着飾ることで曝け出せ。メタバースのこれからについて

前置き

 この世には聞くだけで涎が出る単語がある。

 梅干し、すだち、レモン。あとはあの日の悲しみとか。

 他にも、聞くだけで悲しくなる単語もある。

 卒業式、余命宣告、次号のハンターハンターは休載です。

 さらに、聞くだけで警戒心を抱いてしまう単語がある。元来その単語自体にはマイナスの意味なんてなかったのに、紐づく出来事の印象が悪く、警戒心を抱いてしまう単語が。

 例えば訪問販売や宗教、転売。もちろん本当にその人のためを思って訪問し、いい商品を販売する手法もあれば、人を救う宗教もある。(うーん、転売はちょっと擁護できないかも……。)でも、これらの単語を見て一瞬警戒心を抱いてしまう人は多いんじゃないかな。

 そしてあたしは、”メタバース”にも同じ匂いを感じていた。

 メタバース、仮想通貨、NFT、Web3.0。これらの言葉は酷く暴力的で、閉鎖的だ。少し調べた程度ではその価値も仕組みもわからなくて、ただなんとなく”素晴らしいと言っている人がいる”という印象だけが残る。あたしは通信に関わる職業についているということもあり、かなり突っ込んだところまでメタバースについて調べたい、というモチベーションがあったから我慢できたけど、きっとあたしが次女だったらすぐに調べるのを諦めて、”メタバース”を”フーリエ変換”とか”マクスウェル方程式”と同じ箱に詰めて二度と蓋を開けなかっただろう。

 そうなるのが嫌で、意を決してQuest2を購入したのが去年の12月のこと。そしてVRChatをはじめとする”VRメタバース”の世界に足を踏み入れて、今まで調べてきた知識はほんの表層の話だったことを知った。百聞は一見に如かずっていうことわざが頭を過ったね。

 そんなこんなで、職業上、そして趣味でもメタバースについて深く調べるようになってから四か月。あたしは一冊の本と出会った。

 それが、バーチャル美少女ねむ先生著の、『メタバース進化論―仮想現実の荒野に咲く「解放」と「創造」の新世界』

 出会ったきっかけは、アンドロイドスマホの人はわかると思うんだけど、スマホのホーム左ページに出てくるGoogleディスカバー。この世に蔓延る林檎ユーザーさんのために簡単に説明すると、自分の検索履歴とかから好みを分析して、興味のあるニュースだけをピックアップして表示してくれる機能のこと。YouTubeのおすすめ動画のニュース版だね。最近あたしのディスカバーには「ELDEN RING」しか出てこなくなっちゃったんだけど、そこでたまたまねとらぼ様の「30%がメタバースでの“お砂糖”経験あり」という記事が目に入ったの。

 気になるじゃん。

 あたしとてVRメタバース住民の端くれ。お砂糖関係になったことこそないものの、そういう関係があることは知っているし、見たこともある。

 正直、アバターが可愛くて性格がよければ性別ってどうでもいいかも。と思ったことすらある。

 それでも30%という数字を見た時に受けた衝撃はとても大きくて、気が付いたら購入ボタンを押していたんだ。……正直買った瞬間の記憶がない。

 ということですごく長い前置きになってしまったけど、この記事はその本の感想文です。読んでない人でも楽しく読めるような文章を心がけようと思いますので、最後まで読んでね。

前半の感想

 率直な感想だけど、舐めてました。内容的には、メタバース前史(言葉の由来から定義)からはじまり、ソーシャルVR(サービスごとの属性などの解説)とそれを支える技術を解説して前半が終わるというもの。

 ぶっちゃけ、VR原住民視点に立って今のバブル的にもてはやされているメタバースを切っていくだけの書籍だと思っていたので、言葉の由来や定義、技術まで素人にもわかりやすく、かつ専門的に説明されていたところにまず感銘を受けた。

 前半部分は、メタバース原住民1200人を分析した「ソーシャルVR国勢調査」を元に暴く各サービスの特徴も面白かったのだけれど、あたしは特に技術の部分がぶっ刺さったかな。

