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何者でもない私

さて先に結果から書けば、現役時代の受験で私は第一志望だった慶應のみを受験し、落ちてしまいます。

受験というのは不思議なもので、客観的にみて合格する水準の学力がなかったにも関わらず、受験しただけでひょっとしたら……などと淡い期待を抱いていた私。

しかし現実は、そう甘くはなかったのです(笑)

(※2年目に合格し、さらにその後数々の受験生をみたいま思うことは、落ちた年は「落ちる受験生」をやっていたなあとしみじみ思います・・・・。失敗のパターンってあるんですよね。成功は人それぞれ登り方あるけど。)

こうして、親に頼み込んで予備校に通うことになりました。

浪人生というのは、結構辛いです。

友達はみんな大学生になって、授業や単位の話をするようになり、

おしゃれを楽しんだり、バイトを始めたり、サークルを始めたり、

めちゃくちゃ楽しそう。

一方で私は、自分で決めたことで、自分のせいとはいえ、また一年予備校に通って受験勉強をしなくちゃいけません。

予備校生って、世の中にその存在をあまり認識されていないんです。

いわば透明人間。

たとえばある日の予備校帰り、まっすぐ家に帰る気にならず、原宿を一人でふらふらしていたら、美容師さんに話しかけられたんです。

「高校生さんですか?」と聞かれ、「違う」と答えると、

「あ、じゃあ大学生さんですか?」と聞かれます。

それも、違う。

いったい私って「なに?」と思いました。

まあ大まかに言えば学生なんですけどね(笑)

それに今になれば、こんな社会的なカテゴリーを気にするなんてほんとバカバカしいんですけど、当時の私は優等生になりきれないわりに優等生的な考えに縛られてもいたので、そんなことを思ったものです。


ちょっと脱線しますが、私は別に大学に行くことが全てだなんて思いません。私の両親は大学に行ってないですし、

やりたいことが決まっていて、それをやるのは今なんだ!という信念があったり、行く必要がないと思っているのなら、別に行かなくていいと思う。

一方で、学歴が必要な職種もあるので、それが叶えたい夢ならば、行きたい大学にぜひチャレンジしてもらいたいなって思う。

私はその後慶應大学を卒業することになりますが、そこでの経験とその経歴がその後の人生にどれくらい意味があったかをはかるのはとても難しいです。

実際いまは学歴とは関係ないことをやっているし、交流がある人も東大卒もいれば、大学を出ていな人もいればさまざま。

知性は必ずしも学歴で測ることはできないです。人間力も。

何かを楽しむ力は受験力とは全く別のもの。

だから、大学に行こうが、行くまいが、「私」の価値にはなんの影響もない。

今ならそう言えます。

まあそれでも、大学に行くことが許されているというありがたい環境にいる方で、将来特にやりたいことも明確じゃない人は、ぜひ大学に行ってみたらいいんじゃないかと私はお薦めします。

大学というのは(特に私は東京だったこともあるかもしれませんが)高校までとは異なって全国、時には海外からとさまざまな場所から人が集まっています。

仲良くなってつるむも良し。

一方で、一人でいられることも大学の良さです。

ぼっちも浮かないのが大学のいいところなんです。

高校までのウェットで狭い人間関係から、広くて少し自由な人間関係に移行するので合う方もいるんじゃないでしょうか。

また大学というのが高校までと違うのは、先生(講師、教授)がみんな研究者である点。

先生はみんなある種のオタなんです。

だからオタ気質の人なんかには結構お薦めです。

何より大学生って「自由」があります。

バイトをしてお金を貯めて(授業をサボって)海外旅行に行ってみたり、バイクでツーリングしてみたりも出来る。

移動距離なんかも格段に広がる

と、話が脱線しましたが、ここからまた真面目に合格までの道のりをお話ししていきますね。


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