ゴールドメダリストさま21
チェコスロヴァキア〜ハンガリー〜オーストリア
1959年-1960年
103、チェコスロヴァキア警備隊は、みんな若く小銃を胸に構えて顔を帽子の影に隠していた。
104、歯科治療を受けれる環境になかったロマは重い虫歯は、抜歯を無理やりして、歯が抜けた穴を早く塞がるようにライターの炎で焦がして殺菌したりしていた。
105、ロマはドアをノックしない。
106、1959年スロヴァキアの五カ年計画というものがあった。ロマ関係なくスロヴァキア人の農民も鶏を全部取られたり酷い仕打ちを受けていた。
107、スロヴァキアの旧市街ブラチスラヴァには当時兵器工場の青い帽子を被っている男女がいた。
108、当時のスロヴァキアの保安官は黒っぽいオーバーコートを着ていた。
109、『パンを節約しよう』というスローガンが当時スロヴァキアの旧市街ブラチスラヴァによくかがけてあった。
110、読み書きが出来るロマは時折署名をするときXXXと署名したが、目の効く警官にはバレバレだった。
111、当時のスロヴァキアの検問所では、ネッカチーフで頭を覆い、薄汚れた白い制服を着た化粧っ気のない娘たちは、警備兵の合図で素通りを許された。
112、スロヴァキアの政府御用達のポスターに『我らは虐げられたアメリカ黒人の兄弟たちに挨拶を送る。エジプトとの揺るぎなき連帯を。チェコスロヴァキアよりアフリカの一致団結に。我らは戦い、闘うのだ。同志よ、無知と文盲を撲滅しよう。ジプシー出身の市民たちよ、我らと集え』と書かれていた。
113、ロマに中には手先が器用な者がいて、材木からスプーンやボウルや熊などを掘ったりしていた。
114、1958年10月17日の法第七四号『放浪住民の永久的定住化に関する法律』(移動の自由を奪う強引な法律)で、高層アパートにロマは入居されたが、四万人もいるのでまだまだ足りず他にも何棟も建設中であった。
115、1958年10月17日の法第七四号『放浪住民の永久的定住化に関する法律』(移動の自由を奪う強引な法律)で車輪は全部焼かれたけど家馬車は焼かれずに住み、何百という数の家馬車がロマにより寄せ集められていた。
116、高層アパートに強制入居されて嫌がったロマは、高層アパートから飛び出して家馬車に逃げ帰ったものもいた。
117、野鳥を食べるのはロマにとっては掟破り。
118、1959年スロヴァキアには、戸外労働囚人キャンプというものがあり囚人は木材を立方メートル単位でお金を稼いでいた。朝から晩まで材木を選り分けて、寸法を合わせて切り揃えて目方を量っていた。
119、当時の国境検閲隊はボートを使ったパトロールはしなかった。
120、1959年農家でさえ鶏を私有するのは法律違反であった。
121、国境と言っても蛇腹みたいに渦を巻いた鉄条網やコンクリート性の高い監視塔があったわけではなく、生垣か畑かスロヴァキア語とハンガリー語の両方を話す人々が住む小さな村か何かが国境だったり、或いは森の真ん中で浅い河床の踏み越えが国境だったりした。しばらくした所に監視塔がある。
121、国境を越えようとする人々にはそれぞれ理由があり、みんな土地や国や欲望のために越えた。一つの場所から別の場所へためしに行ってみようとします男や女や子供たちが撃たれたりして死体が何体も横たわっていた。
121、第二次世界大戦時、絶食芸人という者がいた。自分で自分を檻に閉じ込めて、飲まず食わずで痩せ細っていくのを見せる芸だった。
122、監視兵士は訓練の行き届いたブラッドハウンドの犬の群れを監視に役に立っていた。
次回スロヴァキア2003年
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