さらば怪物・松坂大輔2

なぜ松坂にここまで魅力を感じるのか?を考えると、松坂は2000年代というより、昭和のエースという感じがしたからです。完投数が年々減っていますが(例、2021セリーグの最多完投者は高橋、柳の2、2021パリーグの最多完投者は山本の6)、松坂は完投数二ケタを四度(2001、2004~2006)、キャリア最多完投は2005年の15を記録しています。

 「時代が違う」と一言で片づけるのは簡単ですが、松坂自身も「先発するからには完投したい」という考えが強く、投手コーチが降板を告げにマウンドに行っても、「僕まだ投げます」と降板を拒否することが多々あったそうです。連戦が続くと、ブルペン陣に「今日はノースローでいいっすよ」と言って、完投することも多々あったと言います。現在のプロ野球で、ここまで完投にこだわる投手はいないでしょう。

 「松坂は完投のこだわりが無ければ、故障を防げて200勝を達成できた」という考えは正しいのですが、本人は「先発するなら完投」という美学を通すことができたので、悔いはないでしょう。事実、松坂から「甲子園から今まで、もっと肩、ヒジを大事にすればよかった」という泣き言は聞いたことがありません。

 帰国後「もう200勝は望めないし、十分すぎるほどの名声、富は得られたのに、なぜ現役を続けているのだろう?」と思うことはありましたが、単純に松坂本人が投げたかったということに尽きるでしょう。ホークスを退団したあと、「この成績で取ってくれるチームがあるとは思えないので、独立リーグでプレーすることも考えた」というコメントを見たことがあります。そう、松坂は心ゆくまでピッチングを楽しみたかったのです。

 松坂の最後の登板を見ました。剛速球で鳴らした松坂が、目を疑うようなストライクもまともに入らない120キロのボールを投げるところを見て、寂しさはありました。でも、「取ってもらった古巣のライオンズで、一度で投げないで終わることは許されない」という野球選手、男としてスジを通し、ケジメを着けたという意味ではよかったと思うのです。投げることに誰よりもこだわった、松坂らしい終わり方でしたね。

 プロ入り前「クレメンスのパワーと、マダックスの投球術の両方とも究めたい」というコメントを読んだことがあります。力で押せなくなった30代以降、投球術で試合を作る渋いピッチングを見たかったなという悔いがありますが、それは今後松坂が指導者として、技巧派の投手を育てることを期待したいです。これからは指導者として、令和の怪物を育ててください。

 松坂投手、長い間お疲れさまでした!!

追記 松坂を甲子園の頃から見ていた分、思い入れが深く、二回に分けて書きました。おそらく2,500文字は書いたでしょう。原稿用紙6枚も書かせるとは、さすが平成の怪物だな!と言っておきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?