見出し画像

敬意の話

Appleが発表した映像が炎上した件でふと思ったこと。

Appleが新型iPad Proの紹介発表で流した映像が炎上していましたね。
巨大プレス機の上に楽器、パソコン、美術作品、本、カメラやテレビなど様々なものが置かれていて、プレス機がその全てを押しつぶし、破壊し、プレス機が上がるとそこにipad PROが出来上がっているという映像。

この炎上で思ったことは、日本人は筋が通っていないことや不義理などの「敬意が感じられないこと」に怒りを覚えるのだろうということ。

これは前々から色々な場面で思っていたことで、大概の揉め事はここに集約する気がします。
例えば、写真界隈でもよくある話で、風景写真勢の場所情報の話であったり、カメラマンとモデルの有償無償の話であったりとか。
写真界隈に限らず飲食店や宿泊施設での店員と客の諍いなんかも度々目にすることがありますね。

理論的・効率的に行動するのが数字的には良かったとしても、結局は有機物である人間と人間が社会を作っています。
全てがAIや機械で人間が存在しない世界であればきっと全てが理論的であり効率のみの世界なんだろうけども、現実はそうではない。

Aの利益のためにBに損をする行動をしてもらうためには、Aは代価を支払ってBに動いてもらうとか、誠心誠意お願いをしてBに動いてもらったりすることが必要になる。
人間関係は対等な関係が是とされ、一方が損をする関係は長続きしない。
そこには目に見えない「敬意」というものが対価として必要とされているのではないかと思う。
誠心誠意のお願いは敬意と言えるだろうし、代価というのは敬意を可視化したものだと僕はいつも思っています。
また、Aは誠心誠意のお願いをBに聞いてもらったあと、Bに対してお礼の食事に誘うだったり、逆にBに対して何かをするとか、いわゆる「お返し」をする必要がある。即日の取引ではなくても、後日に代価である敬意を支払うことで、AとBの取引は釣り合いが取れると言える。

しかし世の諍いを見ていると、その敬意を欠いたが故にBが怒り、揉め事が起こっているのだろうと思います。

例えば、風景写真を撮るものが苦労して見つけ出してきた自分だけの綺麗な風景の場所を、「それどこ」の一言で場所を聞こうとする。

こういった事柄には敬意や配慮が全くないが故に、言われた側が怒りを覚える。
この、「敬意が感じられない」ということには、敬意を感じられない行動をした者に想像力が欠如しているのではないかと思う。

想像力があれば、この素晴らしい景色は撮影者が苦労して見つけ出した場所なのかもしれないという想像がつく。想像がつけば、その成果を簡単に聞き出すということは成果だけを掠め取る行為であり、利益を一方的に享受しようとする、ずるい行いだということがわかるはず。

冒頭のappleの炎上に関しても、本質はここにあるような気がします。
「破壊」という行為からは楽器やカメラなどそのものに対する敬意とか、それを使うクリエイターたちに対する敬意を破壊して踏み躙るようなイメージを持ってしまいます。

確かにAppleの製品は素晴らしいし、ipad proもクリエイターたちにとってなくてはならないレベルの製品です。しかしだからと言って、それら全てを破壊しその機能をipadのみに集約するという傲慢さ、配慮のなさ、そして敬意のなさに対して人々は怒っているのが本質なんじゃないのかなぁ、と思います。

傲慢にならず、謙虚に、物事の背景にある歴史や努力、苦悩を想像し、それに敬意を払える人間でありたいと、そう思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?