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この宇宙でオザケンに出逢えたことは


なんという夜だ。


私という人間は、これといって何も成し遂げず、全部をやりかけのまま「あっ!」と言ってテーブルを立ち、すべてを中途半端にしてきた気がするのだが、それを思い出すときは大抵お布団の中で、暗闇の中でたまにゾッとしたりする。


ふにふにしたまま歳を重ねてきたと思っていたけれど、いんや。どうやらそんなことはないようだ。えらいな、すごいな、ここまで遠くまできたなんて。すごいよ、あんた。

それは本当にすごく不思議な体験だった。


“オザケン”の音楽に触れたとき、私はまだ小さな子どもで、小学生だった。

兄の影響で聴き始めた音楽は、どれもこれも大人びてかっこよく聴こえて、私はひとりになるとこっそり誰もいない家でそれらのCDを爆音で聴いていた。
まわりの子は誰も聴いていなかったけど、全然よかった。ひとりで聴いていることがまた特別な感じがして好きだった。


その気持ちを折り紙に書いて、どこかの誰かへ色鉛筆で絵を描き手紙にし、ベランダから飛ばしたりしていた時期もあった。
(ボトルメッセージへの憧れだけど、私が住むのは海のない埼玉なので、その手紙は目の前の駐車場にすべり落ちていた。とても頭が悪かったので。)


今日の小沢さんのステージはそのときの、夕暮れの光さす部屋のオレンジ色の感じとか、読み取らないCDをメガネ拭きで何度も拭いてカセットに録音したり、猫がご飯を食べている姿をスケッチしたり、「寂しい」って言葉がこの感情に結びついているとは気が付かなかった幼き頃のことが、ぐるぐるとまわって見えた音楽だった。


わたしはなんにも成し遂げていなくても、今日までちゃんと生きてきたんだな。



子供の頃「なんでこんな寂しいんだろう」といつも純粋に不思議に思うような子だった。

なにかを恨んだり憎んだり怒ったりする気持ちより、本当にただ不思議で謎だった。


「寂しい」ってなぜ感じる気持ちなのか、
どこからやってくる感情なのか、いつも不思議だった。
だって、大好きな猫を抱いていても、犬を撫でても、お母さんと手をつないでいても、あったかいお風呂に入っていても、ちびまる子ちゃんを見ていても、私は寂しいままだったから。


そんな頃にいだいていた「さみしさ」が今日、本当に目の前で美しく輝いて見せてくれた。
音楽を奏でる小沢さんとホール全体が私を包んで、はぁもうなんだろうな。
この感情は。さみしいって本当に美しいな。なんてきれいなんだろう。
みんな天使たちのシーンを生きてきた人たちで溢れていた。


「みんなで」ということが本当にできない孤独な子どもだったけど、今日はそういう子ども時代を経た人がぽつぽつといた気がして、( お互い大人になれたね )と心のなかで話しかけた。


あの頃飛ばした手紙は、いろんな人から返事がついて戻ってきたようだ。

その中には亡くなってしまった人も、大好きな毛並みの犬と猫も在りし日の姿のままで今もいた。




私の席の隣の人もひとりで来ていて、電子回路をうまくつけられなさそうにしていたので「手伝いましょうか?」と話しかけた。
細い腕に、ピンク色のピカピカを巻いているとき、名前も年齢もなんにも知らないけど、深いところで繋がりを感じて、胸が熱くなった。


ライブ中、たびたび泣いて、飛び跳ねて、体を揺らし、最後の小沢さんの言葉で嗚咽をもらしそうになったときもぜんぶ同じだったから、この人も私にとって全部が星座のように繋がるひとつの星のように思った。


「ありがとう、またどこかで」と言って別れて、今帰りのりんかい線でこれを書いている。



真っ暗の夜を煌々と明るい電車の中で、
いろんな人が同じ空間にいて、なぜなのというくらい軽やかな気持ちだ。



自分がはじめてなにかをやることへ怖さ、どう見られるのかという恐怖があったことを涙声で語ってくれたこと、私は忘れない。

あの言葉を話してくれたあの時間、言葉を選んで話してくれた気持ちを、この先もずっと忘れない。
お守りにするし、栞をはさんでいつでも戻りたい。


自分を生きてきたすべての人を祝福する音が溢れていて、本当に幸せでした。



いつの日か今日も愛しい地図の一部になって、
全部を見渡せる日がくるんだろう。


生まれて育って死ぬということはとんでもなく大きな輝き。そう思ってきたから出逢えたんだね。

ありがとう、愛すべきこのサークル。


2022.6.26