手紙〜拝啓十五の君へ〜
今日は末っ子の卒業式だった。
式が終わり、教室で担任の先生へお礼を込めて「手紙」を歌うシーンがあった。
黒板には、先生の手書きで「ポンコツな私を助けてくれてありがとう」といったニュアンスのメッセージがあった。
先生の発する言葉から、「力不足でごめんなさい」という
気持ちも滲み出ていた。
生徒と共に悩み、苦しみ、喜び、楽しんでいる純粋な姿は
とても素敵に映るのだが、先生本人は頼りないという実感だったのかもしれない。
「手紙」の歌詞が、先生が歩んできたこの1年のように思えて、懸命にやり遂げる姿の美しさに感動していた。
生徒達の心は、どのクラスよりも自由だった。
泣き虫な先生を笑顔にしようと、生徒からのメッセージには笑いが散りばめられ、そこにいる誰もが愛に包まれ暖かさを体感している姿を見て、心がポカポカした。
「手紙」のように濃縮された心の痛みや不安を
今の私はあまり感じない。
負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな時は、
私の過去にも確かに存在した。
そんな時を超えて、全ては愛だと体感したあの時から
心が揺れるとすぐに、愛と一体になる。
全てと一体になるけれど、現実的にはひとりだ。
私の場合は、誰もいないひとりの時に、
圧倒的な癒しが行われる。(ワンネスの意識になる)
けれど、先生の姿を見て羨ましいと思った。
濃縮された思いが原因で、そこにある愛を体感せず
積立て続けた結果、ついに今日まとめて愛を体感したのだ。
沢山のひとに囲まれて、素敵だなぁと思った。
先生を通して、私も愛に包まれ、ひとに包まれる体感を間接的に味わい涙したのだが、その時私がいた場所は
人が私ともう1人しかいないモニターが置かれた教室だった笑
ひとが沢山いる場所では、情報量が多すぎて
自分自身に集中出来ないのかもしれない。
末っ子が毎日楽しく通ったクラス。
本人に自覚はないが、世界を純粋さという物差して眺めている。
先生の純粋なエネルギーおかげで
この子が安心して通ったのだなぁと感じた。
本当にありがたい。
関わって下さった全ての方へ感謝。
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