さらば怪物・松坂大輔

 先日松坂が引退しました。松坂は甲子園の頃から見ていますし、僕がライオンズファンというとこもあるので、思い入れが深いのでこれからつらつらと書いていきます。

 最初に松坂を見たのは甲子園での鹿実戦でした。「ストレートだけでも当たらないのに、変化球を混ぜたらもっと打てない、彼は甲子園ではやることがないから、明日からプロに行った方がいい」と思ったものです。甲子園でそう思ったのは、松坂と辻内だけです。

 松坂以降、甲子園でストレートのMAXは更新され続けていますが、一年目で最多勝を取る選手が出るとは考えづらいので、松坂を越える投手は出ないでしょうね。

 ドラフトのとき、ライオンズが交渉権を取ったときはガッツポーズをしたものです。松坂は「横浜以外だったら、日本石油」と言っていましたが、「嫌がっていた清原も入ったから、松坂も入るでしょ」と楽観的だったのは覚えています。

 でも、「高卒一年目で10勝到達したのは、ウン十年前の江夏、堀内以来ない」と聞いていたので、松坂が10勝できるとは思ってもいませんでした。まだ体の線が細いのに、エグイストレートを投げ込む松坂に圧倒されましたね。一年目なのに五輪予選に出たときは、「まだ一年目なのに、日本を背負わなくていいのに」という不安もありましたが、凄いなという気持ちの方が強かったです。

 上京して思ったのに、「これからライオンズ、松坂を観に行ける!」というワクワク感がありましたね。「松坂が投げる!」と興奮して、いつもとは違う内野席を取ったら、肉離れで早期降板ということもありました(苦笑)

 最初の松坂はストレートが凄くても、コントロールが無く5回100球というのがザラでしたが、だんだん粗さが取れて行って、日本最後の2006年は「三振10以上取って、格の差を見せているから日本でやることはないだろうな」と思っていました。

 2006年CS一回戦対ホークス戦での、斉藤和巳との投げ合いは今でも覚えています。「これは一点ゲームだろうな」と中盤からは覚悟しましたし、終盤は「勝敗はともかく、凄い試合を見ている」とゾクゾクしました。最大のライバルだった、斉藤和巳に投げ勝ったことが日本での最終試験だったと思います。

 松坂は五輪、WBCで投げて国際試合に強かったことも思い出の一つです。初期WBCは「どれぐらいの大会になるかわからないし、WBCに出るには調整を早めるのも大変だから」と参加を渋った選手を多々いたと聞きます。それでも参加して、活躍したことがWBCの価値を高めて、侍ジャパンが選手、ファンの夢になったことはもっと知られていいと思います。

 書いてきて、松坂にはかなり大きいものをもらったという感謝しか浮かびませんでした。成績では松坂を上回れても、松坂以上のカリスマ性を持つ投手は出ないでしょうね。その意味では松坂は2000年代の長嶋茂雄ではないか?と思うのです。

 最後になりましたが、松坂投手、長い間お疲れさまでした。今後は指導者として、令和の怪物を生み出して欲しいです。

追記

 コロナ禍で試合がない頃、NHK-BSで過去の名勝負を流していました。それで松坂と斉藤和巳が投げ合った2006年CS一回戦を見たのですが、一番胸が熱くなったのは、同点、逆転に備えて9表に肩を作る斉藤和巳でした。もし9裏があったら、マウンドには馬原が上がると思われますが、「松坂が9回投げ切ったのなら、自分も9回投げ切らないといけない、そうじゃないと松坂に敗けたことになる」という斉藤和巳のエースのプライドを見ました。

 

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