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人生は、やりたいことリストのチェックを増やすだけでは幸せにはなれないと思った話(その1)
こんにちは。このエントリの中でやりたいことリストがどんどんチェックされているのに、なんだか幸せを感じるのって難しいなと思ったことの続編エントリです。
結局、人生においてはやりたいことリストのチェックを増やすだけでは幸せを感じ続けるのは難しいな、と思ったという話です。
やりたいことリストとしてよく上がるものとして、死ぬまでに一度はいきたいとかって言われる旅先への海外旅行とかだったりするのかなと思います。例えば、南米ペルーのマチュピチュ、世の中の多くの人がまだ行ったことがないと思いますし、行きたいと思っていると思います。私も結局、行けずじまいなのでぜひ行きたいし、やりたいことリストの一つです。こう言った旅行先って死ぬまでにみたいとか、死ぬまでにやりたいとか、なんだか大それたネーミングがついていることもあって、これをやれば幸せになれる、人生が実のあるものになるようなそんな響きがありますよね。
でも、もし、そんなマチュピチュに行って、それを見れたとしたらあなたの人生にどんな影響があるでしょうか。それだけで、今までの人生が意味があったものに思え、これからの人生も良かったものになるでしょうか。
どうでしょうか。その景色を見たその瞬間は幸せを感じるかもしれません、友達に自慢げに話す時には気分が良くなるかもしれません、ただ、人生そのものの満足度っていう意味だとそんなに大きな影響がないような気がませんか。だって、マチュピチュを見て、帰ってきたらマチュピチュを見た経験を持っている人になるだけで、それからはまた同じような日常が待っているわけですから。
実際、私も今までに車でアメリカ横断とか、中南米を周遊したりとかで何度か1ヶ月以上の旅行をしてきていて、旅行している間は本当に幸せな気持ちですし、生きててよかったー、みたいなレベルで感動することもありました。でも、旅行が終わって1ヶ月もすれば日常に帰りました。何か変化があったかもしれないけども、やりたいことリストをチェックして、周りから羨ましがられたとして、その旅行を終えた後はただその旅行を経験した人になっただけで、それからの生活には大きな変化はないように感じました。むしろ、旅行が待っているというワクワク感が抜けて、真面目に生き出さなければいけない新たな日常が始まる一瞬は苦痛にすら感じられました。
まとめ
個人的な経験を踏まえても、やりたいことをやったことにするという、やりたいことリストのチェックを増やすこと、それ自体には長い人生全体を満足できるようなパワーがあるかというと、直接的なパワーはあまりないように感じました。
ここまで踏まえて、次は幸せってなんだろう、という世の中でもっともありふれつつ、ありえないくらい曖昧にしか答えがみつからない話題に踏みこんんでみたいと思います。
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