊の声を聞くんだ。幽霊の声は小さいらしくてな、かなり近くまで行かないと聞こえないらしい。道元が大体の見当をつけて、あたしが追跡して、睡蓮が位置を特定する。とまぁ、そんな感じでやってきたんだけどよ、そこで凛が登場したんだ」
「あ、はい。凛先生は白い包帯の幽霊をみることができるんですよね」
「そうらしいが、あたしたちは幽霊に白い包帯が巻かれてるなんて知らなくてよ、凛から教えてもらわなくちゃたぶん一生知ることも無かっただろうな」
 腕を組んで話を聞いていた道元さんが唸った。
「しかし凛くん、昨日の電話では幽霊の種類が違ったと言っていたな。それはつまり護少年と凛くんは幽霊の見え方が違うということなのか?」
「ん、なんだそれ?」
「そうなんですけど、どうする護。私から話す?それとも自分で話す?」
 凛先生は世界で一番美しく輝いて大好きな人だけど、日本語が少し不自由なところがある。俺が上手って訳じゃないけど、俺から話す方が良さそうだ。
「自分から話します」
「よしよし、偉いね」
 そう言いながら凛先生は頭を撫でてくれた。安心する。胸がギューってなる。ふと愛さんの方をみるとものすごい顔をしていたけどなんだったんだろう。
 それから俺は自分が体験した赤い包帯の幽霊の話と、昨日凛先生が倒したのか化け物じいさんの話をした。
 凛先生が話を続けた。
「護の話に付け加えるなら、私は赤い包帯の普段幽霊はみえませんが、護と手を合わせたり包帯を持ったりして繋がるとみえるようになります。たぶんこれは逆も同じで、護も白い包帯の幽霊はみえませんが、私に触れるとみえるようになると思われます」
「うむ。興味深いが、なんと言っていいものか。幽霊は基本的に無害で襲ってくるようなものではないはずだが」
 道元さんの眉間の皺がどんどん深くなっていく。仏像みたいだった。
「その地面から伸びた鎖? なんなんだろうな。行先は地獄ってことか?」
 愛さんも俺と同じようなことを考えていた。
「みることしかできない私たちが鎖の擦れる音を聞いたので、なにか幽霊の存在を越えた超常的な現象のようにも感じました」
「うむ、どちらにせよ現段階では結論はでない。赤い包帯の幽霊に関してはもっと場数を踏んで経験しなければわからないこともあるだろう。そもそも幽霊なのかすら怪しい」
「まぁ、そうですね」
 なんか大人の話って感じで着いて行けなくなったので、俺は聞いているフリをしながら一口食べて気に入ったお菓子を食べていた。袋には桃山と書いてある。聞いたこと無いけど気に入った。口の中が少しパサつくけど、口の中がじっとり甘くなるあんこよりは食べやすいし美味しい。
 桃山を食べていると食い入るように凛先生が俺を見てくる。そんなに見つめないで欲しい。すごく照れる。
「護少年、君は何時まで外出が許されているんだ?」
「え、あ、はい。はっきり何時までとは言われていませんが、今日は勉強会と嘘を吐いて着たので、遅くなっても大丈夫だと思います」
「うむ、そうか。では我々の仕事に着いてくるつもりはないかね?」
「え、仕事ってなんですか?」
 愛さんがなにか怒った。
「おい道元!あたし達の仕事のことを一番わかってるのはお前のはずだぞ!護くんはまだ中学生だ。そんな子に遺体を見せようって言うのか!」
「今回の依頼は違う。凛くん、君の力でまた新たに我々の仕事が広がったんだ」
「なんのことです?」。
「愛、去年の10月の三角山を覚えているか?」
 うん、たぶんこれは道元さんの話が長くなる感じだ。桃山を食べていよう。
「……」
「……」
「でもそれ、護を連れていく必要はあるんですか?」
 凛先生が俺の話をし始めたので会話を聞き始めた。
「ないかも知れない。だが、あるかも知れない。白い包帯の幽霊と赤い包帯の幽霊の違いが今の所はっきりしない以上、今回のケースは遺体を見ることはないだろうから護少年には経験を積んでもらいたい」
 俺の経験を積む。うん。そういうのは好きだ。なにか知らないことを知ることができると俺は気分がよくなる。
「なるほど。だってさ護。どう? 私たちと行ってみる?」
「えっと、凛先生は行くんですか?」
 凛先生が行かないなら行かない。
「もちろん。それが私たちの仕事だからね」
「じゃあ行きます」
 自然と笑みがこぼれた。その瞬間、凛先生は俺の顔にものすごく近づいて唇が触れそうになった。えっと、キスとかしてくれるのかなこれ?
「睡蓮! 話は聞いていただろう!」
 大きな声で道元さんが叫ぶと睡蓮さんはキッチンから出てきた。いつの間に移動したんだろう。今度はちゃんと服を着ていた。安心した。
「うぅ、お兄ちゃんのバカ」
 なんか涙目になっている。
「今回の仕事は凛くんだけじゃなく睡蓮の力も必要だ。なにか重要なことが聞き取れるかも知れないからね」
「お兄ちゃんもう怒ってない?」
「僕は怒っていない。それよりもちゃんと護少年に謝れるかね?」
「まーくんごめんね、おねえさんが間違っていました」
 あれだけセクシーに迫ってきた睡蓮さんが素直に謝る姿を見るのは、なんというか、心苦しくなってくる。
「あ、いえ、そんな。僕はその、構いません」
「護少年の心が広くて良かったな!」
「もぅお兄ちゃんのバカァ」
 睡蓮さんは道元さんの胸に飛び込んで両手で交互に胸を叩いた。
「ハッハッハ、仕方のない妹だなぁ」
 さっきとキャラが違う。実はあんな人だったんだな。
「全く、睡蓮はとんだブラコンだぜ!」
 ブラコン、なんだろうか。普通に恋人同士に見えるけど。