 多くの人と同じように、あたしもVRに一番大切なのは没入感だと思っている。この本では、その没入感を実現するために必要な要素として、ディスプレイと、中でどれだけ動けるか、現実の動作をトラッキングするフルトラやアイトラなどを挙げていた。これらは感覚的には理解していたものの、改めて切り分けてもらうと(個人的な)新たな発見がある。

 例えば、没入感を追い求めるあまり、人の見ている方向などまでトラッキングするのは幸せなのか、ということ。確かに現実世界では表情や目線から読み取れる情報はかなり多くて、相手が理解しているか/楽しんでいるかなどをそこから判断することも多い。そしてそれ故、傷つくことも多い。

 彼氏の目を見た瞬間「ああ、この人もうあたしのこと好きじゃないんだな」ってわかった気持ち、わかる?

 少なくとも今のメタバースは、1000人と出会って100人と仲良くなって10人とまた遊ぶ、という大学生の新歓みたいな人間関係の構築方法がメインになっている。これは悪く言っているんじゃなくて、むしろ褒めている。出会う人の母数が多い方が良好な人間関係を築きやすいだろう。

 なんだけど、ひとつだけ欠点があって。

 大学一年生が五月に虚無感を覚える(通称五月病だ)ことからわかるように、この手法はすごく疲れるんだ。ぶっちゃけて言うと、”愛想笑い”がしんどい。でもVR世界でアバターを着ているとこの”愛想笑い”をしなくて済む。退屈から真顔でぼうっとしていても、相手からすればわからないのだ。

 これは……どうなんだ?

 VR世界をもう一つの現実だとすると、相手の本音が見えにくい付き合いというのは真の人付き合いと言えないかもしれない。メタバースの終着駅が「もう一つの現実」なのだとしたら、「現実と同じような人付き合い」のためにフルトラやアイトラを発達させるというのも頷ける。

 でも、現実世界で煩わしいなって思うことまでコピーしなくてもいいかなって思うんだよね。新しい環境で頑張りすぎて虚無になる五月病が花粉症と同じくらい人類スタンダードなものなのだとしたら、VR世界にスギを持ち込まないようにVR世界に愛想笑いを持ち込まなくてもいいんじゃないかな。もちろんアバターには微笑んでおいてもらう。こっちの方がお互い気疲れしない世界な気がしている。賛否はあると思うけど、全くわからない話じゃないでしょう。

 こんな感じで、ハードウェアを改めて並べてもらうことで、知見が深まった上に(恥ずかしながら6DoFとか知らなかった)、メタバースの未来について改めて考えていくきっかけになった。

後半の感想

 ここからが本番だぜ!(やっと!?)

 後半ではみんなお待ちかねの、アバターや声による”アイデンティティのコスプレ”についてへの言及からはじまり、あたしが興味を惹かれたお砂糖関係をはじめとする”メタバース内でのコミュニケーション”。そして無限の資源を持つメタバース内ならではの経済を語り最後に身体からの解放というテーマで締める。

 前半で歴史から技術までを理解させたうえで、その中で起きている”人間”の本質を切り出していくその構成は、クリストファーノーラン監督を彷彿とさせる見事なものとなっていて、とてもすんなり納得することができた。もちろんあたしがそれなりにメタバースに精通しているということは前提だけどね。

 ただ、思考停止で納得だけしているのも面白くないので、この本では触れられていなかった”アイデンティティのコスプレ”による弊害についてちょっとだけ考えてみようと思う。

 名前とアバター、そして声によるアイデンティティのコスプレで、人はなりたい自分になれる。それは痛感しているし、すごく面白い世界だなと改めて思う。モテないのを見た目のせいにして諦める人は苦手だけれど、それでもやっぱり美人やイケメンを見ると羨ましく思う。メタバース内ではそんな世界……要するに”ルッキズム”からの完全脱却が図れる。

