すべての終了そして再生

エヴァが終わった。終わらないと思ってたし、終われないとも思ってた。モラトリアム人間がどうやって大人を受け入れるのか、大人になれシンジと言ってるゲンドウ自身がずっと子供のままだし、庵野秀明監督が思う大人が描けないかぎり終わらない物語だとおもっていた。そのゲンドウが望む世界は人間の区別がないLCL化、魂が溶けて出来ている、差別も貧困もない世界。ユイとまた出会える世界だ。TVシリーズの拾伍話「嘘と沈黙」シンジとゲンドウがユイの墓参りに行って会話するシーンでユイに関するモノが「残ってはいない、今はそれで十分だ」と言う。残ってはいないのわざと言葉が引っかかるに作っているのかなと。ユイを復活させること=ゲンドウの記憶の中でのユイでしかなくてそれは本当のユイと言えるのかどうか。

エヴァにシンジが乗る、乗らないがそのまま庵野秀明監督のエヴァという作品に対しての向き合い方なのではないかとも考えられる。「僕はエヴァンゲリオン初号機パイロット碇シンジです」のセリフは印象的である。逃避したい時にはエヴァに乗らない、乗れない、家出したり、体操座りで2400kcal取ったり。シンエヴァの「なんでみんな僕に優しくするの」てまんま監督のセリフでは。旧では「もっと優しくしてよ」て言っていたのに。2chの庵野秀明監督をどう殺すかスレ読んで、もうどうでも良くなって自殺未遂したり旧にスレ出したり、映画館写すカットがあるのその影響だろうと考えられる。そこからやっぱり正解を出さないと満足しない、終わらせなければならないと思ったのなら少し残念。正解があるものを面白いと思う、謎が謎のままを面白いと思えないのは結構危険だと思う(庵野秀明プロフェッショナルより)旧のままでも十分正解に近いと思う。生と性で本当に良かったのにてこれもただヲタクの戯言かな。

ゲンドウが映画の3/2くらいのとこで全部説明してくるんですよね。「苦しみも差別もない世界」が引っかかる。苦しみがなければ、楽しさも感じられないのでは?でも、ユイの回想シーンはいい。知識と音楽だけだったゲンドウがユイと出会って変わっていく。「父さんも大切な人を失えばいいんだ!」てシンジが言ってたのを思い出す。もう失ってるんだよ。そこなのよ。ずっとそこから動けないでいるから、それを言われたら怒るよね。シンジの方が大人になって、ゲンドウがATフィールドするのかわいい。返すものだったんだねてカセットテープ渡されることで、本当にシンジと自分の過去にも向き合わなきゃいけなくなったなと。ずっとどう接していいか分からなかったて、シンジから見たゲンドウがどう写ってるか気にしてるからだと思う。

エヴァ対エヴァ→カヲルくん登場シーン再現ポーズあってすごくいい、ダブルエントリーてそうゆうこと?

ミサトさん→完全に母で「不思議の海のナディア  」の最終回。あそこでミサトさんがやられないといけないとは思うけど、完全に当たりにいってる。
TVシリーズ29歳で14歳の難しい年頃の子供2人もみて仕事もしてて、そりゃ加持さんに頼ってもいいよと思う。
父親の姿を重ねて、求めて加持さんと付き合ってたことも自覚して別れてる。

リツコ→めちゃくちゃにゲンドウを銃で撃ってて良かった。もっと撃っても良かった。もっとやり返せよて思った。槍でやりなおすんだ!!ちなみに、撃たれたゲンドウは気持ち悪い。

第三村の大円団や、ポカ波の成長人々の触れ合い。同級生が結婚してるし、子供いるし、アスカも。足りないものを補って生活していく、それこそがある意味人類補完計画なの?〔多分違う〕幸せの具現化という感じ、説教くさいてコメント入ってたのって第三村のシーンかな(庵野秀明プロフェッショナルより)
トウジの「生きる為にはお天道様に顔向けできないこともやってきた」がすごいリアル。気になる。生きるってそうよね。









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