 それから道元さんのお金で出前を取って寿司を食べた。
 うちは普段からお母さんの手料理だ。俺の進学費用のために節約している。たまに外食する時は決まって牛丼屋。そこそこ美味しいし、なにより安い。寿司なんて本当に久しぶりだった。
 
 午後四時くらいに道元さんが警察の方が来たと話した。それから道元さんたちは自分の部屋に戻って黒いスーツに着替えた。俺はこの服で良かったのか気になったけど、睡蓮さんが「制服で良かったわー」と言ってくれた。なんのことだったんだろうか。
 マンションの1階に降りて駐車場に行くと黒い大きな車が横付けされていた。道元さんはナンバーを確認して乗る様に促した。
 後ろに凛先生と俺と愛さん。前に道元さんと睡蓮さんが乗った。
 運転席と助手席は見えにくかったが、どうやらスーツを着た中年の男性が2人乗っているようだった。バックミラーで俺たちをチラチラ見ている様子がわかる。ドラマに出てくる刑事みたいなものだろうか。2人は何も言わずに車を発進させた。
 高速道路をしばらく走っていると助手席に座っている刑事が口を開いた。
「おい紋々。新しいやつはどんなやつだ。中坊も乗ってやがるじゃねぇか」
「背の高い女性は同じ大学の一年生です。『みえる人』です。中学生の少年も同じように『みえる人』ですが、二人ともみえ方に違いがあるようです」
「ふん、よくわかんねぇな。まぁいい。おい金髪の嬢ちゃん。あんたは今から『金髪』だ。それと中学生の坊主、お前は『学ラン』だ」
「なんですかその呼び方?」
「コードネームよー。私たちは警察とは関係ない、存在しない人間ってことになってるのー。だから本名は避けて見た目の特徴で呼ばれるのよー。ちなみに私は『眼帯』ねー」
「あたしは『下駄』だ」
 なんだろうその呼び方。「学ラン」ってなんかバカっぽい。でも凛先生が学ランを着たらどんなだろう。透き通るようにきれいな金髪が映えてたぶん凛々しい。男の物の服は意外と似合うかも知れない。想像したらなんか変な感じに興奮してきた。下半身がムズムズする。
「しかし妻夫木課長も酔狂な事を考えやがる。霊能力なんて信じちゃいねぇがお前らは遺体探しの実績はあるからな。そこは買っている。だが行方不明者まで探そうなんてそんな業腹通ると思うか?俺たちが血眼になって探しても見つからねぇんだぞ。それをこんな学生どもに頼るなんてよ」
 なんだか警察の人は心霊研究会のことが嫌いみたいだ。睡蓮さんは、頭おかしいけど。道元さんも愛さんも、そして凛先生なんて特にいい人なのに。
 車の中はずっと静かだった。なんだかそわそわする。スーツ姿の男性が前に座っていると思うと怖くなってきた。道元さんは柔らかい感じがして慣れて怖くなくなったけど、ちょっと口調が荒いこの刑事さん達には恐怖を覚える。
 ギュッと凛先生が手を握ってくれた。突然のことで心臓が飛び出そうになった。でも、安心した。怖い気持ちはまだあるけど、凛先生がいるって意識するだけで心が安らぐ。あぁ、ずっと一緒に生活してくれないかな。
 車は三角山の麓に入った。緩やかに坂道を登って行く。
 しばらく右に揺れ、左に揺れ、だんだんと道路の造りが粗雑になってきた辺りで車は止まった。
