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愛がなんだ、という話。

愛がなんだ

を観に行ってきました。

ひたすら、ひたすら、自分を見ているようで、胸が締め付けられるような想いだった。

好きな人のために一生懸命なテルコ。時には常識では考えられないような行動も取ってしまう。いや、あそこまでひどくはないはず…と自分では思うけど、でも、周りから見たらきっと、同じようなものなのだろう。

やっぱり人間関係はどっちもどっちだ。


すみれさんが、ナカハラくんを都合良く扱う葉子さんを最低な女だと責めた。たしかに、最低かもしれない。一般的に見たら。

でもこの「一般的」とは何だろう。

恋愛関係に、一般的なんて必要なんだろうか。

ナカハラくんはその関係を望んでいる。葉子さんのことが好きだから。人間関係はもちつもたれつ、どっちかだけが悪いなんていうことは絶対にない。ナカハラくんだって、嫌だったら葉子さんから離れればいいんだ。望んでその関係を作っている。だからどっちもどっち。この映画に出てくる登場人物たちも、私と、あの人も。

好きになるようなところなんて、ないはずなのにね。

テルコが大好きな大好きな、マモル。
でもそんなまもちゃんも、一般的にはイケメンではないし友達も少ないし、仕事もそんなできないしお金もない。自分で自分のことを、守がそう言う。
きっと本当にそうなんだと思う。
だれかが好きなあの人も、他の人からしたらそんな大したことはなくて、でもそのだれかはあの人のことが大好きで大好きでたまらない。私が大好きなあの人も、本当はそんな大した人じゃないのかもしれない。いや、絶対大した人じゃない。でも、私はあの人が大好き。大した人じゃないならなおさら、私はみんながわからないあの人の良さをたくさん知っている。なんて思ってしまう内は、まだまだ抜け出せそうにないんだろうなと絶望する。全然ダメだ。

最後に。
この映画で私が一番印象的だったのは、葉子とテルコが言い合う場面かもしれない。テルコは、葉子ちゃんが寂しくならない種類の人かも、なんて言っていたけど、そんな人は存在しない。葉子ちゃんは、強くて綺麗で自分に自信があって自由だけれど、それでも寂しくなることだってあるんだ。当たり前だ。この世に完璧な人なんて誰もいない。みんな多かれ少なかれ傷つけ傷ついて、それでも毎日なんとか生きている。
私だって、あの人だって。
そんな当たり前のことを、ついつい忘れてしまう。忘れちゃダメだなと思う。結婚して、子供を産んだら一生幸せになれるなんて、そんなことは絶対にない。一人でも、誰かと過ごしていても、人は孤独だし自分の幸せは自分で作り上げていかなきゃいけないんだ。
またすぐ忘れてしまいそうだから、寂しくなったらこのnoteを見返そうと思う。

大事なこともすぐ忘れてしまうし、ダメな人とわかりながら好きなままだし、そんな自分が嫌になるし、でも連絡が来れば嬉々として会いに行ってしまう。
あの人も、私も、同じダメな大人。でも、ダメな方が人間味があっていいよね。まだもう少し、あとちょっとだけ、このままダメでいてもいいかな。なんてちょっと気持ちが軽くなった。

良いのか悪いのかわからないけれど、そんな気持ちになれた。
愛がなんだ
とっても良い映画でした。

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