 ルッキズム。外見至上主義。確かにあたしも天から与えられた外見ではなく中身を見てほしいので、行き過ぎたルッキズムは反対だ。

 でも、そこから完全に脱却したメタバースが幸せなのかはまだちょっと判断がつかない。

 現実では、人に好かれたいときは化粧や整形という手段がありつつも最終的には”性格を矯正する”という答えに落ち着くことが多い。でもメタバースの中では、いくらでも外見を弄れる。好きな姿になれる。

 もちろんアバターが可愛かったり凄かったりしたら人は寄ってくる。(あたしもわらわらと群がる)

 でもそこまで。中身が伴っていない煌びやかな外見は、最初のきっかけにしかならず、その先はない。現実だとそこから”性格の矯正”という手段に出やすいけれど、この世界だと”もっと可愛いアバターになれれば”という手段が取れる。その結果、さらに中身と外見が乖離する。ルッキズムから脱却してしまったせいで、逆に中身を磨くという発想がなくなっていく世界のことを思うと少しだけ怖くなった。もちろん、そんな懸念はすぐに吹き飛んでいくことを祈っているけれど。

 さて、コミュニケーションの行き着く先はどこだろう。他人が知り合いになり、それが友人になる。もしかすると恋人になったり、家族のような仲になるのかもしれない。

 この本では、人間関係を営む上で決して外せない恋愛。そしてセックスについてまで切り込んでいた。

 あたしは既に”撫でられている感覚”を持っているので、正直あまり親しくない人になでなでされるのは苦手だ。

 でも不思議なもので、リアルが同性でも異性でも、それなりに仲良くなった人だと撫でられたりくっつかれるのが不愉快ではない。メタバース内ではパーソナルスペースが狭くなるというのは身をもって体験済みだ。たぶん匂いがないのとかも効いているんだろうね。没入感を追及して”嗅覚”にまで働きかけると、それはちょっとやりすぎな気もする。

 その延長線上に、恋愛感情のようなものがあるのもわかる。お砂糖という関係がどのようなものなのかまだよくわかっていないけれど、「あの人いま一人で遊んでるなら、一緒に遊びたいな。Joinしちゃおうかな!」という気持ちは、どちらかというと恋と呼べそうな気もする。(そういう気持ちを抱いたこともある)

 そこからセックスに発展するかと言われれば、想像するのは難しいけれど、”近い距離でプライベートな話をしながら愛を囁き合う”みたいなのはもうセックスでいいのかもしれない。

 たぶん、新しい世界では、心を重ね合わせることをセックスと呼ぶのだろう。

 後半の感想の締めになるけれど、この本を読むことで改めて、「ここはもう一つの世界なんだ」という理解が深まった。

 現実の世界から会社に行ったり学校に行ったり、ロードランに行ったりマデューラやヤーナムやリムグレイブに(全部ゲームのステージ名です)行ったりするのとは少し違って、メタバースは現実に従属しているのではなく、並列に並んでいるのかもしれない。

 新しい世界の誕生に立ち合えている。そう思うとものすごくワクワクしてきた。

 ハッピーバースデー!


最後に

 メタバースでは、現実の自分とは違う自分になれる。

 名前を変えて、アバターを着て、声を変えて。

 身振り手振りを大きくして、可愛い仕草をして。

 いくつもの”想像”を重ね着して、着飾る。

 そうやって何枚も何枚も着飾った末に、裸の自分、ありのままの自分がいる。

 ようやく本当の自分を曝け出すことができる。

 この地球ではないもう一つの世界で、本当の自分に出会える。

 バーチャル美少女ねむ先生著の『メタバース進化論―仮想現実の荒野に咲く「解放」と「創造」の新世界』を読んで、あたしはそんな矛盾した、それでいて美しい世界の在り方に辿り着いた。

 それが正しいのか間違っているのかはわからないし、正直どうでもいい。

 今はただこの可能性に満ちた、新しくて美しい、気持ち悪くて怖い、それでいて楽しいメタバースという世界の住人の一人として、生きていこうと思う。

 あたしの覚悟は済みました。

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