「降りろ」
 助手席に座っている刑事が言った。道元さんを筆頭に俺たちは車から降りた。
 運転席に乗っていた刑事は車のトランクルームを空けて長靴を出した。
「これから森に入るから靴脱いでこれ履いておけ」
 無造作に投げられる。
「あの、俺はちょっと」
 長靴は大人用しかない。俺に合うサイズが無かった。
「じゃあ私が背負ってあげるよ」
 凛先生が大胆なことを言ってくれる。もう、天使。
「いやそんな悪いですよ。凛先生だって女の人じゃないですか」
「キックボクサーの心肺機能を舐めないでもらいたいな、っと」
 凛先生は無理やり俺を背負った。
「はああああ…」
 その瞬間、凛先生の首元から甘くてとろけそうな匂いがした。昨日抱きしめてもらった時に感じた匂いだ。首元から強く発せられている。もう、脳がぐちゃぐちゃに溶けてしまいそうだ。このまま包まれて死んでしまいたいくらいだ。
「じゃあ行くぞ」
 七人で森の中を分け入った。
 緑の匂いが強い。三角山はお母さんが離婚する前に何度かお父さんに連れてきてもらったことがある。俺は乗馬体験が好きで、いつも小さいポニーに乗せてもらって柵の中を一周した。猫も好きだけど馬も好きだ。ポニーも可愛いし、サラブレッドも精悍だ。輓馬みたいな力強い馬も好きだ。
「大丈夫ですか? 重くないですか?」
「全然、軽い軽い」
「凛、あたしだって元柔道家だ。もし辛くなったら代わるから言えよ」
 そうだ、愛さんだってすごく強い柔道の選手だった。愛さんに背負ってもらうのも、嬉しいけど、俺にはやっぱり凛先生が一番だから。
「絶対代わりません!」
 意地なのかわからないけど、凛先生はすごく嬉しい事を言ってくれた。着くまで何分かかるかわからないけど、この凛先生の香りをずっと堪能できる。甘くてとろけそうで、興奮してしまう凛先生の身体の匂い。
 背負われているので時間はわからなかったが、だいたい十分くらい歩いただろうか。森の中は照明が無いから真っ暗だった。刑事さんたちはすごく眩しい懐中電灯を使って前を照らしていた。
「そろそろだ」
 助手席に座っていた刑事がいう。
「臭いがキツいな」
「舌がビリビリして吐きそうだ」
「私はまだ聞こえないわねー。二人はみえないのかしらー?」
 それからほんの十秒足らず歩いて気が付いた。
「あっ」
「あっ」
 幽霊がみえたのは俺と凛先生、同時のようだった。
「みえたか? 幽霊の様子はどうだ。あの樹の近くに横たわっていたはずだが」
 道元さんが俺たちに聞いてきた。
「あの、凛先生。これってどういうことなんでしょうか?」
「いや私にも全くわからん」
 2人で混乱した。
「おいどうした、お得意の霊能力とやらでみえるんじゃないのか?」
 助手席に座っていた刑事が怒鳴る。
「えぇ、みえるんですけど。ねぇ、護?」
「はい、みえるんですけど、これって……」
「だからなんだって言うんだ」
「あの刑事さん、本城なんとかさんって二卵性の双子でしたか?」
「あ? そんな情報はねぇぞ。確か兄はいたはずだったが」
「じゃあなんで本城さんは二人いるんでしょうか…」

