僕が1番発信したいこと。⑤

お久しぶりです。昨日パンドラの箱を開いて見ました。辛いというよりも何が僕のなかで辛かったんだろうと改めて考えた。

前回の続き。弁護士を雇えなかったという話。それから毎日拘置所に向かった。僕は当時夜勤しかしていなかったため毎日拘置所に行けたし警察の任意聴取にもすぐに対応できた。任意聴取というか調書を作るのって手書きなんだと思ったよ。もうなんて書かれていたかなんて忘れてしまったが、どんな内容だったんだろう。それは家族が1番わかっていることだと思う。裁判にも立った。他の家族は「もうどうしたらいいのっ。」って投げやりである。もうどうしたら良いのって僕も知りたいよ。目の前の拘置所へ行く、裁判の準備をする、お金の工面をする、弁護士と打ち合わせをする、裁判をする、これらをこなすしかなかった。そして、何より辛かったのが胴体に繋がれた縄と手錠をかけた家族を見ることだ。拘置所にいる警察官によっては衝撃の緩和という意味で見えないところでそのように配慮してくれる警察官もいた。