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うさぽん昔話 2


私達きょうだいは、数え切れない程
児童相談所に保護された。

親がどうやって預けていたのかはよく分からないが、児相に泊まってある日突然両親が児相にお迎えにくる。

このパターンだった。

我が家ではなぜか児相のことを
「お泊まり保育園」と呼んでいた。

ふりかえると、私は一時保護所に行くことを楽しみにしていた。

ごはんもおやつも出るし、友達もいる。
優しい職員さんがいて、姉、弟や妹も一緒だったから楽しかったのだと思う。

その、お泊まり保育園がただのお泊まりではなくなった。

我が家で事件が起きた。

※事件の流れについては1でサクッとかいてあります。

保護された時に、私達きょうだいは、15歳以下の下の子と15歳以上の上の子に分けられた。

15歳以下は児童相談所の一時保護所へ。

15歳以上の兄と姉達はどうなったのかはよく分からない。

職員に兄達のことを何度聞いても誤魔化して教えてくれなかった。

事件から2日経った時に、突然弟と妹が居なくなっていた。姉がどうしたのか聞きに行くと…

「まだ小さいから小さい子が入る施設にいるんだよ。いつでも会えるからね!」

と言われたそうで、私達は心底安心していた。


しかし、それ以降、弟達に1度も逢えたことはない。


2週間位経ったある日、姉が突然居なくなった。めちゃくちゃ探したがみつからない。職員に聞いた。

「お姉ちゃんは大きいから大きい子が入る施設に移ったんだよ」

私もそこに行きたいと行った。

「もう少し大きくなったら行けるよ」

全く納得がいかず泣き続けた。
ひとりぼっちになってしまった。

みんな何処にいるのかな…

ずっと探していた。
しつこく聞いた。
いっぱい泣いた。


それから、1ヶ月後…

その日は突然きた。

「準備しなさい」

「どこ行くの?」

「新しいお家だよ」

「行きたくない…」

「家に帰りたい…」

こんなことを言ってもムダだった。

そのまま車に乗せられた。


車の中で、おにぎりの話をした。
私は具が入っていないごましおの
おにぎりが好きだと何度も伝えた。


そうだったね!わかったよ!
新しいお家の先生にそう言っておくね!

そんな会話をした。

多分、転校生が初日に感じるプレッシャーと似たような感覚だと思う。

施設に着いた時に、新しいお家だよ!
と、職員が明るく言った。

車から降りるのをゴネまくり暴れた。
家に帰りたいと何度も叫んだがムダだった。

私の最低最悪な人生の一部でもある
児童養護施設生活が始まった。

施設の中の出来事は
後日まとめようと思う。


施設に入り半年くらい経ったある日

兄と姉が面会に来た!
とにかく嬉しくて嬉しくて1日外出することになった。

どこに行こうか色々考えたが、いつも遊んでいた公園がいいと伝えた。
そこは遊具が沢山あって、子供達が楽しめるレベルのアスレチックもあった。

お弁当やお菓子を買って公園に向かった。みんなはどうしたの?と聞いたら他の施設にいるから、お兄ちゃん達が働いて頑張って迎えにくるよ!と兄と姉達がそう言った。

確かにそう言った。

今日、お兄ちゃん達と帰る!
私は、家に帰れると確信していた。

帰る時間になり私も一緒に帰れると思っていたので、バイバイだよ?と先生に言われてパニックになった。

暴れに暴れた。
癇癪ではすまない程暴れた。

兄と姉は、申し訳なさそうに帰って行ったのだが、職員がとんでもなく怒った。

二度と来ないで下さい!
私にはそう聞こえた。

まずい…と思ったが腹立たしい気持ちがおさまらずとにかく暴れた。

何ヶ月経っても兄達は来なかった。
ずっと待った。
何年も待った。
面会の日はいつもソワソワした。
私にも誰か来るかもしれないと期待していた。

結局、誰も会いにも迎えにも来なかった。

また家に帰れると思って
待っていたけど人生残酷なものです。

18歳まで待ちました。
兄達とは面会以降1度も会っていません。何度も先生に聞きました。

迎えに来ると言っていたと
何度も何度も聞きました。

いつ来るの?と聞きました。

あまりのしつこさに怒鳴られました。

職員が怖くてそれ以来兄達の話をすることもやめました。

私は諦めた。


恐らく、父母も兄達も言い分があると思う。職員達の言い分もあると思う。

でも、私の言い分はいつも後回しにされた。大人達が考えた私への気遣いだったのかもしれないが、深く傷ついた。

子供が待ち続けるには限界がある。
次第にみんな嘘つきだと思うようになった。

弟達はまだ小さかったので、きっと
事件の話も覚えていないかもしれない。
もしかしたら、養子になったかもしれない。

もうなにも分からない。


私が弟達と一緒にお風呂で遊ばなければこんなことにはならなかったとずいぶんと長い間自分を責めた。


父親のことを警察で話したことを
子供の頃は随分悔やんだ。


全てを自分のせいだと思い込んだ。
自分を責め続けて弟達に謝り続けた。
自分が死ねば良かったと何度も思った。


しかし、その考えを正してくれる
大人はいなかった。

つらいよね~で、サックリ終わり。


だからこそ、自分で考えることを放棄しなかったのだと思う。

なぜ、私は自分を責め続けているのか?


これ、おかしくないか?

そう感じることをやめなかった。
当たり前の事を考え続けること。


悩むな考えろ。と言った哲学者はもう亡くなっているけれど、その人の言葉を読まなければ私は全てを諦めて死んでいたと思う。


何があっても生き抜く図太さと乗り越えるパワーは、自分で考えたからこそ手に入る賜物だ。

誰かに自分の思考を奪われたり乗っ取られたら自分で取り戻せ。

私は、大人達に思考を乗っ取られてきた。あれもダメこれもダメ!あーしなさい!こーしなさい!

「即死」みたいだな。

まったくだせぇよー!!!!

ありもしない普通に騙されてたんだよ。

保護されたから安心安全なんてことは、絶対にない。

絶対にね。
だって保護してるのも人間だからね。
オバケより人間が1番怖いよ。

全ては運だよ。日本の福祉は「運」要素が強すぎる。

第2の親ガチャみたいなもんだよね。運が良ければ素晴らしい施設に入れる。運が悪けりゃ地獄の施設。


そんな運頼りにするようなものを支援と呼び、支援と言う名の公金チューチュースキームが出来たわけだ。

怪しさや、不透明さ、不明確さ、不誠実な言葉に騙され、マインドコントロールされた国民は歓喜し賛同し連帯を示している今日。

目を開いてよく見てみれば、当たり前のことが全く語られていないことがよく分かる。

目を閉じたまま、素晴らしいと絶賛している姿はバカみたいにしか見えない。

目を閉じて読書しているようなものだ。

ね、目を開けて本を読んでみたらどうかな?としか私には言えない。


私達は、目の前にある現実に目を背けずに見開いてみること。

そしてそれらをよく考えること。

そしてその考えたことを実行することしか出来ない。


本来、支援とは人助けなのだから、支援というものを免罪符にしてはいけない。

支援と語り公金チューチューなんて
許されねぇよな!!!!!!!

次回はなぜ許されないかを書こう!
またねー!

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