 凛先生は俺を降ろして手を繋いだ。
 みえる。本城さんは二人いる。
 先ずは樹の近くで横たわっている本城さんを観察した。
 首に太い針金がきつく巻かれて紫色になっている。少し目が飛び出て鼻血が出ている。右手には電動ドライバーを持っていた。
 これは海外の映画で見たことがある。殺人鬼が後ろからこっそり針金の輪を首に被せて、電動ドライバーで巻き取って絞め殺すってやつだ。
「あ、これ知っています。海外の映画で見ました。針金を輪にして電動ドライバーに繋いで絞めるんです。機械で一気に絞めるから確実なんですって」
「こういう方法もあるんだねー」
 死体はリアルにみえるのに、怖くなかった。凛先生と手を繋いでいるからだろうか。でもそれ以上に現実感を伴わないといった方が強い。まるで精巧な3D映像をみているようで恐怖は感じなかった。
「おい紋々。お前が教えたのか?」
「いえ、僕たちが発見した時は腐敗が進んでいたので死因までは知りませんでした。その後に教えてもらうと言う事もありませんでした」
「警察も発表してねぇから死因がわかるはずねぇんだ。本当にあの嬢ちゃんたちはみえてるってことか?いや、信じねぇぞ。俺は信じねぇからな」
「んー、やっぱり以前と同じように『ゆうと』って聞こえるわねー。それをずっと繰り返しているわー」
 睡蓮さんは幽霊の声が聞こえるんだったな。ゆうと、ゆうとって人の名前だろうか。
「優斗は本城の息子の名前だ」
「あらそうなんですかー。じゃあ息子さんがずいぶん気になるのねー」
「つまり本城は息子の行方を知らないってことか?」
 うーん、なんかそうとは思えなかった。
 もうひとりの本城さんは遺体からずいぶん離れた場所にいた。赤い包帯を巻いている。目が血走って四つん這いになっている。
 赤い包帯を巻いた本城さんは俺たちがはっきり気づき、「みられた」と思ったはずなのに襲ってくる様子がなかった。ずっとその場から動かない。
「護、万が一ってこともあるからこのゴムひもを握っていて」
 凛先生は手芸用のゴムひもを俺に渡した。俺はその端を持って、凛先生はズボンのベルト留めにゴムひもを括りつけた。
 凛先生はずんずんと近づいていくが、赤い包帯の本城さんはこちらに襲い掛かってくる様子がない。
 急に地面を掘る仕草をし出した。なんのことだろうと思って黙ってみていたけど、凛先生は気になったようで無造作に近づいて行った。それから凛先生は掘っている場所の土を指でつまんで何かを考えていた。
 いきなり赤い包帯の本城さんが凛先生に体当たりした。凛先生は気付かなかったようで、しゃがんだまま後ろに転がった。
「大丈夫ですか凛先生!」
 凛先生はとっさに構えたが、赤い包帯の本城さんは無視して何度も地面を掘り返そうとしている。
「護、どう思う?」
「どう考えてもそこに何かありそうですよね」
「うん、私もそう思う」
 凛先生は戻って刑事に言った。
「私がいま転んだところになにか埋まっています」
「確証は?」
「女の勘です」
「……そう言うなら信じてやる。おい、車に戻ってスコップ二つ持ってこい」
「はい」
 運転席に座っていた刑事は森の中をまた戻って行った。
「どういうことかは説明してもらう」
「わかりました。護、こっちおいで」
