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優しい

ある朝、ドアを開けると花瓶にヒヤシンスの花がさしてあった。
私が先日お隣のおばあちゃんにあげたときは蕾だった子。

嬉しくてパジャマのままおばあちゃんに会いに行くと「かわいく咲いたから見せたくて」と、おばあちゃんもパジャマ姿だった。

見せてくれてありがとうと伝えて花瓶を返そうとすると「あなたに見せたくて咲かしたから、あなたが飾って」と言う。「私のぶんはまだ蕾ちゃんだから」と部屋の中を指差した。


寒くて鼻が赤いままでよかった。


この花はおばあちゃんの心に咲いていた花かもしれないと、夢見心地のままテーブルの上に置いて眺める。


思いがけず優しくしてもらったことは、時が経っても心の中に美しい結晶のまま残っているものだ。


最近( 春が来ているかも )と私の中の犬がむくりと起きた。
浮き足立つときちょっと不安で、そんなときは冷静になりたいし優しくありたいと思う。


「優しいって頭がいいってことでしょ?」というセリフを坂元裕二さんが書いていたとき、しみじみと唸った。


あたたかい気持ちでいられないときは大抵、私は斜めに持ち続けたままの弁当みたいな
その弁当の蓋をあけたときの深いため息とセットで
そういう残念感に包まれている。


偏っているのだ。
そして境界線がぐしゃぐしゃだ。

がんもどきにきんぴらが刺さっていたり、鮭に海苔がべっとりついて黒かったりする。
あんなにきれいに並べられていたはずなのに、どうしてと思う。
まぁ斜めに持っていたからなんだけども。


混乱して思考がバランスを崩しているとき、とてもあたまがいいとはいえないことをずっと考えていたりする。
優しくないひとになっている。



いつもの公園が最近生まれ変わろうとしていて、大規模な修繕をはじめた。
あちこちに赤色のコーンが立ち、黄色と黒の危険テープが張られている。
土は掘り起こされ、池の水は抜かれ、木がぼこぼこ切られたりしている。
整備するって大変だな〜と思いながら歩いていると、その工事をしているおじちゃんがぼーっと立っている。

犬がす〜っと近づくと「おうおう」と言いながらしゃがみ込み、頭を撫でながらそのまま無言。
私はなんの気なしに「公園がきれいになるの楽しみだなー」と言った。

「そう?」と訝しげに聞かれて「皆さんのおかげですね、寒い日もいつもありがとう」と伝えると「そういう言葉を聞けるだけで本当にがんばろうって思えるんだよな」とぽつりと言った。
あまりにぽつりの音量だったので、その言葉がおじちゃんの心に届く音の方が大きく聞こえた気がした。


そうか、そうだよね。

優しいって、それを見つけられる人の心の中にあるものなんだよね。

受け取ってもらえてはじめて、自分が渡したものが優しさだったと気がつける。

そういうふうに生きていたいのに、斜めに持った弁当を不機嫌に食べちゃうときもあるな。



もうすぐ春だとソワソワしていた私の中の犬だが、今日は雪が積もるかもしれないと何度も窓の外を眺めてる。


積もるのが楽しみすぎて、意味もなく外を歩いていたら
椿の花に白い雪が綿菓子のように積もっていて、帽子をかぶってるみたいだった。



写真を撮って母に送ったら
「美しいね。優しい写真をありがとう。」と返事がきた。