人は生きてきたように死ぬ

「人は生きてきたように死ぬ」
母がホスピスに入院中に何度も聞いた言葉です。

実際、死に方は選べないのですが、死に方(病気、事故、災害、自死など)というよりは、その人の死に対する態度やお葬式の時の雰囲気などを指すように思います。

うさこの母は、あまり人付き合いをしませんでした。
ごく限られた本当に大切な人とだけ、たまに会うというような人付き合いでした。

近所づきあいやママ友やパート先の同僚などがないわけでもないのですが、それはやはり義理の部分もあったのかと思います。

癌で入院してからは、たった一人の友人以外の面談はすべてお断りしていました。

実際は、優しいけれど八方美人で言いたいことをはっきり言えない性格の母でしたが、癌になってからはそういう義理の部分は

「残されたわずかな時間の無駄」

とはっきり思ったのだと思います。

そして、お通夜や葬儀などは一切しませんでした。

それはとても母らしい最期でした。

ここで、盛大でにぎやかな告別式などを望んだら、それはチグハグな違和感がありますよね?

やはり人は生きてきたように死ぬのだと思いました。

また、義父は田舎の名士でした。生前、地元のため住民のために尽くして多くの人に信頼されていた存在でした。

義父が亡くなったとき、感染症が流行っていた真っ只中でしたので家族葬ですることになり、親戚以外の誰にも知らせることなく、お寺で告別式が行われました。

しかし、やはり田舎の口コミ力はハンパではなく、200名ほどの方がお寺にかけつけてくれたのです。やはり地元のために尽くした義父らしい最期でした。

また、友人の祖母様は、とても明るくおおらかな人気者で、告別式は久しぶりに集まった親戚で笑いの多いとてもにぎやかなものだったと聞きました。

義父も友人の祖母様も、葬儀について「こうしてほしい」と要望があったわけではありません。

告別式をしても、しなくても、人生の最後はとてもその人らしいものにおさまります。

こういう話を聞くと、やはり「死は生の一部」なのだと思わずにはいられません。

私も告別式などいらない派で、特に思い出してほしいという願望もありません。そもそも結婚式もしていないので、そういった儀式をまったく必要としていないみたいです。

あなたの最後はどんな風でしょうか?

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