 呼ばれたので凛先生の下へ行くと、後ろから抱きしめられた。さっきから寒いとは思っていたから、その温もりはありがたかった。
 ただ。
 ただ、胸が後頭部に当たるのだ。
 たぶん凛先生は胸が大きい方じゃないと思う。俺の経験不足だろうけど、漫画のキャラクターや愛さんとか睡蓮さんとかに比べればずいぶん主張していない。でもその柔らかさは確実に俺の後頭部を包んで異常に興奮させた。
 硬くなってしまった下半身を隠そうとして俺は腰を引いた。
「うむ、我々にも説明が欲しいところだ」
「あたしもよくわからん!」
「私にも教えて欲しいわー」
「はいはい、今から説明しますから」
 凛先生は俺と同じように本城さんが白い包帯の幽霊と赤い包帯の幽霊に分かれて存在していることを指摘した。赤い包帯の方は襲って来ずにずっと地面を掘ろうとしている。近づいても特に何もしないが、周辺の土を触ろうとすると体当たりしてその場から離そうとする。
 俺がみたものと同じだった。
「だからその場所を掘ってみようってことか」
 助手席の刑事が言った。
「えぇ、たぶん私の推測ですが息子さんが埋められています」
「その話が本当だとしても一つ気がかりがある。心中したのはわかったが、だったらなぜ埋めた時に掘った道具がなかった?いくら当時4歳児でも大型犬くらいの大きさはあるぞ。埋めるならそれなりの工具がなけりゃ難しい」
「えぇ、それは私も気になっていましたが後からわかると思います」
「なぜだ」
「ねぇ、道元さん?」
「金髪の能力は『みえる』ことです。幽霊が成仏した際にその幽霊の経験や苦しみがビジョンとして脳裏に流れ込む能力があります」
「サイコメトラーEIJIみてぇだな」
「なんですかそれ?」
「これだから平成生まれは嫌いなんだよ。くそ、名作なんだぞ」
 高町と呼ばれた刑事が戻ってきた。ずいぶん早かった。
「その金髪の言う場所を掘ってみてくれ」
 運転席の刑事と道元さんは赤い包帯の本城さんに近づいて行ったけど、赤い包帯の本城さんには特に気づかれずそのまま剣先スコップで勢いよく掘っていった。
 ずいぶん深いようだ。しばらく掘っているのに何もない。
「ガセじゃねぇよな」
 助手席の刑事が煙草に火を着けた。
「女の勘ですから」
「そう言われるのは弱いぜ」
「ん?」
 運転席の刑事が何か異変を察知した。手を使ってなにかやっている。
「人骨です。おそらく三歳から五歳くらいの子どものものでしょう。首の周辺に針金が残っています」
「決まりだな。もういいぞ。あとは鑑識課に回す。ごくろうさん。あとはその成仏だかなんだかだが」
 ジャララララ!
「ん? なにか聞こえるな?」
 あの音だ。鎖の擦れる音。
 ジャ!
「わっ!」 
 突然地面から生えてきた鎖に高町刑事は驚いて腰を抜かした。道元さんは驚かずに後ずさっただけだった。落ち着いてかっこいい男の人だと思った。
 鎖は赤い包帯の本城さんを包んで地面に飲まれていってしまった。
「おい、なんだ、今の」
「僕もはじめてみましたがおそらく地獄の鎖では?」
「ははっ、俺は信じねぇぞ。ここんところ徹夜続きだったから疲れているだけだ」
「すごいわねー、はじめてみたわー」
「すごい太い鎖だったな!」
 睡蓮さんと愛さんはのんきに眺めていた。
 すると突然、俺の頭の中に見たことが無い光景が広がった。
 
 本城さんと手を繋いでいる。
 知らない男に車に乗せられた。
 本城さんに針金を巻かれる。
 最後に本城さんの目から涙が流れ、一瞬で目の前が暗くなった。
「これでお母さんの邪魔にならない」
 そう思った気がした。

「あ、あぁぁ!」
 脳の中に直接流し込まれるような感覚を覚えて俺は呻き声を挙げた。
「どうした護!」
「みえるんです。優斗くんが殺された経緯です。たぶん本城さんが優斗くんと知らない男の人の車に乗っています。それから3人でこの森の中に入って行って、本城さんは男の人に殴られました。本城さんは泣きながら優斗くんの首に針金をかけました。それから優斗くんは一瞬で…」
 自然と涙が流れてくる。これは、優斗くんの想いなのか。それとも本城さんの感情なのか。その区別がつかない。どちらとも言えるし、どちらとも言えない。感情が揺さぶられて止まらない。
 刑事と凛先生たちが会話していたがよく聴こえなかった。
「……」
「……」
「おいどうした護。まだ辛いか?」
 凛先生の声で我に返った。しばらく頭の中の映像に囚われていたみたいだ。
「うぅ、だって、お母さんが子どもを殺すなんて信じられなくて。しかも優斗くんは安心して死んだんですよ。4歳の男の子が『お母さんの邪魔にならずに済む』って思って死んだんです。これって、もう、どうしようもなくて…」
「そうだな」
 凛先生は俺の前に回ってキツく抱きしめてくれた。今はただ、その柔らかさに包んでもらって安心したかった。

 帰りの車で俺はウトウトしてしまった。
 疲れた。
 はじめて感じたビジョン。凛先生は毎回あれを体験するという。俺は耐えられるだろうか。
 それにしても、今日は凛先生にたくさん触れられたな。これからもっと触ったり、触ってもらえるんだろうか。いいな、それ。だって仕方ないよ、俺だって男なんだからさ。
 俺はだんだん車のシートに沈んでいく感覚を覚えた。
 すっと肩を抱きしめられる感覚があったが、よくわからなかった。

「起きて、護。着いたよ」
 凛先生の言葉で目が覚めた。口元をなにかの布で拭かれ、その感覚ですっかり意識が醒めた。凛先生はなぜかパーカーの裾をベロベロ舐めっている。びっくりしたが、凛先生なりの癖なんだろう。うん、ちょっと目が怖かったけど。
 最後に降りると、凛先生が助手席の刑事さんに呼ばれた。
 遠くにいたから何を話しているかよくわからなかったけれど、なにか和やかそうな会話だった。途中で凛先生がにやっとした。いたずらっぽい笑み。あーあ、あれで刑事さんも凛先生の「とりこ」になってしまっただろうな。
 凛先生は自分の魅力に無自覚なんだ。
 なにか怒ったような嬉しそうな、そんな感じで刑事さんは怒鳴って車は駐車場から出て行った。
「すごいわねー、刑事さん達があんなに話すのを初めて見たわー」
「凛はあれだな!なんか人を引き付ける魅力があるんだろうな!」
 愛さんが凛先生の背中をバシバシと叩いた。
「うむ、警察とはこれを機に友好な関係を築いていきたいものだ。では我々も解散にするか。今日はみんな、よくやってくれた。報酬の件についてはいつも通り後で通達する。護少年、君にも出るよう僕が取り計らっておこう」
「え、お金が出るんですか?」
 俺、特になにもしていないのにいいんだろうか。
「出るようにする。君は立派に働いた。君にしかできなかった仕事だ。お小遣い程度じゃない、相当な金額が出る。きっと母上に怪しまれるだろうから使い道については相談に来るといい」
「あの、それって…」
「またいつでも遊びに来いということだ。君は心霊研究会の大学外メンバーなんだからな」
 なんかすごい。ノコギリマンみたいだ。俺には主人公みたいな能力は無いけど、日常に潜む裏の仕事を請け負うって感じがして……。
「なんかカッコイイです」
「お兄ちゃんが認めるならまーくんはうちの預かりねー」
「おい護くん、これからよろしくな!」
「ようこそ護。これで私と一緒だよ」
「はい、凛先生!」
 俺はたまらず凛先生に抱き着いてしまった。
 凛先生はいつものようにキツく抱きしめてくれた。
 
 凛先生に送ってもらって家に帰ってきた。
 お母さんには「勉強のことだけじゃなくてなんでも教えてくれたよ。塾に行くより凛先生に教えてもらった方がずっといい」と言っておいた。お母さんは感激してできる限り凛先生に教えに来てもらうように頼むと言ってくれた。
 部屋に戻ってベッドにうつ伏せになる。
 激動の一日だった。
 冷蔵庫から持ってきたコーラを飲みたいのに身体が動かせない。
 俺は思い出してスマートフォンを取りだした。凛先生のことになると元気いっぱいになる。恋の力なんだろうな。凛先生に見合う様な長身で男らしい顔つきになれたらいいのに、そうしたら凛先生は俺と付き合ってくれるだろうか。
 いや、それはいくらなんでも高望みしすぎだろう。
 俺は「なんでもいい」と言ってくれた凛先生にメッセージを送ることにした。
 
【藤田護】:凛先生、好きです。俺と付き合ってください。

 うそうそ。すぐに画面から消した。凛先生は俺を抱きしめてくれたり、頭を撫でてくれたりするけど、たぶんあれは弟に接するようなあれだと思う。俺を男としてなんかみてくれていない。だって俺は中学生だ。せめて高校生だったらいいのにな。
 俺は素直に今日のお礼と心霊研究会について、それとお母さんの前で口裏を合わせてもらうように文章を作って送った。

【藤田護】:凛先生、今日はありがとうございました。心霊研究会のメンバーになれて嬉しいです。また連れて行ってください。お母さんには勉強会だという話を合わせてください。よろしくお願いします。

 うーん、なんか堅苦しいかな。でもまぁ、建前でもこれは本音だ。
 凛先生からはすぐに返信が着た。

【城ケ崎・ジェット・凛】:護ががんばったからだよ。これから一緒にいられるから、積極的に外に出て行こうね。また手を繋いであげるから。もし学校にも復帰するなら好きな事させてあげる。

 あああああああ、好きなんじゃああああああああああ!
 危うく声に出す所だった。お母さんに変に思われる。
 あぁ! もう! 好きだ!
 なんだよもう、好きな事させてあげるって!
 学校なんて今すぐ行くよ!
 これがメッセージで良かった。もし目の前で、あの顔で、そんなこと言われたら俺はもう我慢できないかも知れない。絶対に下半身が大変なことになっちゃう。それを見られたら死ぬほど恥ずかしいし、絶対に嫌われる。ただのエロガキだって思われる。
 好きな事させてあげる。
 好きな事させてあげる。
 好きな事させてあげる。
 もちろんエッチなこともいいんですよね、凛先生!
 ベッドで添い寝してもらうとか、ほっぺにチューしてくれるとか、睡蓮さんみたいな水着を着てもらうとか、その綺麗な脚を見せてくれるとか!
 からかっているんですか凛先生! 俺も男です! 男なんです!
 あなたにならエッチなことをしてもらいたいんです!
 急に下半身が痛くなった。あれがズボンの中で窮屈に押し込められている。その痛みで冷静さを取り戻した。
 うん、どうかしてた。
 どうせ凛先生は中学生をからかっているだけだ。ここで本当にエッチなお願いをしたらひかれちゃう。どうせしてもらうなら恋人っぽいことをしてもらいたい。だったらこれでいいや、もう。これが限度だ。

【藤田護】:えっと、「あーん」してください。

 俺はこう送信した。
 凛先生からはしばらくして「いつでもいいよ」と返信が着た。
 ハートの絵文字が付いていた。
 あの、ホントにズルいですよ、凛先生……。

第七章 終

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